十章・Advance
ある日突然、〝そいつ〟は現れた。
「初めまして、お父さん。息子の歩夢です」
「……はあ?」
何の変哲もない平凡な高校生である俺――博川修の前に現れた中学生くらいのそいつは、突如自分のことを息子だと名乗った。
「は? 息子? お前が? 俺の?」
「うん。そうだよ」
「詐欺には引っかからんぞ」
「詐欺じゃないよ?!」
「証拠は?」
「あ、ええと……」
すると、歩夢と名乗ったそいつは、バッグからおもむろにある物を取り出した。
「はい、これ。これなら信じてもらえるでしょ?」
「お、おい、これって……」
そいつが取り出したのは、小学校の時に学校の企画で書いた、二十歳になったら届く未来への自分への手紙だった。俺は今高校二年生。まだ十七歳。その手紙が小学校の関係者以外の手にわたっているはずがない。これは、認めざるを得なかった。
「……まだ若干疑ってるけど、信じてやるよ。上がれ。詳しく話を聞かせろ」
「わかった! ありがとう!」
丁寧に靴を並べて家に上がる歩夢。親のしつけがいいんだろうな。って、親は俺じゃねえか。
「ふむふむ……願い雪、ねぇ……」
「どう? 信じてくれた?」
「まだ完璧にとは言えないけど、その島の話なら小耳に挟んだこともあるし、辻褄もあうな」
「やったぁ!」
歩夢の説明によると、願い雪という一年に一度だけ真夏に降る雪があって、その雪が降っている間に願い事をすると叶うという言い伝えのある島があるらしい。歩夢が物心ついたときには俺はもういなくて、会ってみたいという気持ちから、願い雪に願い事をしに行ったらしい。そしてたまたま叶ってここに来た。とのことだ。
かなり無理のある話だが、実際俺もその雪や島の話は知っていたし、ちょっと遠い親戚がその島に住んでいるので、疑う余地は無かった。
「お父さん、一人暮らしなの?」
「ああ、いや、今は二人とも海外出張なんだ。たぶん再来週くらいまでは帰って来ねえ」
「ふうん」
「お前はいつになったら帰るんだ?」
「わかんない」
「へ?」
「期限があるのかも、帰るための条件があるのかも何もわかんない」
「ネットとかに乗ってなかったのか? 体験談とか」
「あったけど、故人に会いたいって願った人は、相手が一時的にやってくるって話ばっかりだったから、願い事をした本人が会いに行くっていうケースは無かったよ。たぶん僕が初めて」
「まじかよ……ってことは何か理由、こっちでやらなきゃいけないことがあるんだろうな」
「多分ね」
俺たちはしばし思考を巡らせた。しかし一向に答えは見つからない。
「だめだ。わからん」
「僕も」
「仕方ねえ、少しこっちで暮らせ。その代り家事の手伝いはしてもらうからな?」
「うん! 任せて!」
こいつが来たのが日曜で良かった気がする。
「んじゃ、行ってくるわ」
「行ってらっしゃい」
月曜。俺はいつものように学校に向かった。家から徒歩五分。自転車で行くにはちょっと近すぎる距離だ。
「ういー、おはよっす」
「あ、修、出て出て」
「ん? おう」
教室に着くや否や、友人の裕人に促されて廊下に出る。ああ、そうか。また〝あれ〟か。
「また学校来てんのかブス」
「ここにあんたの居場所なんかねえんだよ」
教室の中から罵声が聞こえる。時折机を蹴るような音も。これが俺たちのクラスの日常だ。クラスメイトの藤白は、クラスの一部の奴らに虐められている。もちろん、先生たちは知らない。奴らは大人にばれない様に考えて虐めている。全く、その知能を勉強に活かせばいいのにといつも思う。ちなみに、クラスメイトのほとんどがその事実を知っているのだが、だれもが見て見ないフリをしている。虐めている奴らの中には、暴走族の頭の息子がいるのが大きな原因だろう。誰も、自分の身を危険に晒したくないのだ。もちろん、俺もその一人だ。
予鈴が鳴る。それと同時に虐めている奴らは攻撃の手を止め、何事もなかったかのように自分たちの席に座る。それと同時に俺たちは教室に入って授業の支度をする。予鈴が鳴って数分経ってから、先生が教室に入ってくる。これが、いつもの流れだ。
放課後、いつものように遊びに誘う友人を断って、俺は真っ先に家に帰った。
「ただいま」
「おかえり、早かったね」
「まあな」
久々に「ただいま」の返事が返ってきて少し新鮮な気分だ。そんなことは置いといて、俺はすぐさま夕飯の支度に取り掛かる。
「何か手伝うことある?」
「うーん、じゃあ、ご飯炊いといて。四合」
「そんなに?! 二人だよ?」
「俺が食うんだよ」
「へぇ、お父さんって大食いだったんだ」
「並みより多いだけだ」
言いながら俺は牛蒡を切る。今日の献立は金平牛蒡だ。ささがきムズい。練習しないと。
そんなこんなで夕飯が完成した。我ながら上出来だ。
「おおお、お父さん料理上手いんだね」
「まあな」
これは余談だが、金平牛蒡はおれの大好物だ。鉱物を自分で作れるっていいよな。
「さて、食うか」
「だね」
俺たちは皿をテーブルに運び、ご飯をと味噌汁をついだ。うん。中々美味しそう。
「じゃあ」
「「いただきます」」
ぱくり。と一口。うん、美味しい。我ながら上出来。
「美味しい! お父さん料理上手なんだね!」
「まあな。並よりはできる方だと自負してる」
