トラウマと偽乳
藤村から逃れるようにゲームセンターから出て、隣の公園に向かった俺たちはベンチに腰掛けていた。
公園は最近よく見かける遊具だけ設置されていて他は何もない狭苦しい場所ではなく、ジョギングをする人達のために起伏のある遊歩道が舗装されていたり、子供が遊ぶための広場は芝生を植えられていたりと充実している。木もそれなりに植えられているために外から見えることはないだろう。
俺は辺りに藤村のほかに誰もいないか確認した後、ガックリと項垂れた。
「はぁぁー。疲れた……」
肩こりがほぐれたような気持ちになる。
「まさか追ってくるとは思っていなかった……」
「僕は予想してたけどね」
「予想してたなら俺にも教えてくれれば……」
「じゃあもし、雄一に元カレ追っかけてくるよと言ったらどうするつもりだったの?」
「……それは」
「どーせ、辺りを警戒しすぎて自然なデートなんかできなかったんじゃない?」
「うっ……」
全て和音に言い当てられた俺はなにも言えずだんまりになると、和音は俺の背中に優しく触れてくる。
藤村の時みたいに悪寒が走ることはなく、和音の手から伝わる温度が心地よかった。
「雄一追い詰められすぎだよ。生まれたての小鹿みたいな足取りをしていた」
「見てたのか」
「まぁね。それも考慮していた」
「面目無い」
ヘラヘラと笑う和音は先程の女性の雰囲気はなく、二人でいる時の気怠げな雰囲気を覆っている。
和音がいつもの和音ではなく、女装をしている時の和音が隣にいる時、妙に体の力が抜け切れない緊張感を持っていたのを気付いていたのだろう。
俺はじっとりと濡れた髪の毛に気持ち悪さを感じていると、和音はカバンから制汗シートを渡してきた。
制汗シートの香りはメンズ向けではなかったが、無いよりマシだろうと割り切り一枚貰い腕や首元を拭いた。
「でも元カノに振られて日が経ってないんだもんね。雄一がああなっちゃうのもしょうがない」
「藤村が目の前にいると、なんか気分が悪くて……」
「それはトラウマだね」
トラウマなのか。と俺は答えると、自信満々で和音は頷く。
「それ以外ないでしょ。恋愛をしたことがないと豪語するくらいに強メンタルを持っている素人童貞の雄一だとしても、初めての彼女に振られれば男は誰しも傷つくよ」
「おい、素人童貞は余計じゃないのか?」
「実際素人童貞でしょ?」
まぁ、そうだけどさ。言い方とかあるじゃん。堅気とか、硬派とかさぁ。
でもどちらにしろ、それらの言葉は全て俺の悪い部分を良いふうに言い直しただけで結局はただの素人童貞に変わりはないと和音が言いかねないのでぐっと堪えた。
「そんな雄一にクエスチョン。傷心中の時に元カノがなんでもないように目の前を歩いたらどう思う?」
クエスチョンって今時言わないぞ。
でも傷心中の時に藤村がなんでもないように歩いていたらどう思うか……。
藤村の愛くるしい顔。その笑顔が俺ではなく、ほかの男に向けられていたら……。
「ムカつく。というか悔しくなって息苦しい」
「あとは?」
「……死にたくなる。幸せそうな顔を俺以外に見せるなって思う」
「嫉妬深いなぁ」
「悪いかよ」
「ううん。それくらい普通だよ。それを僕に向けてくれたらいいのに」
「お前は男だろ」
「まぁ、そうだけどね」
和音はくすくすと笑っていた。
「どちらにせよ気持ちの整理がつかない時に、相手が優しく話しかけるのは傷に塩じゃなく毒を塗り込む行為と変わらない」
今回は藤村と別れて、俺が傷ついている事を分かっていてそして接触してくるのが問題だ。その時点で藤村は悪意で、俺を嘲笑っているんだと和音から説明を受けた。
つまりあの時の藤村の優しさは、妙に距離が近いのは、全て偽物だったのだ。俺の心の傷口に染み込む甘い蜜は気持ちを溶かそうとするあの優しさではなかった。悔しさのあまり俺は両手でズボンを強く握りしめた。
「ちなみに、僕のところには元カレの彼氏来たよ」
「なんだって、藤村は彼氏が一人でゲームをしてるからって……」
「そんなの嘘に決まってるじゃん。元カノが彼氏を利用して僕の情報を仕入れようとしたんだろうね。汚い人間だ」
気持ち悪いくらいに馴々しい男だったと和音が苦々しい口ぶりで言った。
