女神の導き
「はぁ…」
自宅へと帰る魔導列車に揺られながら、ふとため息をつく。
10年に1度王都で行われる大建国祭の祭典に呼ばれ、一ヶ月ほど王都にいた。
贅を凝らした宿に泊まり、絶品料理を振る舞われ、道行く貴族どころか、王族からも頭を下げられる、普通では考えられないような待遇。
全ては俺の持つ功績によるものだ。
俺の名はマルクス・マイズナー。魔導師である。
その名の通り魔法を使う所謂魔法使いなわけだが、魔導師という称号は普通の魔法使いとは異なる。
ひとつ下の称号である「魔導士」ですら言葉の通り魔を導くもの、すなわち「ありとあらゆる魔法を操る者」に与えられる称号である。
その上である魔導師はその魔導士達の師、つまり魔導士よりも優れた能力を持つものに与えられる称号である。
王都の歴史上では5人しか存在しないらしい。ちなみに俺が5人目だ。
俺が魔導師の称号を得たのは今から大体500年ほど前、当時超大規模な儀式を必要とした「不老の魔法」の簡易化という功績を持って与えられた。今では大国家のトップは軒並み不老者揃いだ。
それから500年の間、魔法の研究を積み重ね、時には疫病やエンペラードラゴンや上位悪魔軍団の襲来などの国家崩壊の危機なんかにも対応してきた。
そうしたこともあり、今や俺は生ける伝説、歴代最強の魔導師、最も神に近い男などと言われ、俺のために大魔導師という更に上の新しい称号を新設するべきなどという話も出ているらしい。
最初の頃はかなり浮かれていたし、国のトップすら頭を下げてくる待遇にいい気分になっていたりもしたが、正直飽き飽きしてきた。
既に現存するあらゆる魔法を極め、地上に存在するありとあらゆる存在よりも強くなってしまい、研鑽を積むという事もなければ競い合う相手もいない。
俺は英雄などではなくただ魔法研究が好きなだけの魔法使いだったはずだ。
いっそ何処か遠くでひっそりと暮らしていたいところではあるが、世界がそれを許さない。
何処に引っ越しても各国の使者が挨拶をしに来るし(俺の作った追跡魔法のせいだが)、祭典への出席を拒否すれば王族が一族総出で頭を下げに来る。大変面倒である。
…そんな訳で俺は昨日まで別に出たくもない祭典へ出ていたわけだ。
「…ただいま」
と言っても誰もいないのだが。ペットでも飼うべきだろうか。だが毎回こうやって1ヶ月近く家を留守にすることを考えると駄目だな…
「おかえりなさい」
突如かけられた返事に顔を上げると、誰もいないはずの家の中、椅子に腰掛け優雅に紅茶を飲む女性の姿があった。
まるで絵画から出てきたかのような美しい女性はこちらを見ると笑顔を向けた。
「…誰だ?」
300年ぶりに鳥肌が立つ気分を味わった。知らないやつが家にいた事…ではない。
目の前の存在の圧倒的存在感。見ただけでわかる膨大な魔力量。
もし敵対することになれば装備もろくに用意してない今の状況では勝てるかどうかかなり怪しい。それほどの力量を感じた。
「ご挨拶しなければなりませんね。私の名はガブリーゼ。みなさまからは神として崇められたりしてます」
…女神ガブリーゼ。
この世界の主流宗教である三神教で崇められる神の一柱。確かに見た目は教会などで見る絵画に描かれた姿に似ている。
これが偽物なら神の名を騙るなど烏滸がましい行為だが、目の前の存在が放つ圧倒的なオーラは彼女がガブリーゼ様本人であることを納得させるだけのものだ。
だが本物だとして何故俺の家にいるのかは全く分からない。
「…女神ガブリーゼ様が、私に何の御用でしょうか?」
「畏まらなくて構いません。今日は貴方とお話をしたくて来たのです。お茶でも飲みながらお話しましょう?」
そう言って彼女は正面に座るようにジェスチャーをした。
