四章・Restart
「ごめんな。どうやら厄病神は、人を好きになることすら許されないみたいだ」
そう言って少年は、二人の連絡先をブロックした。
「一度でいいから、普通の恋をしてみたかったなぁ…」
少年は一人、ポツリと涙を零した。
十月末。中間考査が終わり、生徒の皆が遊ぶ予定を立てはじめた頃。少年、弥河春樹も例に倣って友人たちと遊びに行く予定を立てていた。
「よし、じゃあ明後日カラオケな!」
「春樹予約よろしくー」
「任せとけ!」
教室を出て行く友人を見送った後、自分の荷物を纏めていた春樹に、声をかける人がいた。
「ね、ねえ、弥河くん」
「ん?なんだ朝倉か。どうした?」
話しかけてきたのは女子のクラスメイト、朝倉柚葉だった。春樹はそこそこな仲がよく、お互い相手がいないときには話をするくらいの仲だった。春樹はクラスでは基本的に男子としか話さず、クラスの外でも他の生徒との交流がほとんど無いが、幸いクラスの皆から野次が飛ぶことは無かった。
「あ、あのさ。すこし話があるんだけど…」
「ん?時間は大丈夫だから聞こうか?」
「あ、うん、ありがとう」
「んで、なんだ話って」
「あ、ええと…」
妙に歯切れの悪い柚葉。春樹はもしやと思ったが、話を続けた。
「どうした?そんなに言いにくい内容なのか?」
「ううん、違うんだけど…」
「じゃあなんだよ」
「その…弥河くんって、好きな人とか、気になる人…いる?」
「…好きな人…かぁ…」
この歯切れの悪さとこの質問。そして真っ赤な顔から察するにこの後自分にかけられる言葉はおそらく一つしかないだろう。かつての自分がそうであったように。春樹はそう思った。
しかし、春樹はこの先を聞きたくはなかった。もう二度とあんな想いはしたくない。その気持ちでいっぱいだった。
「いないし、いらない」
「そっ…か…」
話がこれで終わりじゃないのはわかっている。しかし春樹はあえて問う。
「話は終わり?だったら帰るけど…」
「あっ、待って」
「ん?」
「あの…その…す、好きです。付き合ってください…」
「…」
顔を真っ紅に染めてうつむきながら告げる柚葉。一昔前の春樹ならここでOKの返事をしていただろうが、今の春樹は違った。
「ごめん」
「そう…だよね…いらないんだもんね…」
「ああ。恋なんて、もうごめんだ」
「…」
恋。その単語が頭に浮かぶたびにフラッシュバックする忌まわしい記憶。あんな絶望と苦しみを味わうくらいなら…とそこまで思ったところで春樹はわれに帰った。
「ごめん、変なこと言っちゃった。忘れて」
「…何かあったの?」
「え?」
唐突に自分に投げかけられた問いに、春樹は一瞬戸惑った。そこに柚葉は言葉を続ける。
「辛い恋でもしたの?」
「朝倉には関係ないよ」
「それでも私、弥河くんの力になりたい」
「っ…」
「私に何か、してあげられないかな…?」
純粋に春樹を気にかけている柚葉の姿を、春樹は過去の自分と重ねた。いつかの自分も、こんな風に想い人の力になろうとしたことがあった。だから、春樹は、柚葉の好意を無駄にはできなかった。
「…今はまだ、話せない。俺が心から朝倉を信頼できるようになったら…話してもいい」
「…わかった。私、頑張るね」
「ああ…」
きっとこの時春樹は無意識のうちに、かつて自分が一番信頼したものの、自ら関係を絶った「あの人」の隙間を埋めようとしていただろう。だから春樹は、こう付け加えた。
「それと、さっきの件」
「え…?」
「俺が朝倉を好きになる保証が無くてもいいのなら、付き合ってもいいよ」
「いいの?」
「うん。朝倉がそれで良いなら」
「…ありがとう!」
しかし春樹は、自分が「あの人」の隙間を柚葉で埋めようとしていたことに気づいていなかった。
春樹と柚葉が付き合い始めて早一ヶ月。当初の春樹の心持ちとは裏腹に、春樹も柚葉を想い始めていた。
柚葉の誕生日を翌々日に控えたある日、春樹は花屋に赴いていた。
「あの、すみません。彼女の誕生日に花を贈りたいんですけど」
「誕生日ですね。少々お待ちください」
出迎えてくれたのは、見るからに高校生くらいの少女だった。バイトだろうな。そう春樹は思った。