「大丈夫か? 連れ込まれたりとかしなかったか?」
「平気平気。突き放した口調であしらっていればいいし、それに行く手を阻んだら大声を出せばいいし。その時は雄一、助けてくれるんだよね?」
「もちろん。お前は俺の同居人だからな」
「同居人……ね」
どうして和音は悲しそうな顔をしていたのだろう。
和音のその表情を見ると、不安が心臓を掴まれるような痛みとなって感じた。
「まぁ、トラウマなんて彼女とひどい別れ方をした時に起きるからすぐに治るよ。誰でも起きることだし」
和音は、さっきの悲しそうな表情を隠し何事もなかったかのように話す。
過剰な詮索はよくないと俺は判断しそっか、とだけ呟いた。
「それよりもさ、さっきから雄一目が泳いでるよ」
「え、そうか?」
「そうだとも、なに僕に変なものついてるの?」
「いや、ついてない」
和音には変なものはついていない。それは事実だ。
問題があるのは俺にある。
「えー、じゃあどうして僕を見てくれないのかな? もしかして僕のこと可愛いって思ってる?」
「そ、れはっ……」
「この際だから言いなよ。僕のことが可愛いってさ」
恥ずかしそうにしている俺の顔を一眼見ようと和音は覗いてくる。ニヤニヤとしたその顔は無邪気で悪戯好きの小悪魔みたいだ。
だが俺の視線はそこではない。
和音の服装からちらりと見えた二つの膨らみ。
その膨らみは一般女性の中では小さい方だ。藤村と比べても一目瞭然である。
偽乳だ。分かっている。これは偽乳だ。
……でも俺には刺激が強すぎる。
「……おっぱいが気になるの?」
そしてそれが和音にバレてしまった。
「い、いや!? 別に気になってねぇよ!?」
「嘘。雄一の目線、僕じゃなくて胸にいってるもん」
「そ、そんなことない!」
「声、上擦ってるよ?」
「……」
「雄一って昔から不味いことがあると黙る癖あるよね」
隣でクスクス笑う和音に俺はムスッとした。
男だから仕方ないだろ。女性の胸とか気になるじゃないか。
だんまりを決め込んだ俺に、和音はごめんごめんと軽い調子で謝ってくる。そして一頻り笑った後和音は色っぽい声音で、
「ねぇ、触ってみる?」
と、尋ねてきた。
「は、はぁ?」
「大丈夫、大丈夫。これは偽乳。モノホンのおっぱいじゃない」
「いやいや、周りの目を気にしろよ!」
「と言ってもこの公園にはボクたち以外にはいないよ?」
「だとしても、それは時と所と場合によるって言ってな……」
俺の発言を無視し和音は強引に俺の手を自分の胸へと引き込んだ。
「あ、えっと……」
「……どう、柔らかい?」
柔らかいと言うか……心臓音を感じた。
偽乳とはいえ、その胸は大きくはない。そのため普通より早い鼓動を手で感じることができた。
服の上から和音の胸に触れる手から、視線をあげる。
くすぐったいような顔つきをしている和音が俺を見ていた。
「……ドキドキしてる」
「それ、雄一もでしょ?」
「……偽乳だよな?」
「もちろん」
一瞬だけ気の迷いが生じる。
揉んでもセクハラにならないだろうか。いや相手は男なんだ。だけど、同性でも猥褻行為は起きるから。と俺は……迷走し始めていた。
「……んっ」
「……あっ、ごめん」
気づけば俺は和音の胸を鷲掴みしていた。
ふにゅんとした感触に和音は一瞬だけ甘い声を漏らし身を捩らせていて、和音の甘い声に俺はびっくりして手を離し条件反射で謝罪した。
「ほんとごめん。わざとじゃなくて、その……」
「いいよ雄一。元々は、ボクが誘ったことだから」
和音は恥ずかしそうに赤く染まる。俺は言葉が出なかった。
和音は男のはず。それなのにどうしてこんなに色っぽく見えるのだろう。
なんで、こんなに和音が綺麗に見えるのだろう。
俺たちは顔を見合わせるのをやめて一緒の方向を見つめる。
広場にはオベリスクのような形の時計塔があって、その時刻は十五時になろうとしていた。
「……帰ろっか。雄一」
「あ、あぁ、そうだな」
「自転車、取りに戻らないとね。アシ、お願いね」
俺達は公園を後にしてゲームセンターに置きっぱなしの自転車を回収する。そして和音は自転車の後部座席に座り俺の腰に手を回した。
その腰に触れた部分が、酷す熱く感じた。