復讐の前日譚
「なんでもって……なにをするつもりだ?」
それは数日前……藤村美咲と別れ、傷心状態の俺に飯田和音が復讐をしようと持ちかけられた時の話。
口角を漫画でしか見たことのない位に持ち上げる和音がいた。
俺の知っている和音は、感情の起伏が激しくなく性格も能動的か消極的かというと消極的なイメージがあった。その俺が知っている和音からかけ離れた和音が目を細め俺を見ていることに恐怖を感じた。
和音は先程の発言に意気揚々と答えた。
「なんでもはなんでもだよ。殺害とかの犯罪は流石に無理だけど、次の恋愛に妨害をしたりとかの雄一の元カノにぎゃふんと言わせたりとかね」
「痛い目にあってもぎゃふんなんて言わないだろう藤村とか今時の若者は」
「じゃあコテンパンとかは?」
「そっちの方が若干ナウい感じにはなってると思うけど、コテンパンにされても絶対ぎゃふんとは言わないと思うぞ」
「今時の若者がナウいなんて言わないと思うけど?」
「……ぎゃふん」
けらけらと和音に笑われて、ばつが悪い思いをした。
「じゃあボロクソで。その元カノをボロクソにしてやろうよ」
和音の提案に、俺は首を縦に振ろうとせず俯いた。
俺は藤村美咲に振られた。怨恨もある。だがしかし、果たしてその怨恨は晴らしていいものなのかわからなかった。
人を呪わば穴二つという諺と同じように、俺が藤村にしたことがいつしか俺に来るんじゃないかと思っていたからだ。
「そんなに気負うことはないんじゃない?」
「え?」
思わず顔をあげる。
先程の悪魔みたいな笑みではなく、呆れていた。
「どーせ変に凝り固まった正義感かなにかで、思いとどまっているんでしょ?」
「まぁ、……そう言われるとそうだけど」
「全然かっこよくないし。むしろそんなことされてやり返さないなんてダサいよ。ノーガードで殴られ続けられているのに全然やり返さないボクサーみたいなもんじゃん。それ」
「うぐっ……」
ぐさりと言葉の刃が胸を貫く。
確かに俺が今していることは、ただ歩いているだけなのに勝手に肩をぶつけてきた上に因縁つけられて喧嘩を売ることもせず暴力を振るわれたにも関わらず何も訴えないような奴なのだろう。
客観的に見てダサいというか……へっぴり腰のように見えた。
「これは大学生の大人になる前の仕返し。子どもがするやり返しと変わらないから」
「でも……」
「でもとか、だけどとかは無し。元カノがしてきたは、いつかは元カノに返っていくよ。僕達が行うことは、いつか僕達に返ってくるものじゃない。今元カノに返っていく罰だ」
物はいいようだと思った。
しかし、そう言われてしまえばそうなのかもしれない。俺は悪くない。俺は勝手にぶつけられて暴力を振るわれた通行人Aでしかないのだ。
「やるの? やらないの?」
和音は返事を催促する。
選択肢はない。ここでやらないと一言言えばきっと意気地なしとして残りの大学生活を送らなければならない。
そんなのはいやだ。理不尽なことに襲われても平然としていられる人間などいない。
二度三度とゆっくりと深呼吸をして気持ちを整理する。
覚悟を決めろ、俺。
「……わかった。やるよ。復讐」
喝を入れた俺は、和音の提案を受け入れた。
「よし、そうこなくっちゃ」
「俺はどうしたらいい? というか復讐ってまず何をやるんだ?」
「なに、簡単なことだよ」
和音はニヤリと笑うと俺の目と鼻の先に指先を突き出した。
「今カノを手に入れる」
「……はぁ?」
◇
「……で、まさかここまでの完成度とは……本当恐ろしいな」
「んふふー、そうでしょう。ボクの実力に恐れよ」
視聴覚室のライトは消え周りがうっすらとしか見えていない中、俺はちらりと横に座っている和音を見やる。
和音の服装はラベンダーカラーのVネックニットにベージュに近い色のスラックス姿だ。
Vネックの首元から胸が広く見えていて色気があって、さらに女性っぽい香水をつけているのか甘い香りの中に落ち着いた香りが混ざり合い初夏を迎える女性の雰囲気が、彼の周りに散りばめられているようだった。
和音が前に言っていた作戦……今カノを手に入れるとは、和音を女装させて彼女にするという『偽装恋愛』をすることだった。
「……ん? どうしたの?」
「いや、なんでもない」
暗い中で和音と視線が合う。
和音は男だ。男だと分かっている。二年の付き合いだし、偶然和音の裸姿とか見たこともある……しかし俺は目を逸らしてしまった。
どうしてこんなにもドキドキするんだ。おかしいじゃないか。相手は男だぞ!?
