行動が遅い少年の出発
コルトの宿に宿泊して初めての朝は、日がばっちり昇ってからであった。
「昨晩のせいかな、まさかここまでぐっすりとは……」
昨晩、ウッドルが食器を持って部屋を出てから、シズルは《後回し》する時に「いつまで」かを指定していないことに気が付き、もし何かしらの限界まで後回しにされたら解除されたときに自分の心が耐えられるだろうかと不安になった。
――《後回し》にしたのが「テンパり」で本当に良かった。
そのおかげで平静を保ち、早い段階で解除することに成功した。しかし、後回しにしていた感情が奔流し、枕に顔を埋めて安堵の言葉を腹いっぱいに叫び、満腹と疲労も相まって風呂のことも忘れて眠りに落ちてしまったのだった。
そして現在。朝食と洗面を済ませ、とりあえず外に出てみようとしていたところでウッドルから声がかかった。
「よう、ちょっといいか?」
「なんですか?」
「街へ行くなら路銀が要るだろ? 謝礼をつけるから、これからおつかいを頼まれてくれねぇか?」
シズルはタダで衣食住揃えてもらっているので、謝礼を不要として喜んで引き受けることもやぶさかでなかったが、確かに路銀は必要である。そのことはウッドルも分かっているし、だからこそのおつかいであることもシズルは理解していたので返事は簡単だった。
「はい、僕にできることなら」
「よし。では確認なんだが、お前さん、戦闘において強かったりするのか?」
いざされてみると心苦しい質問である。
「それが、この見た目通り全然なんです」
「ははは、そうか。実はな、俺もそうなんじゃないかと薄々思ってたんだ。色々な転生者を見ていると、やっぱりな、戦える奴ってのはなんとなくわかるもんだ」
「そうなんですか」
「そうなんだ。だが、このおつかいにはホンの少し、危険が伴う。だから護衛を用意しておいた」
ウッドルが「おいで」と合図すると、宿に一人の人物が入ってきた。
金属製の防具を身に着け、腰に剣を携えたシエラであった。
その佇まいたるや、シズルの目には女冒険者のレベル10くらいに見えた。
「シエラだ。まあ、もう知り合いなんだったな。実は彼女、村一番とまではいかないが、かなり剣の腕が立つんだ。今回は彼女に、君の護衛についてもらう。女性に守られるのは不本意かもしれないが、ほら、なんだ。俺は詳しく知らないんだが「ちゅーとりある」だと思って頼むよ」
シエラが一歩踏み出し「よろしく」とほほ笑んだ。
シズルとしては最後の一言で「転生者恒例のアレ」といった雰囲気のものだということを察したので、シエラが護衛として同行することに反対する理由は全くなかった。
「むしろ、こちらからお願いします。本当に僕、全然戦えないので」
シエラが「任せて」と胸を叩き、ウッドルが満足そうに頷いた。
「よし、決まりだな。お前さんに頼むおつかいは、裏山の洞窟で暮らしてる薬師に食料の支給をして、代わりに薬を貰ってくることだ。物はこっちで用意してあるから、要は行って来るだけだな」
「道順は私が分かるから、心配しなくていいわ」
つまりは、安全に気を付けながら荷物持ちをすれば良いということらしい。
シズルが了承すると、ウッドルはシズルの分の装備を出してくれた。
「これらをお前さんにやろう。使い古しだが、十分使えるはずだ」
シエラの装備ほど頑丈そうではないが、いかにも「初心者でも重すぎず、動きやすい」ように見える厚皮の防具に、小さな鉈、そして鞄であった。
「ありがとうございます」
ウッドルとシエラから構造を教わりながら、胴体と両腕、両足に防具を装着し、最後に金属が仕込まれていると思しき、ヘルメットのような帽子をかぶせてもらった。
「結構、重たいですね」
「ははは、頑張ってくれ。これより軽いものだと本当に子供用しかないからな」
「わかりました」
着るものとしてはシズルが覚えている中で最も重いものであったが、重さ自体が耐え切れない程かと言われれば、そこまでではないとシズルは判断した。
「そしてこれが……」
言いながらウッドルが取り出したものは、大きなバスケット。中央で結ばれた布がなければ中身がこぼれ落ちそうなほどに、詰めこまれている。
「運んでもらう食料だ。お前さんたちの弁当も一緒に入ってるから、適当なところで食べるといい」
「わかりました。ありがとうございます」
シズルがそれを受け取ると、見た目を裏切らないかなりの重さであり、バスケットの取っ手が大きく軋む感触が伝わってきた。
「これは、なかなかですね」
「そうだろう。重いから気を付けてくれ」
「はい」
「それじゃあ、行きましょうか?」
シエラが出口を指さし、シズルは頷いた。
「気をつけてな」
ウッドルに見送られて外に出ると、村から見える山側へ歩を進めながら進行方向を指さしながらシエラはこんなことを尋ねた。
「この先に小さい門があるのは知ってる?」
シズルは昨日見て回った時のことを思い出したが、どうにも門を見た記憶がない。
「いえ、わかりません」
「だよね。目立たないところだし、裏の門は昔の名残で残ってるだけだから」
「以前は何かに使われていたのですか?」
「昔はモンスターが今よりも多くて、村の周りに壁や柵を作ってたんだって」
「えっ、今は大丈夫なんですか?」
「うん。今回も私は護衛としてついてきてるけど、多分役目は道案内だけだよ」
「ははは、少し安心しました」
「でも一応、気は抜かないでね」
「はい」
門のある場所にたどり着いても、シズルには一瞬「それ」が「例の門」であることが分からなかった。それほどに門は小さく、また、朽ちかけていた。
「転生者はこういうのを“冒険の始まり”っていうんだっけ?」
シエラが不敵に笑う。
「そうですね」
これはただのおつかい。シエラだって道案内程度の護衛で、魔物もほとんど出ないと聞いている。
――それにしても、初めての村の外が草原じゃなくて山だとは。
シズルが腰に携えた鉈の位置を確認する手には、じっとりと汗がにじんでいた。