長く生きてきたが、流石に神に茶を振る舞われるのは初めてだ。飲まないのは不敬に当たるだろう。
…茶葉自体は家に常備しているやつだったので味は普通だった。
「…さて、お話ですが貴方にプレゼントをしようと思いまして」
「…プレゼント?」
神から賜る物と言われると何だろうか。神々の技術で作られた神造宝具などだろうか。
魔法学的に興味がないわけではないが、また各国の面倒事に巻き込まれそうな気もする。
「はい。なんでもマルクスさんは隠居生活がお望みだとか」
「まあ…確かにそうですが」
「ですので、異世界での隠居生活をプレゼントいたします」
「…異世界?異界ではなくて?」
「はい、異世界です」
…地上とは別な空間として、天使が住む天界や悪魔や魔人などが住む魔界といった通常と違う「異界」と呼ばれる場所が存在しており、高位の魔法使いなら簡単に行き来できる。
だが、この世界と全く違う次元、「異世界」と呼ぶべきものは、高確率で存在しているが、移動することは不可能というのが現在のあらゆる研究によって導き出された結論である。
俺も一時期研究していたが、この次元と別な次元の間には「黄昏の闇」という異空間が広がっており、そこではあらゆる物質や魔力が形を保てず崩壊してしまう。端的に言うと生き物が次元移動を試みると死んでしまうのだ。
「…異世界への移動は現代魔学では不可能なはずでは?」
「確かに現代の魔法技術では不可能です。しかし、神の力ならば可能です」
神の力と言われると確かに信憑性は高く感じてしまう。だがそもそも…
「何故、そのようなプレゼントを?」
「この世界を平和に導いてくださったことへの感謝が大きいですね。あとは…プレゼントの代わりに私達からもお願いがあるのです」
「何でしょうか」
「転移した先の異世界で、貴方の持つ魔法技術を広めていただきたいのです」
話によると、転移先の世界では魔法技術があまり高くなく、異界からの侵攻を抑えきれない可能性があるとのこと。
それをよく思わないその世界の神様が、魔法技術を広めるために別な世界から優れた魔導師を送り込みたがっているということらしい。
「いかがでしょうか?貴方のことを誰も知らない異世界でのんびり隠居生活をしていただく代わりに、教鞭を執っていただく、というのは」
俺は少し考える素振りをした。答えは決まっている。
「そのプレゼントありがたく頂戴いたします」
俺のことを誰も知らない新天地で、自分の技術を世界に広める。ここ300年間で一番楽しそうである。
それに異世界の魔法技術というのも気になる。研究のやりがいがありそうだ。
「ありがとうございます。ただ…」
「何か問題でも?」
「異世界転移は頻繁に行えないので、もし帰りたいとなっても帰ってこれるのは100年後ぐらいになってしまいますが…構いませんか?」
「構いません」
その程度苦でもない。さほど未練があるわけでもないし、500年以上生きているのだから100年程度なら待っていればすぐだ。
「ではいつ行かれますか?仰っていただければすぐにでもお送りできますよ」
「じゃあ少しお待ちを…」
そう言って俺は席を立ち、家のものを片っ端から自身の収納魔法に叩き込んでいった。
何が必要になるかわからないし、もしかしたら向こうで手に入らない可能性もあるからな。
女神は特に何も言うこと無くその光景を眺めていた。
「…おまたせしました」
「はい、それでは早速向かいましょう。移動中は目を瞑ってお声掛けするまで目を開かないようにお願いいたします。最悪失明します」
「…それは恐ろしい」
失明は普通に嫌なのでおとなしく指示に従っておく。
「では、行きますね」
その声が聞こえた途端、浮遊魔法を使ったときのように体が浮かび上がり、目を閉じているのにも関わらず赤い光が視界を覆った。