114、死霊の墓場 〜子に引き継がれる技能
「ヴァンは、あの頃も優しかったね」
僕が魔法袋に常備しているホイップ済みの生クリームの瓶を取り出すと、フロリスちゃんは、ひとりごとのように呟いた。
下手に反応しない方がいいかと思い、僕は聞こえないフリをしておいた。フロリスちゃんはそのまま、ジッとクッキーを見つめている。うん、やはり、ひとりごとらしい。
花の形の生クリームをのせたティースプーンを添え、フロリスちゃんの前に紅茶をいれたカップを置いた。
「フロリス様、できましたよ」
そう声をかけると、彼女はやっと紅茶に気づいたようだ。
「うん、ありがとう。あっ、あの頃みたいに、ティースプーンにお花が乗ってるわ」
「ふふっ、そっと紅茶に浮かべてくださいね」
「うんっ! だけど直ぐに混ぜちゃうから、なんだかもったいないね。このクリームって、どうしたの? 随分と早かったね」
「あぁ、これは瓶に入れて魔法袋に常備してあるんですよ」
「ルージュちゃん用なのねっ」
フロリスちゃんは勘がいい。確かに娘ルージュのためのものだけど、少し違う。
「ルージュが食べますが、テンちゃに渡すために用意してあるんですよ。テンちゃは、これを渡すと戦闘狂スイッチが切れるので」
「あはは、確かにテンちゃは、よくクリームの瓶を持ってるわっ。ケンカしてても、ルージュのことが優先だもんねっ」
「ええ、テンちゃを止めるには、何より、生クリームの瓶なんですよ」
「うふふっ、そうね」
フロリスちゃんは、ケラケラと笑って、ティースプーンを紅茶に沈めた。ぷかっと浮いてくる生クリームにニヤつくのは、昔と変わらないね。
氷の神獣テンウッドは、戦闘狂スイッチが入ると、僕の言葉も聞こえなくなる。だから、ルージュに渡してくれとお菓子を渡すのが一番なんだ。特に生クリームの瓶は、ルージュが喜ぶから、テンウッドは絶対に止まるんだよね。
やはりテンウッドには、覇王は効いてないということを実感する。まぁ、いいんだけど。
「ヴァン、あのね……」
フロリスちゃんは、紅茶をクルクルとかき混ぜながら、口を開いた。さっきの話の続きだろうな。
「はい、クッキーのことでしょうか。優しい味がしましたね」
「うん、そう、クッキーのこと。私、あまり覚えてないんだけど、お母様が作ってくれたクッキーも優しい味がしたの」
フロリスちゃんは、クッキーで気づいたのか。だから、ずっと考え込んでいたんだ。死んだはずのサラ奥様かもしれない、とは言えないみたいだけど。
僕も、確実な証拠があるわけじゃないけど、それしか考えられない。じゃなきゃ一角獣が、この集落へ行くことをすすめる理由がないもんな。
「フロリス様、僕も同じことを考えていました。サラ奥様とお会いしたことはないですが、あの方は、とてもフラン様に似ています」
「ええ、そうね。長さまは、フランちゃんに似ているわ。だけど、アウスレーゼ家の人達は、フランちゃんに似た雰囲気の人は少なくないのよ」
そう言いつつ、フロリスちゃんはクッキーをジッと見つめている。彼女は、何を考えているのだろう。母親だと確認したいのか、それとも母親ではないと思いたいのか……。
「フロリス様、あの方のジョブボードを調べて差し上げるんでしたよね? サラ奥様のジョブは何だったのですか」
僕がそう言ったことで、フロリスちゃんは何かに気づいたのか、ハッとした。
「ヴァン! それよ! それでわかるわ!」
「えーっと、何がわかるのですか」
「ジョブボードには、子が受け継ぐことのできる技能が表示されるでしょ?」
「そうなんですか? 僕のジョブボードには何も……」
「あっ、神矢ハンターの技能かしら? ヴァン、ジョブボードを見せてっ」
「えっ……なんか、恥ずかしいです」
「私は、神矢ハンターなんだよっ。ちゃんと秘密は守るもんっ」
キラキラと目を輝かせるフロリスちゃん。さっきまでの眠気はどこに行ったんだ?