「お待たせしました。こちらなんかどうでしょう?」
「これは?」
「白のカーネーションです。花言葉もプレゼントにぴったりなのでおすすめですよ」
「あ、じゃあこれで」
そう言って春樹は鞄から財布を取り出した。その様子を見ていた店員は、ふと気づいたように問いかけた。
「もしかして……春樹?」
「え?」
春樹は反射的に顔を上げた。店員と目が合う。そしてその次の瞬間、辞めておけばよかったと後悔した。
「あ、蒼」
春樹は弾かれたようにその場を駆け出した。背後から、蒼の呼ぶ声が聞こえてくるが、無視をした。花などもうどうでもよかった。今はただ、あの場から逃げ出したかった。
「なんで、なんであいつがっ……」
春樹の脳裏に、仕舞いこんでいたはずの思い出が溢れ返ってきた。
家に帰ってきた春樹は、自室に閉じこもっていた。ベッドの上に寝転がり、頭を掻きむしってうずくまっていた。
「なんでだよ……なんで今になって出会うんだよ……」
春樹は運命のいたずらを呪った。ようやく柚葉と出会えて、忘れかけていたのに、今日のあの出来事でそれが全て崩れてしまった。
春樹が藍河蒼と出合ったのは、中学生の頃だった。偶然試合で出向いた他校で知り合い、自然と仲良くなった。気づけば、春樹は蒼に惹かれていた。
その頃、蒼には彼氏がいた。蒼が告白し、付き合うこととなった相手だったが、相手は蒼のことを想っておらず、実際は片想い状態だった。
そんな頃、春樹と同じ部活で友人だった斉藤和人も、蒼と仲良くなり、いつも三人でいることが多くなった。正直、春樹は心の奥で和人を邪魔だと思っていた。
ある日、春樹は意を決して蒼に告白した。無理なことはわかっているが、気持ちを知っていてほしい。と。当然、蒼の返事はノーだった。しかし、嬉しいと言ってくれた。
それから一週間ほど経ったある日、春樹は驚くべき事実を蒼から告げられた。「和人からも告白された」と。春樹は少し悔しい思いもしたが、心のどこかで納得していた。そして、もしも和人に取られたとしても、和人ならいいと思ってしまってた。悔しいが、それほどに蒼は和人のことを信頼していたのだ。
高校入試が終わり、合格発表を待つ日々。そんな中、蒼は「第一志望が受かったら彼氏と別れる」と宣言をした。彼女なりの決別の意の表れだった。春樹は内心複雑だったものの、応援した。
合格発表当日、春樹は落ち、蒼は無事合格した。祝いたい気持ちと、蒼の心境を思いやる気持ちとが半々で、春樹は上手く「おめでとう」を言えずにいた。そしてその三日後、蒼から「別れた」という連絡を受けた。
それから一ヶ月。三人は普通どうり過ごした。高校に入ってからも時折集まり、何度も遊んだ。春樹は、蒼の心が落ち着いた頃に、再度告白をしようと考えていた。
ある日、突然春樹は和人に呼び出された。ファストフード店で隣り合わせに座り、春樹は何の話かと思考をめぐらせた。
「実は、お前に謝らなきゃいけないことがある」和人は言った。
「なんだよ。俺お前に金貸したまま返してもらってないっけ?」
「いや、違うんだ。実はな……」
和人は俯いて少し口を篭らせた。そして決心したように顔を上げると、春樹のほうを向いてしっかりと言った。
「俺、蒼と付き合ってるんだ」
その時、春樹の中の何かが壊れる音がした。
「蒼が彼氏と別れた日、俺は告白されたんだ。一緒に過ごすうちに、俺の方に気持ちが傾いてたって」
「はっ、そうか。よかったな。でも、最近のお前ら見てるとなんかそんな気がしてたよ」
「本当に悪い。俺は言おうって言ってたんだが、蒼がお前のこと心配してな……」
確かに、春樹はこの一ヶ月蒼の心情に同情して軽く落ち込んでいた。病んでいたと言ってもおかしくない。それを蒼は考慮したのだろう。
「まあ、俺は大丈夫だ。ちゃんと幸せにしろよ?」
「おう、任せろ」
自信げに答える和人の顔を、春樹は直視できなかった。
その日の夜、春樹は二人との連絡手段を絶った。自分がまだ引きずっている想いが、二人の仲を裂かぬようにと。
