ルームメイトは不気味に笑った
悪酒を飲んだかのようなふらふらとした足取りでたどり着いた場所は、現在在学している大学から少し離れたところにある五階建てでグレーと白の横縞の外観はまるで某レ○パレスを彷彿させる建物で、そこは大学が学生寮として用意している男子寮だった。
この寮は男が二人一組で共有の部屋を使う『ルームメイト制度』がある。
寮長からは、ホームシック防止のためとかいろんな理由などをかこつけて述べてはいたが、大体の理由は経費削減で間違っていないだろう。
寮生活を始めた当初、インスタントの味噌汁を口にした時、毎日頂いていた穂花の味噌汁の味を思い出しホームシックでメソメソしていたのを懐かしく感じた。
重い足取りで階段を登り借りている四〇三号室の前に立つと、換気扇から温かい風と共にほんのりと味噌汁の匂いがした。
鍵穴に部屋の鍵を差し込み右に捻ると、ガチャリと鳴る。
「ただいまー……」
中へ声をかけ玄関でもたつきながら靴を脱いでいると、後ろからパタパタとスリッパの足音が近づいてきた。
「お帰り雄一、ご飯にする? お風呂にする? それとも……僕?」
「それ、男に言われても全然嬉しくないセリフトップテンに入るから是非やめて欲しいし金輪際言わないでほしいんだけど」
「あれ、帰って早々不機嫌だね。何かいいことでもあったの?」
「不機嫌なのにいいことあったのかいってさ煽ってるようにしか聞こえないんだが」
ボケてくる発言に返事をしながら振り返ると、俺より少し身長が低いくらいの男がアニメでよく見る若奥様がつけていそうな薄桃色のエプロンつけて立っていた。
「あれ? 新婚さんごっこ所望してなかった?」
「してないしする気もねぇよ。お前あれだろ、今日の十二時五十五分頃に放送されていた新婚さんいらっしゃいでも見ただろ」
「あ、わかった? 面白いよね」
「たしかに面白いけどさ……いや、違うじゃん?」
にやにやと笑う男の名前は、飯田和音と言う。
同じ大学に通っており、そして男子寮の四〇三号室の住人である。つまりは俺の同居人だ。
休日一時間ほどランニングをこなしそれなりに体が引き締まっている俺の体に対し、和音は枯れた枝木のような長く細い印象がある。
腕も少し力を入れたらすぐに折れてしまいそうで、組み合ったら簡単に組み伏せてしまうほど非力に見える。肌も生きているのか生きていないのか、血が通っているのか通っていなのかわからないくらいに色白だ。そして髪の毛は綺麗な亜麻色だが寝癖でボサボサと台無しで、インドアなイメージがあった。
だがそれは長年の付き合いである俺の感想であって、初めて顔を見合わせた人から見れば印象ががらりと変わるだろう。
亜麻色の髪がボサボサではなくそして伸びていれば女性と見間違えそうなほどに中性的な顔つきなのだ。
「和音はずっと家にいたのか?」
「んーん。雄一が出て行った後くらいに起きてー、ぼんやりテレビを見た後、買い物に行ってー、ご飯作ってた」
歯切れが良く落ち着いた声音でやってきた事を俺に教えてくる。
「……どうしたの? もしかして僕のエプロン姿に見惚れた?」
和音は俺がじっと見つめていることに気づくと、ニヤリと笑いながらエプロン姿を見せるため、エプロンの裾を摘んてみせた。
はっきりいうと目に毒である。
よく見るとエプロンの端にはフリルがこれでもかと言わんばかりにつけられている。
身につけている人物が女性ならばその派手さを許容できる。しかしそれが男性でなおかつ同居人となればそれは違った。
「なんかもっとマシなエプロンはないのか。深緑色の質素なやつとかさ……」
「そんなこと言われてもなぁ……。実際僕が持っているエプロンってこういうのしかないんだよね」
「お前もしや部屋に訪ねてきた人をそのエプロン姿で応対とかしてないよな!?」
「ちゃんとエプロン外してるしそれにいつも玄関の鍵閉めてるから」
余裕の表情を見せる和音に、俺は不機嫌になる。
「そういや今日早く帰ってきたね。門限まで帰ってこないかもって言ってなかった?」
「あー……まぁ、それなんだけど……」
俺は和音の隣を通り抜け、リビングへと向かっていく。