「……そう、ならよかった」
「はぁ……」
本当は分かっていたさ。元々和音の素材自体は女性に近いものだということくらい。
だけど、ここまで完成度が高いのは聞いていない。
俺の想像ではそこまで女性っぽくなく……いや、女性だけどよく見たら男性というレベルだと思っていた。
改めて和音の姿を確認する。
胸のあたりにある二つのふくらみ。どう考えても女性特有の柔らかい胸に違いないだろう。
……やっぱり女性だと勘違いをしてしまう。
「ねぇ、雄一」
「なんだ」
「元カノってどこ?」
そういえば、和音は藤村のことを知らなかったか。
付き合い始めた事は和音に報告しただけで詳しくは教えていない気がする。
「……右斜め前の茶髪の奴」
「へぇ……可愛いじゃん。スクールカーストで上位にいつもいてクラスの人気者って感じだね」
「大体そんな感じだな。藤村はクラスの人気者だし……って和音。あいつ俺たちと同じクラスだぞ」
「興味ない」
「あ、そう……」
考えてみれば和音は始めこそ人当たりは良く周りに女性が集まっていたのだが、ある日突然一匹狼のような雰囲気を作り出したことで女性に絡まれることがなくなった。
一回生の時も全ての必修科目の出席数は全てギリギリで単位を取っていた。
大学デビュー失敗した典型的な奴だと思っていたが……これは単純に特別な関係を持つ気はないという意志の現れなのだろう。
ちらりとスマホの電源をつけると、講義終了まで十分もなかった。
「和音。これで復讐はおしまいだろ?」
今回の出来事だけでも十分な成果だった。
藤村の視線をこちらに向けることができた。
それは藤村にとって、私に振られた男が傷心しているところを見たかったはずなのに別の女を作ってベタベタとくっついているところをみればそれは衝撃的だっただろう。
十分すぎる。この後藤村から内々であの女は誰と聞かれるに違いない。
しかし、俺の発言に対して和音は首を横に振った。
「まだだよ。これからがもっと楽しいのに」
「はぁ? 何をするつもりだ」
和音が俺にニヤリと笑いかける。
「この後暇でしょ? デートしよう? デート」
「なんでだよ。和音とデートをする必要がどこにある」
これじゃあホモデートだ。となれば和音、お前もホモということになるぞ。
しかし和音はそんなことを気にしておらず、むしろ呆れている顔をしていた。
「もし万が一この講義が終わってその場で別れたらどうなると思う? この状況はデマになるじゃない。そうなれば雄一、これがあの元カノへの当てつけだと思われてしまうよね。その事実がバレてしまったらどうなる? スクールカースト上位の権利を利用して寄ってたかって雄一を袋叩きするよ? 『あいつは私に振られた腹いせに別の女と付き合ってるのを見せつけてきた』ってね。だからボクたちは付き合っているという事実を見せつけるのさ。元カノだけじゃなくて、その場にいる奴ら全員にだ」
「……なるほど。俺の保身か」
「そういうこと。それに……ボクと付き合ってみるのも案外楽しいと思うよ?」
途中で女装した時の声になるのやめて。
後耳元で吐息まじりで囁くのやめて。動機が激しくなるから。