俺だけやけに硬い
俺だけやけに硬い。
生まれた時から硬かった。
だから母は俺を産んだ時に死んだ。
産婆を務めたキャロルが言うには、中々お腹から出てこない俺を産むのに五日はかかったのだという。
俺を産むと同時に体力を使い果たし死んでしまった母の痛みや苦しみを想像するだけで、申し訳ない気持ちになる。
だけど母が死ぬ前に「幸せになってね」と微かに言葉を漏らしたらしいから、俺はどれだけ忌み子として蔑まれようとなんとか生きている。
母の話は全てキャロルから聞いたのだが、記憶の片隅に母の肉声が刻み込まれているような気持ちもするのだ。
「おい。飯だ」
牢獄のような部屋に義弟の嘲笑と共に腐りかけの硬いパンが投げ込まれる。
一応は貴族の子である俺を放逐する訳にもいかない父は、生かす殺さずの状態で俺を狭い部屋に閉じ込めている。
退屈は退屈なのだが、この屋敷で唯一の良心であるキャロルのお陰で本だけは欠かさずに読むことができている。
俺のこの世界への知識は、小さな窓から見える同じ景色と年に一度の式典の席、あとは活字で構成されている。
図鑑や専門書も好きだが、本の中では物語が一番好きだ。
物語はハッピーエンドが約束されているからだ。
だから主人公がどれほど苦境に陥っていても安心してページを捲れるし、自分に写し合わせて幸せな気持ちにもなれる。
いつか俺も物語の主人公のように幸せになれる日を信じて、硬いパンに齧り付く。
♢♢♢
「バレット。出て来い」
父が直接、この部屋に来るなんて初めての事だった。
もしかすると十三歳の誕生日を祝ってくれるのかもしれない。
そんな期待から俺は元気よく返事をして扉を開けた。
部屋を出ると険しい顔をした父と奢侈なローブに身を包んだ顎髭の男が扉の前に立っていた。
「こいつが例の?」
ローブの男は訝しい顔で髭をさすりながら父に問う。
「そうです。大臣殿」
父はそう答えると俺の肩を強引に掴んで、ローブの男の目の前に立たせた。
「確かめてみろ」
ローブの男が言うと、父は壁に立てかけていた木の棒でいきなり俺の顔面を打った。
何が起こったのか分からなかったが、粉砕した木片が散らばる中で、父とローブの男が微笑んだのが見えた。
「これからお前は我が国の兵器だ」
当然、そう告げられた俺は言われるがままにローブの男に連れられて部屋を出た。
屋敷を出る時、不安に振り返ると、初めて見る父の笑顔があった。
♢♢♢
屋敷を出て五年、俺は本当に兵器になってしまった。
それは比喩ではなく実際にだ。
投石機のスリングの中でうずくまる俺は、今から文字通りに投げられる。
俺の役割は大きく二つある。
一つは硬い石として物理的に敵に打撃を与えること。
二つは突如現れた部外者として敵を混乱させること。
特に二つ目の役割は、相手陣地で注意を引いたり、矢を消費させたりと多岐に渡る。
ともかく埒外に頑丈な俺が敵の中にいるだけで何かと混乱を招いて有益なのだ。
今から投射される俺の服には目立つように「サンドルカナン」と刺繍がなされている。
それは侵略戦争によってますます勢力を伸ばしている我が国の名前である。
俺は今までサンドルカナンの人間兵器として大小含めて六つの戦いに参加した。
一度目の戦いの時は最前線で剣を持って戦えと駆り出されたが、それは失敗だった。
剣を振ったことなどなかったし、何より人を斬ることが怖かったのだ。
その後、国は俺の運用法を変え、そこから俺は動く的となった。
一人で相手の陣営に突っ込み、矢を受けたり剣を受けたりするのが俺の役割だ。
俺が一通り相手を消耗させた後に本当の戦いが始まる。
そうした狡猾な戦略も合間って、好戦的なサンドルカナンは領地を増やし続けている。
富める国とは裏腹に、俺の扱いがよくなる事はなかった。
俺は英雄ではなく、ただの兵器なのだ。
本当は戦いたくないが、軍の所有物となってしまった俺に行く当てはない。
皆は知らないだろうが、剣や矢を受けると俺だって痛い。
だけどそれ以上に憎悪に襲いかかってくる戦争の顔をした人間が怖い。
食べていても寝ていても、そして本を読んでいても、敵に囲まれて滅多うちにされる光景が頭から離れないのだ。
ゴロゴロと車輪が進む振動が止まった。
投石機が所定の位置についたようだ。
振動は止んだが膝を抱える俺の手は震えている。
