キリエ流おかあさん術『鋼骨竜の頭蓋骨などを適度にひしゃがすチョップ』
「ペールトン、ああああああ! 来る、来る、
ペールトンが来る! 黒い足音! ペールトンが来る、
ペールトンが来る!」
「落ち着いて、ブリスターさん」
ブリスターさんの入った箱から、叩く音や破れる音が、
どかどかばりばりと上がります。
箱ががたがたと揺れ跳ねて、地面の草を踏み潰します。
朝の空気をのんびりと漂っていた光の粒が、逃げ出したり
興味深そうに寄ってきたり、静かな礼拝堂の風景が一気に
騒がしくなりました。
「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ! 聞こえる! 聞こえる!
何も聞きたくない! 嫌だ!
来るな! 来ないで! 足音が聞こえる!」
「大丈夫、大丈夫ですよ、ここには……」
「ああ、ペールトン、嫌だ! 来る! 来る!
来ないでください! 誰か助けて! 助けて!
誰も来るな! みんないなくなれ! 助けて!
ああああああああ、あああああああーーー!!」
叫び続けるブリスターさん。
私の声はすっかり届かなくなっていました。
箱の中でくぐもった、それでも鋭く引き裂くような、思わずぎゅっと抱きしめてしまいたくなるような、痛々しい悲鳴でした。
「大丈夫、大丈夫ですよ。ね、怖くありませんから……ぐへぇっ!?」
泣く子をあやすように箱の表面を撫でながら、ブリスターさんが落ち着くのを待っていると、急に箱が横回転して、私は弾き飛ばされてしまいました。
箱の角で顔の横側を思いきり叩かれたようですが、不思議と痛くありません。
「聞きたくない、見たくない、見ないで、聞かないで……!」
「ブリスターさん……」
箱は、今度は小刻みに震えるようになりました。
縮こまって何かをやり過ごそうとしているようにも見えます。
ブリスターさんは早口に、ぶつぶつと呪文のように何かを呟いています。
ペールトンとはいったい何なのでしょう。
分からないけれど、どうにかして、この苦しんでいる人を助けてあげたい。
抱きしめて、背中をさすってあげたい。安心だよって伝えたい。
けれど少し触れたら、また暴れだしてしまいそうです。
「……あ、いけない」
と、大事なことを思い出しました。
そろそろニヨが起きてくるかもしれません。
早く朝ごはんの準備をしなくてはいけません。
ニヨはときどき寝ぼけて私の枕や服を抱えて、顔を洗わないまま食堂に来ることもあるので、そのお世話もしなくてはいけません。
けれど、
「いや、いや、いや、やだやだやだやだいやあああ……!」
やっぱり、目の前のブリスターさんを放っておくこともできません。
「そうだ。ブリスターさん、良かったら一緒に朝ごはんを食べませんか? 今日は元気が出るトマト料理なんですよ。
ニヨ……魔王さまも、きっと喜びます」
「魔王!? いや! いや! いやあああ!」
まだまだ時間をかけて説得するしかなさそうです。
そうすると、ニヨがお腹を空かせてしまいます。
食堂で私の服や枕を抱えて、頭に寝癖をぴょんぴょん立たせたまま、ぽつんと1人で泣きながらお腹を鳴らすニヨ……。想像すると、胸が締め付けられるような気持ちになります。
お腹をすかせた子供ほど、哀しいものはありません。
これは、急がなくてはいけません。
「ブリスターさん……」
「いや、いや、いや、いやあああああ!」
私の魔王さま、ニヨは、カーテンの向こうの星明りよりも控えめな子です。
初めて会った頃、あの子は一人ぼっちで、生きていることが申し訳なさそうな顔をしていました。
声は小さく、風の無い日の空気にさえ溶けてしまうほどでした。
でも、こちらが耳を澄まして目を凝らせば、あの子の心はとても柔らかく色とりどりで、たくさんの感情に揺れ歌っていることが分かります。
「ブリスターさん、大丈夫、大丈夫ですから。ね? 朝ごはん、一緒に食べましょう?」
「来ないで、来ないで、わあああああああ!」
私がニヨのしもべとして一緒に暮らすようになってから、ニヨと外の世界の間にかかっているカーテンは少しずつ開いていくようでした。
不安げだった寝顔は安らかになって、出かけるときは自分から私の手を握ってくれるようになりました。
ベッドの中で、私にぴったりくっついて丸くなるニヨの寝顔を見るたびに、何よりもこの子を大切にしようと思います。
「ブリスターさん……」
「わああああああー! わああああああー!」
「ごめんなさい!」
バコンッ。
ニヨの平和な朝ごはんのために、私は目の前の大きな箱を叩きました。
「ぐぴょっ……」
と、ブリスターさんの声が聞こえて、それきり箱は動かなくなりました。
屋根のほとんど無い礼拝堂に朝の静寂が戻ってきます。
私は半分ひしゃげた箱を引きずって、お城に戻りました。




