100、ガメイ村 〜影の世界へ
それから、数日が経過した。
「ヴァン、準備はいい?」
「はい。ですがフロリス様、本当に行くのですか? 危険ですよ? 影の世界はすべてのモノが大きく、それに……」
「だって、ヴァンだけだと不安だもの。ゼクトさんが、追跡しておくって言ってたよっ」
「えっ? 追跡って、異界サーチですか?」
「うん、それでマズそうなら助っ人に行くって。私の力でどこまでできるか、やってみろって言ってたよっ」
ゼクトがサポートをしてくれるなら、まぁ、大丈夫か。フロリスちゃんは、やる気に満ちていて鼻息も荒い。お嬢様らしさが消え、やんちゃな子供のようだ。
神の声を聞く技能のある神官などでなければ、新たな制度は始められないと、フラン様が言っていた。神官ではなく、神官などと言っていたのは、神矢ハンターなども含まれるためだろう。
影の世界では、こちらの世界の統制の象徴であるジョブ『神官』は、能力が制限されるという。だから、スキル『神官』を持つ僕の方が確かに適任か。
それに僕は、ラフレアに株分けされた動くラフレアだから、影の世界では逆に強いかもしれない。あ、フラン様や身近な人達は、最近、歩くラフレアと呼ぶけど、これはバケモノじゃなく人間だという意味を込めた呼び方らしい。僕としては、どちらでもいいんだけど。
悪霊などが放つ汚れたマナは、ラフレアにとってはエサだ。僕も悪霊に触れて吸収すると甘く感じる。ラフレアには、マナの汚れを吸収して浄化する役割があるんだ。
僕は、ジョブの印に陥没の兆しがあったから、しばらくは、ほとんどのスキルを使わなかった。ラフレアも、ジョブボードに記載されている『精霊師』の技能のひとつという位置付けだ。だけど、そろそろ大丈夫かな? まだ、ジョブの印は少し光を放っている。これが消えたら安心なんだけど。
「ヴァン、影の世界へは、ラフールさんの屋敷から出入りできる常設の出入り口があるみたいだよっ」
長老制度についての開始の儀式のようなものは、影の世界の人の王であるグリンフォードさんの住む館で行うと聞いている。ラフール・ドルチェさんは、穏やかな常連さんだけど、やはり僕としては信用できない。
「フロリス様、僕は、どこからでも影の世界に出入りできますよ。だから、1週間も店を休む必要もないですし……」
「うん? 影の世界への出入りは歪みを生むから、決まった出入り口を使わないといけないんだよっ? それに、どうやって出入りするの? ブラビィに運んでもらう?」
あー、そっか。フロリスちゃんは、知らなかったっけ。
「僕は、ラフレアなので、影の世界にも根を伸ばせますから」
「うん? 歩くラフレアは、影の世界にも行けるの?」
「はい、影の世界にもラフレアはいます。ただ、僕とは違って、ラフレアのマザーとの繋がりはないみたいですけど」
「ラフレアのマザーって、ラフレアの森のことだよね? 影の世界にもラフレアの森があるの?」
フロリスちゃんは、少しビビっているみたいだな。ラフレアの巨大な赤い花は、遭遇すると死を覚悟するバケモノだ。
「影の世界のラフレアは、害獣ですからね。株は大きくならないように、個々に生きているようです。だから、見た目も性質も、それぞれバラバラだと思いますが」
「ふぅん、ちょっと嫌な汗が出てきちゃったわ」
「危険なので、フロリス様はやはり……」
「ダメっ! ヴァンは、長老制度がわかってないんだものっ。それに、私はジョブ『神矢ハンター』だよっ?」
だから何?
「影の世界に、神矢は降りませんよ?」
「あのねー、まぁ、いいわっ。行けばわかることだものっ。じゃあ、ラフールさんの屋敷に……あっ」
チッ、来ちゃったか。
店の前でフロリスちゃんと、ごちゃごちゃ話していると、ラフール・ドルチェさんが姿を見せた。
「ヴァンさん、お迎えに参りましたよ。ウチの屋敷からの影の世界への通路は、いま、ちょっと利用できないので、ガメイ村から転移屋を使って、黒石峠へ移動しようと思います」
はい? 黒石峠? やはり怪しい。多くの人が黒石峠で行方不明になる事件が、ずっと昔から続いている。以前、フロリスちゃんも、あの場所で……。
「やはり、黒石峠なのね」
フロリスちゃんの表情は、ガラリと変わった。彼女の母親サラ様も、黒石峠で魔物に襲われて亡くなったと言われている。
「ラフールさん、黒石峠からだと目的地は、随分と遠くなりますよね?」
僕がそう口を出すと、彼は意外そうな表情を浮かべた。彼は、フロリスちゃんの家名は知らないはずだけど、僕のことは、フラン様から紹介されて完全にわかっているはずだ。
「ヴァンさん、なぜ、異界のことをご存知なのですか」
「僕には、多くの従属がいますからね」
「そうでしたな。だが、黒石峠からでも、大して遠回りにはなりません。影の世界では転移魔法が発動しやすいですからな」
彼は、僕達を黒石峠に近づかせたいのだろうか。あの場所は、はっきり言って罠を張りやすい場所だ。それに何より影の世界もこちらの世界も、魔物が集まりやすい。
やはり、信用できない。
「僕は、ラフレアですよ?」
「えっ……ええっ!?」
あれ? なぜ、そんなに驚く?
「ガメイ村からの方が、目的地へ安全に向かえます。目的地付近は、こちらの世界との行き来が制限されているから、ぶどう畑から行く方がいいと思います。ラフールさんは、黒石峠から行ってください。目的地で合流しましょう」
「い、いやいや、ちょっと待ってくだされ。ヴァンさん、理解が追いつきません」
彼は、本当に混乱しているように見えた。仕掛けた罠に、僕達がかからないことに焦っているのか?
「ヴァンは、歩くラフレアなの。でも、ラフレアって、そんなことできるの? あっ、そっか。ラフレアに関する知識は、どんどん忘れるんだっけ」
フロリスちゃんは、ポンと手を叩くと何かの技能を発動したようだ。聖魔法のような光に包まれている。
「そ、それなら、その、私もラフレアのチカラで、影の世界へ移動したいです!」
ラフールさんは、なぜか目を輝かせている。別に、影の世界へ移動できることは、最近では珍しくはない。その技能のある神矢が降ったと聞いたこともある。
たぶん彼自身も、その技能を持つのだろう。じゃないと影の世界には怖くて行けないからな。もちろん、神矢ハンターにも、その技能はあるそうだ。ゼクトは教えてくれないけど、しょっちゅう行き来しているみたいだもんな。
ただ、ほとんどの技能は、二つの世界を行き来できても歪みを作り出してしまうらしい。だから、出入りする場所を決めているそうだ。
「そうね。合流するより、その方が早いわ。ヴァン、3人で行けるわよね?」
フロリスちゃんは、身体から光が消えると、急に言うことが変わった。そうか、ラフレアに関する知識を思い出す術を使ったのかな。
「ええ、何人でも大丈夫ですが、固い道ではなく、柔らかな土の上の方がいいですね。地面に跡が残るといけないので」
「わかったわ! ぶどう畑ねっ」
キラキラな笑顔で走り出すお嬢様。ほんと好奇心旺盛な、ガキんちょ化してないか?
「では、私も!」
負けじと、ぶどう畑へ駆け出すオジサン。あれ? 本当に彼は、楽しそうにワクワクして見える。
「じゃあ、移動しますね」
僕は根を伸ばし、地中から二人の足元をそっと支え、影の世界へと移動した。