「発射」
号令と共に俺は宙に投げ出される。
綺麗な弧を描くため、着地するまで丸まったままでいなければならない。
足の隙間から見える景色がグルグルと変わっていく。
もう疲れた。
宙に飛ばされている最中に、こんな事を思うのはおかしな事だが、多分俺はおかしくなってしまった。
母さんごめん。
俺は幸せになれないのかもしれない。
石が崩れるような轟音と共に背中に激しい痛みが響く。
無事に俺は敵国の城に入り込んだらしい。
節々が痛む身体を持ち上げると悲鳴や驚きの声が聞こえる。
いつものことだ。
あとは攻撃を受けるのを耐えるだけだ。
しかし土煙の中、立ちすくんでいても一向に攻撃は来ない。
「大丈夫ですか?」
震える俺の手に柔らかな感覚が伝わった。
「お嬢様。お気をつけ下さい」
兵士のような男が俺の手を握っていた少女を引き離すと、剣を抜いて立ちはだかる。
見渡すとそこは少女のものらしき部屋で、周りには女性の従者と一人の兵士しかいない。
どうやら俺は想定よりも飛んで、城の居住区にまで来てしまったようだ。
「アルラン、やめて。この人は敵ではないわ」
少女が兵士の制止を振り払って寄ってくる。
「怪我はないですか?」
少女は無邪気にそう言うと、俺の服についた汚れを綺麗なドレスの裾口で拭き始めた。
兵士が再び少女を引き離すまで俺は呆然とそれを眺めた。
硬く閉ざされた俺の心に、少女の柔らかな優しさが触れた気がした。
「どうして泣いているの?」
不思議そうな目で少女が俺を見上げる。
顔に手をやると自分が一筋の涙を流しているのに気が付いた。
突然部屋を壊して現れ、さらには泣き始めた俺に、続々とやってきた兵士たちも困惑した顔をしている。
「私はサンドルカナンの人間兵器です。私に攻撃を集中させることが狙いです。だから攻撃しないで下さい」
戦や国の事などどうでもいい。
だけど少女のいるこの場所を守りたい。
そんな思いで必死に話をした。
何を言っているか自分でも分からなくなってしまうほどだったが、サンドルカナン軍がどう攻めてくるか、城を守るにはどうすべきかを全て明かした。
実際、俺の合図によってサンドルカナン軍は動き出す手筈となっているので、対策する時間はある。
詳しい内部事情と必死の説得のお陰で、警戒していた兵士たちも少しずつ耳を傾けるようになり始めた。
「だがお前が兵器だと言うのが納得できん」
俺が話し終えると後からやってきた兵士長らしき年長の男が言った。
俺はその場に転がった瓦礫をおもむろに掴むと、自らの頭に勢いよくぶつけた。
「キャッ」
少女は悲鳴に似た叫びをあげた。
粉々になる瓦礫と無傷の俺を見て、兵士たちは驚きながらも俺が兵器だと言うことに納得してくれたようだ。
「あなたが頑丈なのは分かりました。だけど自分を傷付けようとするのはもうやめて下さい」
涙目の少女は真剣な表情で言った。
そこから俺はさらに細かくサンドルカナン軍の配置や戦術について話した。
「では我々はそこに控える破城槌を先に狙えばよいのだな」
俺が作った簡単な地図を指して兵士長は確認する。
「はい。二機ある破城槌を失えば城への侵入方法は梯子だけになりますので、一時撤退を余儀なくされます」
兵士長は自分に言い聞かせるように何度も頷くと、兵士たちに指示を出し始めた。
この国の兵力は分からないが、破城槌さえ破壊できればこの戦いを凌ぐことはできるはずだ。
「火矢。準備できました」
「よし。お主、名前は?」
「バレットです」
俺が答えると兵士長は兵士たちの前に立って鼓舞を始めた。
「お前たち、知っての通り我々は今、包囲され劣勢に立たされている。しかし、そんな時に突然、鉄の男バレットが空より現れた。これを奇跡と呼ばずなんと呼ぶ。バレットの話を疑う者もいるだろう。だが私はこの奇跡を信じてみたい。シルヴァに栄光あれ!」
兵士たちは兵士長を先頭にあっという間に部屋から去り、部屋には俺と少女だけが残った。
「私はマリアです」
「バレットです」
「知っています」
「え?」
「さっき名乗っていたのを聞きました」
「あ…」
気まずい沈黙の後、フフフと少女が上品に笑う。
「鉄の男ですって」
「はは」
俺は自嘲気味に笑った。
「震えていましたね?」
「…戦いが…怖くて」
口籠りながら俯くと再び少女は俺の手を握った。
