八章・素晴らしく最低な初夏の日のこと
この作品は、Eight様の「とても素敵な六月でした」という曲を題材に書かれています。
原曲の歌詞をそのまま流用したりはしていませんが、何処と無く曲の雰囲気が伝わればと思います。
よければ、この作品を機に、原曲を聞いてみて下さい。
「あー、折れてますね」
「ほんとですか」
「はい。しかもかなり」
「まじか……」
「入院ですね」
「入院ですか……」
「はい」
四月。少年――水無月勇弥は部活での骨折で病院に搬送され、医師に入院を言い渡された。部活熱心な勇弥にとって入院による療養はとても退屈なものである。
「まあ、健康には代えられねえか」
「はい、じゃあここが水無月さんの病室です。同じ病室の方がいらっしゃいますがご了承くださいませ」
「あ、はい、わかりました」
看護師に促され、病室に入った勇弥は、同室の人を見て驚いた。
風になびく艶やかな髪。
少し白いきめ細やかな肌。
整った小さい顔。
そこにいたのは、俗に言う「美少女」だった。年は勇弥よりも一つか二つほど下に見えた。
「あ、は、初めまして。水無月勇弥って言います」
少女は窓の外に向けていた視線を勇弥のほうに向け、透き通った綺麗な声で自分の名を告げた。
「弥河梅です。少しの間だけど、よろしくお願いします」
そう言って梅は微笑んだ。
「弥河さんはどうして入院を?」
「病気なの。普段はどうってことないんだけど、たまに発作が出たりするんだ」
「そうなんですね…」
「あ、敬語じゃなくて大丈夫だよ?たぶん私のほうが年下だろうし。って、それなら私が敬語使わなきゃだね」
「だったら弥河さんも敬語じゃなくて大丈夫だよ」
「そう?ありがとう。私この病室にずっと一人だったから水無月くんが来てくれて嬉しいな。…って、不謹慎だった?」
「いや、気にしないで。骨折したのは自業自得だったし」
「骨折かぁ、痛そう」
「病気の苦しさにはかなわないと思うけどね」
病室に入るなり、勇弥と梅はとても仲良くなり、それから二人は、お互いのことを話し合った。生まれ、学校、趣味、色々なことを話してるうちに勇弥は梅に興味を持った。それは梅も同じだった。
「そうだ水無月くん、勇弥って呼んでもいい?」
「ああ、いいけど。名前で呼ばれるのってなんか新鮮」
「そうなの?」
「うん。学校じゃ水無月っていつも呼ばれてるから」
「そうなんだ…あ、私は勇弥って呼ぶから、梅って呼んでよ」
「え、あ、う、うん。いいけど」
「やったぁ」
少し頬を赤らめて喜ぶ梅の姿を見て、勇弥は純粋に可愛いと思った。白い肌に赤い頬が綺麗に映る。
「よろしくね勇弥」
「よ、よろしく梅」
勇弥の入院生活は、恋から始まった。
勇弥の入院生活が二、三週間ほど経った頃、二人の仲はますます深まっていた。そして勇弥の梅へのひそかな想いも次第に膨らんでいった。
この数週間の間、何回か梅は発作を起こした。そのたびに勇弥は胸をハラハラさせたが、少し経ってから戻ってきた梅の笑顔を見るとどうしようもない安心感に包まれるのだった。
「ごめんね勇弥、心配かけて」
「いや、梅が無事でよかったよ」
梅が発作を出して運ばれ、戻ってきたときにはこの会話をするのが日常となっていた。
「なかなか治んないね」
「うん、難病なんだってさ」
「そっか、大変だね」
「まあ、もう慣れたし。勇弥はいつごろ退院?」
「完治するのはまだまだだけど、来月ごろには退院できるみたい」
「おお。よかったね。でも、寂しいなぁ」
「大丈夫、ちゃんとお見舞いに来るよ」
「ほんと!?」
「うん」
「やったぁ」
こんな会話のぴったり一か月後、勇弥はめでたく退院した。
六月初旬。勇弥はいつものように花を持って病院に来ていた。
「久しぶり梅。元気?」
「おかげさまで。っていうか、一週間しか経ってないでしょ」
「まあ、そうだけどさ」
勇弥は窓辺の花瓶に花を挿し、椅子に腰かけた。
「病状はどう?」
「最近落ち着いてるよ」
「そっか」
勇弥は、梅の発言が真実だとは少し思えなかった。表情に一瞬翳りが見えたからだ。勇弥は梅の顔を少し覗き込むと、「大丈夫?」と尋ねた。その返答は、わかりきっている。