僕は、ジョブの印のある右手を差し出した。
「素直でよろしいっ。えーっとぉ〜」
僕のジョブボードをふむふむと眺めるフロリスちゃんの視線が、下の方で止まった。何を見てるんだ? なんだか表情が厳しい。ルージュに引き継がれる技能か?
「ヴァン、なぜ『盗賊』のスキルがあるの? これがあると、『神官』のスキルが上がりにくくなるよっ」
「えっ……あぁ、確か、神矢を触ってしまったんです」
これはガメイ村で、盗賊達が……はぁ、ったく。
「ふぅん。まぁ、技能を使わなければ、3年で降級するから、使っちゃダメだよっ」
「はい、わかりました。で、ルージュに引き継がれる技能って……」
そう尋ねると、フロリスちゃんの視線は上へと上がっていく。
「ルージュちゃんに引き継がれるか、別の子に引き継がれるかはわからないけど、魔獣使いの通訳が対象になってるよ。魔物と話せる技能だね。スキル『魔獣使い』が得られなくても、話せるよ」
「へぇ……ルージュは、言葉を話せない頃から、テンちゃと謎の会話をしていましたよ」
「じゃあ、ルージュちゃんに引き継がれたのねっ。ヴァンが農家のスキルがないのに農家の技能の一部が使えるのも、同じことだよっ」
「凄い! なんだか、フロリス様が神矢ハンターに見える」
「ひどぉ〜いっ! 私は、神矢ハンターだよっ」
ぷくっと頬を膨らませるフロリスちゃん。ちょっとは、元気が出たかな? あれ? なんだか逆に元気が無い? 不安げな表情に見える。
「私ね、ジョブボードにないのに使える技能があるの。お父様は持ってない技能よ」
「それが、お母様から譲り受けた技能なのですね」
「ええ、おそらくそうね。とても珍しい技能なの。長さまには、あるようには見えなかったわ」
フロリスちゃんは、力ない笑顔を作っている。期待したけど、違うと感じたのか。
「あの方のスキルを覗いたのですか?」
「まさか! 私はそんなことしないよ。知られずにサーチする技能はないもの。はぁぁ、やっぱり長さまは、お母様ではないわね。ちょっと期待しちゃった。だけど、このクッキーは全部もらっておくわ」
そうか、5歳の頃のフロリスちゃんがクッキーしか食べなかったのは、無意識に母親の味を探していたのか。そう考えると、胸が苦しくなってくる。
「きっと、長さまも、フロリス様が気に入ったとわかると喜ばれますよ」
「そうね、私、そろそろ寝るね。ヴァンは、どの寝室を使いたい?」
「フロリス様が好きな部屋を選んでください。僕は、たぶん眠らないです」
「えっ? 眠くないの?」
「はい、たぶんラフレアだからでしょうね。こちらの世界では、呼吸するだけで体力が回復します」
「まぁっ、便利ねっ。ふふっ、じゃあ、私は真ん中の部屋にしようかな〜」
そう言うと、フロリスちゃんは寝室へと消えて行った。彼女が、今にも泣き出しそうになっていたことには、僕は気づかないふりをした。
外を見ていると、だんだん薄暗くなっていった。太陽を模した光の色が変わったようだ。これが、この集落の夜なのかな。集落の中を歩く人も減ってきたようだ。
あれ?
僕の左手に付けているゼクトとの通信用の魔道具が、チカチカと点滅した。この集落には、様々な結界があるのに?
魔道具に手を触れて応答する。
『おう! ヴァン、やっと繋がったか。よく聞け! 明日の夕方から黒石峠近くのボックス山脈で、一斉討伐がある。おそらく、二つの世界に大きな歪みが生じるだろう。その集落は無事では済まない。こっちの世界に戻って来い』
次回は、4月5日(水)に更新予定です。
よろしくお願いします。