「私もです」
少女は小さな手で力強く俺の手を握る。
「あなたは兵器でもなければ、鉄の男でもありません。私と同じただの人間です。だってほら、こんなにも温かい」
手のひらに少女の頬の温かみが伝わる。
春の雪解けのように、俺の中で何かが解きほぐされていく感覚がした。
「マリア様、ここは危険です。こちらへ」
一人の従者が戻ってきて少女を呼ぶ。
「はい」
少女はそのまま俺の手を引いて部屋を出た。
俺はこの手をずっと握っていたいと思った。
♢♢♢
シルヴァ国はサンドルカナンからの侵略に対し、二度の防衛に成功した。
サンドルカナンは小国に敗北したことをきっかけに、急速に勢力を失っていった。
大規模な戦いとなった二度目の防衛戦の際、俺がサンドルカナンに帰還したふりをして軍を攪乱させたことがシルヴァ国勝利の決定打となった。
サンドルカナンでは偽の情報を流したり、兵站を燃やしたり、と裏で色々と工作をしたが怪しまれることはなかった。
たぶん俺の事を意思のない兵器だと考えていたから、裏切られるなんて微塵も思わなかったのだろう。
マリア王女には反対をされたが、それでもスパイとして戦争に参加したことに後悔してはいない。
また唯一の心残りであったキャロルを屋敷から連れ出し、共に亡命できたことも良かった。
「バレット様、こちらです」
見覚えのある兵士が頭を下げて俺を呼ぶ。
着慣れない正装に身を包み、俺は光射す城の庭園に出る。
綺麗に整備された芝生の上には多くの兵士たちとシルヴァ国王が待ち受けている。
「バレット・ブラー。汝はシルヴァを守る盾となr…」
恰幅のよいシルヴァ国王の横腹を小さなマリア王女が小突く。
「お父様。バレットは盾じゃありません。人間です」
「しかし、マリアよ。これは決まり文句であってな…」
狼狽える国王の姿に、厳粛な場であるはずの叙勲式でどっと笑いが起こる。
緊張の糸が切れたのか、俺も声を出して笑う。
「と、ともかく。バレット・ブラー。汝は素晴らしい働きをした。よってここに英雄の勲章を授ける」
朗らかな雰囲気の中、俺の首にずっしりと重い勲章が下げられる。
鈍い銀の勲章が朝日を吸い込み反射する。
「光栄です」
頭を上げると、身じろぎしてしまうほどの拍手が響いた。
見渡せば誰もが俺のことを見て嬉しそうに拍手をしている。
鼻を啜る音で振り返ると、キャロルが顔をくしゃくしゃにして涙を流している。
「バレット。こっち」
鳴り止まぬ拍手の中、少し顔を赤らめたマリア王女が俺を呼ぶ。
近寄るとマリア王女は照れくさそうに手作りの花の首飾りを取り出す。
「今までよく頑張りましたね」
しゃがんだ首に綺麗な赤い花の首飾りがかけられる。
「もう顔をあげていいのよ」
「…できません」
「どうして?」
「…涙で前が見えないからです」
歯止めの効かない涙が鼻先を伝ってポタポタと芝生に落ちた。
笑いと涙の叙勲式の後、サンドルカナンでは市民革命が起こったと急報が入った。
戦争によって権威を維持していたツケが敗北によって回ってきたのだ。
恐らく貴族である父や義弟を含め、俺のことを利用した国の主要な者たちは処刑されるだろう。
別段、怒りや悲しみなどは湧かなかったが、どこか胸がすくような気持ちがした。
♢♢♢
俺だけやけに硬い。
生まれた時から硬かった。
だから母は俺を産んだ時に死んだ。
だけど硬いお陰で守れた命もあった。
そして新たな命も生まれた。
「あなた。抱いてあげて」
「柔らかい」
「当たり前でしょ。赤ちゃんなんだから」
マリアはいつものように上品に笑う。
マリアが子供が欲しいと言った時、俺は気が気でなかった。
もし、俺のように硬い子供が産まれてしまったら、最愛のマリアを失うかもしれない。
しかし頑なに断り続けていた俺を根気強く励ましてくれたマリア。
覚悟を決めなさいと尻を叩いてくれたキャロル。
そして余所者の俺を次期国王へと指名してくれた国王とそれを温かく迎えてくれた国民たち。
「ありがとう」
「改まってどうしたの?」
「あの時、君が手を握ってくれたから今がある」
「いえ、あなたが空から降ってきたお陰で今があるのよ。ほら。手を出してあげて」
生まれたての小さな小さな手が俺の硬い人差し指を握る。
今なら自信を持って言える。
母さん。俺は幸せだよ。