「うん、大丈夫だよ」
「……そっか」
「先生もね、良くなってきてるって言ってたの。退院できるかなぁ」
「そっか、よかったね。退院できたら家にでも遊びにおいでよ。母さんも歓迎すると思うよ」
「ほんと!?楽しみ!」
心の底から楽しそうに反応する梅を見て、勇弥は微笑んだ。
「あ、ごめんね梅。これから部活なんだ」
「そっか、頑張ってね!」
「うん、また来るよ」
「うんっ」
勇弥は荷物をまとめ、病室を出た。病室に一人残された梅は俯いていた。その頬に、一筋の光が走る。
病院を出て、駐車場を歩きながら勇弥は考えた。きっと、梅の発言は嘘だろう。そう思い、一人呟いた。
病室で梅は、自分の発言を振り返って嘆いた。なぜあんな嘘をついてしまったのか。と。そして、涙ながら呟いた。
「「……嘘吐き」」
次の週、いつもと同じように勇弥は病院に来ていた。いつもと同じように病室のドアを開けると、いつもと同じ梅が視界に入る。
はずだった。
病室のドアを開けた時に勇弥の視界に入ったのは、蹲って嗚咽を漏らしながら泣きじゃくる梅の姿だった。
「う、梅?」
「……あっ、勇弥。今週もありがとうね」
「う、うん」
梅は勇弥に気づくと、とっさに涙を拭いて微笑んで見せた。その悲しい笑みに、勇弥の胸は締め付けられた。
「なにが……あったの?」
「ううん、なんでもないよ」
「そんな、嘘つかなくても……」
「私ね、たまに怖くなって、ああやって泣いちゃうの。いつ死んじゃうかわかんないから」
「そんなに……重い病気なの?」
「そこまでじゃないよ。ほかの病気よりちょっと死亡率が高いくらい」
「そう、なんだ……」
勇弥は俯きながら梅の元へ歩み寄った。もしかしたら、これで最後かもしれない。そんな確証のない考えが、勇弥の中に渦巻いた。だから勇弥は、口を開いた。
「あのさ、梅」
「ん?」
「俺……梅が」
「違うよ、勇弥」
「え?」
梅は、勇弥の発言を遮った。まるで、その先を聞きたくないとでも言うように。
「私たちは、偶然同じ病室に居合わせただけの赤の他人。それ以上でもそれ以下でもない。違う?」
「……そう、だな」
勇弥は、梅の言っていることがわからなかった。いや、わかりたくなかった。しかし、梅の言ったことは事実。勇弥が退院した後も交流があるなんて、普通はおかしいのだ。そう、勇弥は自分に言い聞かせた。
帰路の途中、勇弥は踏切が上がるのを待っていた。鳴り響くサイレンが、心の内を揺さぶった。これで最後かも知れないという感情が、増幅されていく。
「悲しくなんかない。俺たちは、赤の他人なんだから」
そう、勇弥は自分に言い聞かせた。
病室で窓の外を眺めながら、梅は涙を溢していた。きっとあれで正解だった。何も後悔なんかしていない。はずなのに、こうやって涙が止まらないなんて、どれだけ自分は弱いのだろう。
「さよなら、勇弥」
視界が霞む。意識が遠のく。薄れゆく意識の中で、梅は最期に呟いた。
「とっても素敵で、最低な日々だったな」
家まで残り五分といったところで、勇弥は足を止めて振り返った。何かが、終わったような気がした。勇弥はぼぅっと、工場の煙突から吹き出た煙が立ち上る空を見上げていた。
一週間後、病院の玄関から出てきた勇弥は空を見上げた。一筋の飛行機雲が消えかかっている。
「弥河梅さんは、先日お亡くなりになられました。ご愁傷様です」
受付の係員の言葉が頭の中でこだまする。
「……これくらいあっけ無くて、よかったのかもな」
梅は死んだ。きっと今頃、自分たちのいた病室は自分たちがいた痕跡なんてなくなって、空になっているか新しい人が入っているのだろう。人は死んだあと、いずれ人の記憶から消えていく。
新しい人や物との出会いに掻き消され、透過されてゆく。きっとそれは、自分も同じだと勇弥は思う。天国も地獄も、それに相当するような死後の世界が無いというのなら。こんな残酷な、泥にまみれた現実を、いったい誰がどうやって裁けるのだろうか。
そんなことを考えて、勇弥は一人呟いた。
「また、どこかで逢えたらいいな」




