一組のカップルが別れた後の話
まずこの話をするにあたって、一つ俺の持論を伝えておこうと思う。
人は皆、秘密や隠し事を持っている。
それは西田雄一と言う俺や、すれ違う人や、多分俺と一度も顔を見合わせたことのない人や、下校時間みんなで仲良く歩いている子ども達や、母親に押されているベビーカーの中ですやすやと眠っている赤ん坊ですら全員、何かしらの秘密を持っていることだろう。
そして先程述べた人を含め全人類皆、それぞれ違う秘密や隠し事を抱えている。
例えば右斜め前から此方に歩きながらスマホ越しに誰かを怒鳴っている三十手前の男性は、一見髪の毛ふさふさに見えるが実はヅラで育毛剤にお金をかけているとか。
例えば左真横から出てきた十八歳の女子高校生は見た目清楚系だけど、実はビッチのヤリマンで何人もの男達と経験していて誰かもわからない子どもを身篭って二ヶ月目なんだとか。
例えば先程の集団下校をしていた子ども達は一見仲良く歩いているように見えて、それぞれがそれぞれの悪口を言い合っていてそれがバレたら空中分解寸前のところなんだよねとか。
例えそれらが俺の一方的で差別的で自分勝手な偏見だとしても、人は皆、秘密や隠し事を持っていることに変わりがないのだ。
そして目の前にいる俺の彼女とて例外ではない。
両手を前で組んで親指をくるくると回す彼女は、とても言い出しにくそうで申し訳ない気持ちで今にも泣きそうな顔をしているように見えた。
その彼女の名前は藤村美咲という名前だ。
二十歳で四月十六日の早生まれ。身長百五十八センチ体重四十八キロ、童顔で胸が大きくそして人当たりも良くアイドル的な存在である。
なぜそこまで詳しいのか、ストーカーか何かの類なのかと尋ねられれば何も言うことができなかった。
「……あのね、雄一くん。私達付き合って一ヶ月になるんだけど、別れてほしいんだ……」
「……」
そして彼氏である俺は今日で交際して一ヶ月、藤村に別れ話を切り出されていた。
不思議と俺のメンタルはショックで嵐が吹き荒れそこら中が災害に遭っているわけではなく、鏡面のようなしんとした水面が広がっていた。
それに伴って余裕があった脳は、藤村が何故俺と別れたいと願う理由を予想をしていなかったのかというわけではない。
というか、おおよその理由は至極簡単に予想できるものだった。
ーーー『浮気』だろう。
「雄一くん?」
藤村が俺の顔を覗き込んでくる。それに気づいた俺は思わず体をのけ反った。
「あ、あぁ。ごめんごめん。突然のことすぎて放心してた。とりあえず、なんで別れようと思ったのか聞いてもいい?」
答え合わせを促すように、彼女に問いかける。
「私達デートを重ねたけど、雄一くんは私と距離があるような気がしたんだ。だからこのまま付き合ってもきっとうまくいかないんじゃないかって思って……。だから別れたいなぁって」
「……あ、はぁ。そっすか」
「どうして若者が使いそうな敬語を使うの」
「いや、なんかどう返したらいいのかなって思って」
白々しい返事が自然と出てしまうと同時に、嘘をつくなと副音声ばりに毒を吐く。
主演女優賞を獲得した俳優も脱帽するくらいの涙の演出と情に訴えて畳みかけてくる藤村を白けた目で見ていた。
俺が預かり知らぬところで俺ではない男と裸の付き合いもとい突き合いをして、その男の一物を受け入れて恍惚な表情をしている彼女の顔を想像すると今にも腸が煮えくり返って顔面に目掛けてグーパンをお見舞いしてやろうかと思った。
引き止めるつもりは毛頭もない。
勝手に交際解消を締結しようとする彼女はわざとらしく弱々しい声を出した。
「これからは、さ? 『友達』でいよう? サークルも同じだし、関係を壊したくないし……ね?」
「あぁ了解。じゃあ明日から『友達』ってことで」
「うん。ありがとう。またね」
藤村は握手を求めてきたが、俺は手を握ろうとはしなかった。
宙を浮いていた彼女の手は自分の元へと戻ると、一歩後ろに下がり俺に背を向け離れていく。
先程まで泣きそうな顔をしていた彼女の背中はウキウキとしているように見える。むしろ、その背中は『あぁ、スッキリした』という開放感に満ち満ちた様な雰囲気が現れていた。
「……ふぅ」
彼女の背中が建物の影へと消えるまで視線を送り、そして完全に見えなくなった後、俺はゆっくりと近くの建物の壁に背中を預け赤の他人がうざいと白目を向けるくらいの大きなため息を吐いた。
「はぁー、まぁそうだとは思っていたんだけど……」
おそらく藤村が、俺のような男と付き合う理由があるとするなら十中八九『俺の財布の中身』だろう。
以前読んだ女性雑誌には、付き合う理由のブラックな部分という見出しがあり、その頁に描かれていた円グラフには『財布』という言葉がでかでかと項目欄に書かれていてそしてその割合は六割を占めていた。
つまり統計的に考えて藤村が俺と付き合った理由として、その六割を占める財布のヒモが固くお金をたくさん持っている男に見えたのだろう。
「だが残念だったな。俺はバイトを掛け持ちしてやっと授業料が払える苦学生だぜ。はっはっは……はぁ」
もちろん虚勢だ。正直どうでもよかった。
ズボンのポケットからスマホを取り出し電源を付けようとしたが画面はつかなかった。サイドボタンを長押しして起動を促すと充電器の接続端子のイラストと、真ん中に空になった電池のマークが表示された。
「夜、ちゃんと充電しておけばよかった……」
これじゃあ藤村の連絡先がその場で削除できないじゃないか。
まぁ、多分あっちからブロックにしてくれるだろうし、放っておいても良いような気がした。それにサークルでも仲良くしたいとかほざいていたし残しておくのが吉だろう。
駅ビルから独特なメロディがまったりと流れ始める。目をやると駅ビルの壁に貼り付けられている大きな電光掲示板のデジタル時計が十五時と表示していた。
「……まぁ、思い出にはなったかなぁ」
独り言をつぶやく。
少なからず期待はしていた。あわよくばホテルとかに行ってセックスとかできたかもしれないと想像すらした。
だが所詮妄想は妄想である。女性一人に妄想をしても罪には問われないだろう。男とはそういうものだろう?
今一度空を拝んだ俺は下を向き、とぼとぼと家路につくことにした。