「フラれました」
「だぁーっはっはっはっはっ!」
笑われた。そりゃもう大爆笑だった。
和音が大きな声で笑っているのを初めて見たかもしれない。
彼と同居して結構経つが、ほとんど愛想笑いに近いような笑い方しかしてない気がする。
俺はリビングの真ん中に設置されている三人掛け用のソファーに体を預けた。
「むかつくなぁ。別にフラれてもいいじゃないか。袖振り合うも他生の縁っていうだろ」
「それをいうなら一期一会だろう。それでも、一ヶ月で……ふふふ、フラれるとか、くくっ、いやほんと面白い」
「どうとでも言え。あー、帰ってくるまでには傷心が癒えたから普通に帰ってこれたのにさぁ。まーたずたぼろだ。どっかの陰キャのせいで」
和音に悪み口をいうが効果はなく肩を震わせて笑っていた。
あぁ、もうどこでもいいから穴を掘って隠れて死にたい。
和音は一頻り笑ったあと、呼吸を整え俺の隣にすわった。
「人三人が座れるんだからもう少し離れて座ってくれないか」
「いやだ。フラれたやつの顔を見るのは楽しいからな」
「……腹立つなぁ」
舌打ちをした俺はこれ以上見られないようにそっぽ向いた。
「それで、フラれた理由はなんだったの?」
「距離があるような気がしたから別れたいっていう理由だった。きっと浮気だろうな間違いない」
「ほう、浮気……ね? でもそれ本当に浮気なのかなー?」
「何が言いたい」
低い声で圧をかけた俺に対して和音はニヤリと笑った。
「雄一は結構モテるの知ってた?」
「え、そうなの?」
突然のモテ期宣言に困惑した。
「雄一はモテるよ。身長百九十センチで毎日筋トレとかしてるから体引き締まってるけど、服を着ると着痩せするっていうギャップがあるし、睨んでるように見えるけど実際はスマホゲームのやり過ぎでただの睡眠不足なだけとかさ」
「……それ、誰情報? あっちでスマホゲームやってるの見せた事ないんだけど」
「……んんっ! 兎にも角にも? 雄一は普通に大学生活をしてるだけで逆に女の子が周りに来るタイプなんだよわかるかね?」
「お、おぅ?」
でも女の子が周りに集まってくるっていう激レアな展開がなかった気がするんだけど……その結果ダメ元でアイドル的存在の藤村美咲に告白したら付き合う事になって嬉しかったのを覚えている。
「逆を言えば雄一はモテるのに、話しかけられるまでに至らなかった。変だと思わない?」
「なるほど。俺はモテるのに女の子から来ない理由があった……という事?」
例えていうなら、獲物が目の前でうろついているのにもかかわらず猛獣達は襲えない……ということだ。
和音は指を一本立てくるくると揺らす。
「そゆこと。じゃあそのような状態にした犯人は誰だと思う?」
「……まさか」
「そう、そのまさかだ」
獲物を襲うことができないなら、獲物から来るように仕向ければいい。
つまり、俺が告白した人が犯人となるのだ。
「まぁ、大方ステータス稼ぎが目的だろうな。いい男と付き合うってことはそれなりに付加価値があるからね」
「意味わっかんねぇ」
種明かしされた俺はショックのあたり思わず漏らした。
和音はソファーから立ち上がるとこちらを見ないで背を伸ばした。
その和音の後ろ姿を見た俺は項垂れた。
「悔しいなぁ。勢いに任せてセックスとかしたらよかったのになぁ」
「そんなことしたら強制わいせつ罪でつかまって大学から除籍処分されるだろうね」
「口にしただけだ。するはずがないだろう」
「知ってるよ」
独り言だ。
目の前にいる和音は男性だから別に抵抗はないだろう。
「……復讐したい?」
和音が一言囁く。
顔を上げると和音は変わらず背を向けていた。
俺と同じ身長で細身の体は、まるで栄養失調みたいに痩せこけた悪魔のようだった。
「復讐して、ざまぁみろ。って言ってやりたい?」
「なんで……、そんなことができるのか?」
俺の発言に、和音は振り返る。そして自信に満ちた表情で口を開いた。
「もちろん。雄一が望むなら僕はなんでもするよ」
和音は手を差し出してくる。
「あのクソ女に復讐してやろう」
気怠げなルームメイトの口は三日月みたいに歪んでいた。