行動が遅い少年の冒険
その道中、シズルは何もすることがなかった。出来ることがなかった。
「うわぁ!」
「そこね!」
強いて言うなれば、悲鳴を上げることで小さな影の存在を知らせる程度だろうか。
その影は、地面を這うように接近してくる楕円体であり、十分に近づくと禍々しい手の形となって襲い来る全長1メートル程の敵である。山に足を踏み入れてから、それなりの頻度で二人はこの影の襲撃を受けていた。
シエラが振り抜いた剣は影を両断し、切断された影は燃え尽きた紙屑のようにどこかへと消えていく。影がどの方向から現れようともシエラは反応し、面倒ながらも出来て当たり前と言わんばかりに、それらを撃破していく。
「あの、シエラさん? 魔物はほとんどいないと聞いていましたが?」
シズルの当然の疑問に対して、シエラは矛盾のない回答を提示した。
「ええ、魔物はほとんどいないわ。これらはただの影よ」
「あ。ああー……なるほどね?」
シズルがシエラにさらなる説明を求めると、魔物というのは種として成立しているものを指し、影は存在そのものが不確かで不安定な「何か」の総称で、謎も多いと教えてくれた。
「魔物の成り損ないって説もあるわね。だから影は魔物と比べて力も知性も乏しいとされているわ」
確かに、知性の低さはシズルも感じていた。
ただ一直線に近づいてきて攻撃する単調さ、仲間がこれほどシエラに倒されても順番に現れては各個撃破される思慮の浅さ。シズルには生物というよりも、知覚範囲に入った敵に真っ直ぐ近づいて攻撃するようにプログラムされた何かという印象である。
「でも、僕じゃ勝てないんだよなあ……」
「そうみたいね。無理しないで」
シエラは微笑みながらまた影を撃破した。
ここに来るまでの間、一度だけシズルが鉈での攻撃を試みたことがある。
その時は影が手の形に変形する瞬間に鉈で撫で斬りにしようとしたのだが、影の人差し指を跳ね飛ばし、しかし中指に防がれ、親指と薬指でのデコピンに足を裂かれそうになったところをシエラに助けてもらった。
情けない。
シズルは心の中で呟き、思う。
この世界でも、他の転生者なんかいなくても、自分はどうやら落ちこぼれらしい。
背後で草の揺れる音が微かに聞こえた。
「後ろだ!」
反射的に叫び、シエラが「わかった」と油断なく踏み込み、現れた影を倒す。
「ありがとうございます。すみません、ホント何もできなくて」
「いいのよ、このくらい。シズルはシズルのできることをすればいいの」
その「このくらい」が出来ない自分がたまらなく悔しかった。
シエラがいなければ自分は山に足を踏み入れた時点で命を落としていただろうし、シエラほどの腕が立つ護衛でなければここに来ることさえできなかったかもしれない。
「お腹空いてきたね? ここまで来たらもう少しだけど、ここらで少し休もうか」
木々の少ない山道の途中、明らかに人の手によって拓かれた一角でシエラが提案し、シズルは快諾した。
「ここは日当たりが良いせいかあまり影が現れないんだ」
「それで整備を?」
「そうそう、これから会いに行く薬師のホンダさんにはみんなお世話になってるからね」
テーブル代わりに配置されている石にクロスを広げていたシズルの手が止まる。
「えっ、薬師さん、ホンダって名前なんですか? もしかして、転生者?」
「そうだけど、言ってなかったっけ?」
「聞いてません、聞いてません」
昼食の準備を再開しながら答える。
「そういえば彼も、あまり戦闘は得意じゃなかったって聞いているわ」
「それなのにこんな山の中に? 一人で?」
「確かに不思議なんだけど、私たちにあまり自分のことは話してくれないの。転生者同士なら何か教えてくれるかもしれないから、聞いてみたらどう?」
「ええ、そうします」
シエラはシズルの気が落ち込んでいたことを見抜いていたのか、二人で昼食の特製サンドイッチを食べている間、慣れない格好で荷物を持ってここまで来れていることや、最初よりもかなり反応が良くなっていることなど、シズルの良いところを楽しそうに語った。
「シエラさんは旅には出ないんですか?」
明るいシエラの調子に乗せられて、気が軽くなってきたシズルはそんなことを尋ねた。
しかし、なかなか返事が返ってこない。
尋ねてはマズい内容だっただろうかと、シズルが不安になってきた頃にシエラは口を開いた。
「私はね、パーティを組んで旅をしてみたいの」
シズルはやっぱりと思った。
転生者であるシズルの能力によっては、旅の安全性を上げることが出来たかもしれない。シエラにとって、それは大いに期待すべき部分だろう。しかし、実際の戦闘では自分でも倒せる影のひとつも倒せない、ただの足手まとい。
シズルは言葉に詰まった。
「あの、パーティっていうのは、旅の仲間のことで……」
「ああっ、すみません。大丈夫です。そこは分かっています」
自分で聞いておいて反応できなかったことを反省するシズルに、シエラは言葉を続けた。
「シズルさんが……もし良ければなんですけど、私も連れて行っては貰えませんか?」
シズルは自分の耳を疑い、自分ひとりでは街へ行くことすら困難ではないかと思い始めていた矢先、混乱は増すばかりだった。
「え、そっ、それは僕にとっては嬉しいことですけど、いいんですか? こんな役立たず。もっと強い転生者が来るのを待っていても良いかと思いますが」
するとシエラは少し遠くを見るような目をして答えた。
「強そうな転生者はこれまで何人か見てきましたが、その、少し怖かったんです。新しい遊び道具を手に入れた子供のように力を振るっているようで」
「あー……」
なるほど、とシズルは思う。
自分だって、もっとわかりやすい強力な能力を得ていたら、そうなっていたかもしれない。
「だけど、どう言ったらいいのかな。シズルさんはもっと、こう、この世界と向き合おうとしている気がして。一緒に旅をするならそういう人が良いなって。ダメでしょうか?」
ダメなわけがなかった。
転生者が勇者や戦士である必要はない。サポート職が必要なのはゲームでも現実でも同じだ。だからといって自分に何ができるかはまだ見つけられていないのだが。
「僕から断る理由はありません。むしろお願いしたいくらいです。ですが、シエラさんが僕を仲間に選ぶのは、僕の能力を知ってからでも遅くないはずです。おつかいが終わったら、また話し合いましょう」
シエラは嬉しそうに、満足そうに頷いて、答える。
「はい! ふふふ、シズルさんのそういうところ、私はとても良いと思います」
――ああもう! 好きになっちゃうだろうがあああ!!
表情筋の動きを必死に制御しながら、前の世界では彼女いない歴イコール年齢の童貞のまま命を落としたシズルは心の中でそんなことを叫んでいた。
そして現在、シズルは目の前で起こったことを呑み込めずにいる。
休憩をとった場所からほんの少し進んだだけの、山道にしては珍しい直線で平坦な道。
そこでシエラが襲撃され、今は血を流しながら地面に倒れこんでいる。
襲撃者はこれまでの影ではない。シズルの目に映っているのは、人間に一対の翼と角と牙と尻尾を加えた、2メートルほどもある漆黒の姿。シズルはゆらめくような羽ばたきで宙に浮いている「それ」が影と魔物、どちらに分類されるかは分からなかったが、その姿を示す言葉を知っていた。
悪魔である。