ひそかな楽しみ
この短編は、高千穂さん主催「お題リレー」参加作品です。
http://www15.ocn.ne.jp/~yuzuru/odairirei.html
口数が少ないと、大人しい良い人だと勘違いされることがある。でも僕の腹の底にはとんでもない考えが多数潜んでいる。一度それらをぶちまけて、自分の本性を周囲に明らかにしたいと思うほどだが、どこから披露していいか分からない。
考える時間は長い。結論が遅い。たぶん頭の巡りは悪い。いつも考えている間に何も言えなくなってしまう。その点、試験は良い。たっぷり考えてから臨めるし、顔色をうかがう必要もない。知っているとおり、思ったとおりのことを充分にある制限時間の中で書けば良い。
人と話すのは難しい。
友達が「転職が決まったんだ」と言った時、僕の思考回路は停止した。
親友だから、転職活動の話は聞いていた。行き先は東京。いろいろ相談されて、僕なりに冷静にアドバイスもした。総合的にみて、この転職話は叶えば彼のためになると思った。
思って、そのように言った。
でも、本当にその決断を下すとは思っていなかった。
彼が僕から離れるわけがないと思っていた。決して僕から離れないと信じて疑わなかったのだ。
彼の名前は浩二という。
中学の時に知り合った。
ロボットコンテスト、という企画を知っているだろうか。僕は小学生の頃から憧れていた。実際に、身の回りで手に入る材料があれば、動く物体を作ってみたりしていた。
浩二も中学の時に同じテレビを見て、ロボット作成に嵌まった。僕が部屋でひっそりと作業をしていたのに対し、彼はその情熱でロボコン部を作ってしまった。
最初の部員は二人。浩二と僕。
翌年には後輩が入ってきて部員が増えた。部はいまでも存続している。
同じ高校に進んだ。
ロボコン部を作った時に、僕らは高校生になったらロボットコンテストに出るという約束を交わしていた。
アイデアとデザインは浩二が、設計・製作は僕が中心となって進めた。元々のアイデアは、浩二が中学生の時に言い出したものだった。
結果、本戦出場は叶わなかった。
県内の高専チームに負けた。
当時は、「高専は環境が整っているから…」と自分たちに言い訳をしたが、今なら負けた理由が分かる。正直、浩二のアイデアは高校生向きでなく、僕の設計力も足りなかった。
当然のように、大学も同じところへ進んだ。下宿は隣同士の部屋を借りた。
そしてその頃には、僕は気付いていた。
浩二の気持ちが、僕に向いているということに。
作業中、僕が何か説明をしていてふと顔を上げると、浩二は製作物ではなくて僕の顔をじっと見ていることがあった。
「ん、どうした?質問?」
僕が首を傾げると、彼はバツが悪そうに俯いてしまう。
「…なんでもないんだ。続けて」
そう促され、僕はなんでもないような顔をして説明を続けた。
どちらかの部屋で疲れて寝てしまったとき、先に目が覚めたと思っている浩二は、よく僕の髪や頬に触れていた。優しく撫でる手つきは心地よかった。
僕はひたすら気付かないフリをしていた。
気付いてしまったら、困るから。
僕は浩二の親友というポジションが気に入っていたから。
彼の気持ちに応えるつもりは、全くなかったから。
そのうち浩二にも彼女ができた。
でも僕は全く気にしていなかった。
彼女がいて尚、僕とロボットを優先する浩二の態度が、却って僕の心を充たした。
彼女がいて尚、浩二は眠っている僕の頬にキスをすることをやめなかった。
本当は僕が好きなんだろ?
浩二の気持ちを知りながら、知らないフリを続けることが、僕の悪い悪い『ひそかな楽しみ』だった。
分かるかい?
これが僕の暗い暗い『腹の底』というヤツだ。
君の深い感情の渦に巻き込まれるのは嫌だったんだ。僕はいつも僕らしさを失わないでいたかった。
結婚するんだ、という言葉を僕はぼんやりと聞いていた。
僕は夢を追って大学院に進み、ついには助手の立場も手に入れて研究を続けた。そして浩二は地元の新聞社に就職していた。
相変わらず部屋は隣、毎日のように会っていた。
『結婚したら、さすがに隣の部屋には住まないだろう。家が遠くなるな』と、僕はうすらぼんやり考えていた。
「おい、聞いてるのか」
「…うん。おめでとう」
僕が祝いの言葉を述べると、浩二は「ははは」と笑った。乾いた笑いだった。何かを期待していたのだろうか。それとも、僕の態度は、彼の予想通りだったのか。
「お前は本当に驚かないね」
「…だって、そんな気がしてたし、もう二十六だし」
そうだ、結婚のことは予想がついていたのだ。今の彼女は付き合いが長い。
「お前ね、自分は彼女もいないくせに」
浩二はそう言って笑った。
「それは関係ないだろ」
僕も笑った。
「それとさ、ずっと相談してた転職の件、あれも決まったんだ」
浩二にとっては、転職よりも結婚の方が僕を驚かせる材料だと思ったのだろう。確かに転職の相談は受けていて、結婚の話はこの日が初耳の情報だった。
けれども、僕を仰天させたのは、彼は付け足しのような扱いで告げた『東京への転職』の方だった。僕は驚きで声も出ず、ただ彼の顔を見つめた。
「式は三月中にこっちで挙げて、それから向こうへ引っ越すことにしたよ。お前も式には呼ぶから、祝儀を倍入れとけよ」
幸い、浩二は僕の変化に気付かなかった。気付かないまま、いつしか話は世間話に戻った。僕は心臓がバクバクと音を立てて暴れるのをなんとか抑えようとした。めまいがしていた。浩二が僕と物理的に距離を置くなんて想像もしていなかった。僕が好きなくせに、どうしてそんな所へ行くのだろう。もう僕を好きでいるのはやめたのだろうか。そうしたら、僕はどうすればいいのか。
自分も彼を好きだ、という単純な事実に気付いたのはこの時だった。
好きだけど、彼に見返りなしに大事にされていることを知っていたから、僕から彼になにかアクションを起こす必要は無かった。僕は浩二に誰より愛されていて、そしてそのことが何よりも大事だった。お互いに気持ちを伝えないからこそ成立する無条件の愛。そのうつくしい完成形は、言葉にすることで壊れてしまうのだ。
我が儘だと言われるかも知れない。
けれども僕は、彼との十五年をそんなふうに築いてきた。
僕のひそかな楽しみは、いつしか高次の愛へと昇華していたのだ。
彼には不本意な部分もあったかも知れない。でもそれも含めてそれが僕らの形だった。
結婚式のその日、彼は妻に永遠の愛を誓うことで僕にも永遠の別れを告げた。
それが、僕らが交わした二つ目の約束だった。