永い永い回想を追え、春樹は深いため息をついた。ようやく手にした普通の恋を、こんなところで失いたくはない。でも、蒼を見ただけでこの取り乱しようだ。この先どうなるかわからない。
それに、気づいてしまった。自分が、柚葉を蒼の代わりに心の支えにしようとしていたことに。
「俺は……おれはっ……」
春樹の意識はそのまま、遠のいていった。
翌日。土曜日。春樹は柚葉と会う約束をしていた。柚葉から指定されたファストフード店で、春樹は一人待っていた。奇しくもあの時と同じ店だったため、春樹は落ち着いていられなかった。
「……」
「ごめん、お待たせ」
十分ほど経った頃、柚葉がやってきた。二人で軽い昼食を取った後、春樹が切り出した。
「あ、あのさ」
「うん?」
「話さなきゃ、いけないことがある」
春樹は一つ大きく深呼吸をした。その間、柚葉は優しいまなざしで春樹を見守っていた。
「俺さ、中学校のときに好きな人がいてさ、他校で、しかもそいつ彼氏いたんだよ」
「うん」
「それでさ、俺と同じようにそいつのこと好きになった奴がいてさ」
「うんうん」
柚葉は何かを考えるような表情をしながら聞いていた。春樹は、震える体を無理矢理抑え、続けた。
「二人ともそいつに告白して、振られて、でも三人で仲良くしてたんだよ」
「ねえ、それって蒼のこと?」
柚葉の口から出た言葉に、春樹は耳を疑った。
「え、なんで蒼のことを?」
「やっぱり。私蒼と中学校同じだったし、親友なんだ。蒼の恋愛事情も聞いてたから、似てるなって思って」
「そっか、そうなんだ……」
「うん。でもまさか春樹が当事者だなんて知らなかった」
「……」
春樹は、全てを話した。その中には、柚葉がもう知っていた事実もあれば、知らなかったものもあった。春樹の告白の間、柚葉は慰めるように優しく春樹の手を握っていた。
「今となっては遅いかもしれないけどさ」
「うん?」
「蒼ね、最初の方は春樹のことを想ってたみたいだよ。私に、「彼氏より好きな人が出来てしまった」って相談してきたし、付き合うって話を聞いたときも、もう一人の方だって言ってたから」
「……」
正直、春樹はどうすれば言いかわからなかった。二人との関係を絶ち、柚葉という新しい相手を見つけた今、そんな事実を知ったところでどうしようもない。しかし、心を揺さぶられているのもまた事実。
「それで、春樹はどうするの?」
「え……?」
「まだ、蒼のことが?」
「……」
春樹は口ごもった。しかし、それは迷いが生じたわけではない。答えを述べることに恐れを成したのだ。つまり、答えはもう決まっている。
「俺は……」
「うん?」
「俺は、今のままがいい。俺にはもう、柚葉がいるから。最初は、蒼の代わりの心の支えにしようとしていた。でも、今は柚葉じゃなきゃダメなんだ」
最初の春樹の考えとは裏腹に、春樹は柚葉のことを想い始めていた。いつの間にか、春樹の心の穴は柚葉でしか埋められなくなっていた。春樹には、それを捨てることなど出来なかった。
「でも正直、蒼のことはきっと忘れられない。あいつは、俺の人生の分岐点だったから」
「大丈夫だよ。親友だからそんなに嫉妬しないし。ちょっとはするけど」
「それと、多分何度もあの時のことを思い出して、不安になると思う。柚葉の気持ちを信じられなくなって、自暴自棄になってしまうかもしれない。それでも、柚葉がいいなら、俺は柚葉と一緒にいることを望むよ」
春樹の思いを聞くと、柚葉はにっこりと笑った。
「大丈夫。私は絶対春樹のことを裏切ったりしない。絶対にずっと一緒にいる」
「柚葉……」
春樹の目から、抑え、我慢していた感情が溢れた。柚葉はそっと、春樹を抱きしめた。
「ごめん、情けないなこんなの」
「ううん、たまには弱いところも見せてもらわなきゃ」
翌日、春樹の家で二人だけの小さな誕生日パーティーが開かれた。春樹の母の嬉しいおせっかいにより、二人にしては豪華な食事が並んだ。
「そういえばさ、春樹」
「うん?」
「さっきくれた花、カーネーションだっけ? あれどういう意味なの?」
「ああ、あれはね」
『純粋な愛』
その想いは、花弁と同じように濁りなく真っ白だ。