「うんうん、この上手さだとお母さんが褒めてたのも頷けるね」
「そういえば、お前のお母さんって誰なんだ? つまりは、俺の将来の奥さんってことだが」
「えー、言ってもいいのかな」
「言えって」
「ええとね、僕のお母さんはひ……」
「ひ?」
ひ、から始まる名前のやつなんかいただろうか。俺は基本的に女子の下の名前を覚えていないのでわからない。苗字なら一人心当たりがあるが、そもそも親の旧姓で呼ぶことはないだろう。
歩夢は少し考えた後、意地悪そうな顔をして言った。
「秘密~」
「はあ?!」
「なんか言っちゃいけない気がするし」
「ま、まあ確かにそうか」
すると、歩夢が少し真剣な顔になった。
「ねえお父さん。お父さんって今、高校生だよね?」
「そうだけど、それがどうした?」
「じゃあさ、今クラスでいじめってある?」
「っ!」
なぜ、そのことを知っているのだろうか。少し考えたが、答えはすぐに出た。きっと、歩夢の母は俺の高校時代の友人なのだ。
「それが、なんだ」
「お父さんはさ、変えようと思わないの? 現状をさ」
「変えようって、変に首を突っ込んだら俺らにまで被害が出るだろ。それに、止めたせいでいじめが悪化するかもしれないし」
「……そっか。お母さんから聞いてたお父さんとは違うね」
「どういうことだ?」
「なんでもないよ。ただ、その気持ちが本心なのかなって思って」
「は?」
「ごちそうさま」
そう言って歩夢は席を立った。そしてそのまま風呂場へ入っていく。
「本心か……だって?」
被害が俺たちにまで及ぶからというのも、泊めた性で悪化するかもというのも確かに本心だ。しかし、できれば変えてやりたいと思っているのもまた事実。
「だけど、俺にできることなんてな……」
俺は食器を下げ、食洗機にかけた後、自室に篭った。
翌朝、リビングに下りるとテーブルに朝食が並んでいた。
「おはよう、お父さん。朝ごはん作っといたよ」
「お、おう。さんきゅ」
俺は顔を洗って席に着いた。
「「いただきます」」
「うん、いい出来」
「ん、美味いな」
「でしょでしょ」
自分の血だろうか。と、そんなことを思った。
「昨日はごめん。少し踏み込みすぎた」
「ん? ああ、別にいいよ。気にしてない」
一瞬何のことかわからなかったが、すぐに昨晩の発言のことだと気づいた。少し心が揺らいだが、そこまで気にしていなかった。
「そっか、よかった。でも」
「ん?」
「今のままだときっと、お父さんは後悔するよ」
「だろうな。それは俺でもわかってる」
「そう。だったら少し安心」
きっと、あのいじめは俺にとって将来的に大きく関わってくるのだろう。そして、歩夢は多かれ少なかれそれを知っていて、俺を変えようとしてくれているのかもしれない。
そこまで考えて、俺は一つの仮説に達した。
「イヤイヤ、なわけないか」
「ん?」
歩夢の発言などから考えれば、可能性はあるが、かなり低いだろう。我ながら馬鹿馬鹿しい仮説に、俺は思わず吹き出した。
「ど、どうしたのお父さん」
「いや、なんでもねえ。ごちそうさん」
俺はせっせと朝食を片付けると、家を出た。
「いってきまーす」
「いってらっしゃい」
「あー、かったるいわぁー」
放課後、俺は先生に頼まれて、クラスメイトのノートを職員室に持って行かされていた。
「あいつら帰りやがったし……」
少くらい手伝ってくれてもいいものを、友人たちは用事やら何やらで先に帰ってしまった。だからこうして一人で四十人分のノートを運んでいるのだ。正直、重いしだるい。
「あー……職員室遠い……ってうわぁ!?」
「きゃっ!?」
曲がり角で誰かにぶつかってしまった。衝撃で転んでしまい、廊下にノートをぶちまける。
「っと、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「あ、は、はい。大丈夫です……」
「そうですか。ならよかった」
「はい、あっ、手伝いますね……」
「あっ、ありがとうございます」
俺たちは二人でノートを拾い始めた。彼女は、とあるノートを手に取ったところで動きを止めた。
「どうかしましたか?」
「あ、いや……なんでもないです。申し訳ありませんでした。では」
そういって彼女はノートを僕に押し付けると、走り去っていった。俺は彼女が押し付けたノートに目を落とし、納得した。
「そういうことか……」
渡されたノートには、「藤白」と名が記されていた。
「そりゃ、そうなるよな」
そのとき、俺の中で何かが確実に動いた。
翌日、俺はいつものように登校した。いつものように教室にかばんを置き、いつものように友人が声をかけてくる。
「修、ほら」
友人はいつものように俺の制服の裾を軽く引っ張った。しかし俺はそれを制止した。
「ちょっとまって。お前らだけ先に出てて」
「え? ちょっと修?」
友人の声を振り払って、俺は教室の隅にいる奴らに歩み寄った。
「なあ、お前ら」
「あ?」
老化から俺たちに視線が集まる。
「前々から思ってたんだけどさ」
「何だよお前」
リーダー格のようなやつが俺に歩み寄ってくる。残りのやつらは相変わらず藤白に攻撃を加えながら、俺たちを見ていた。
『先生、明日、いつもより十分早く教室に来てください。見せたいものがあるんです』
昨日、ノート提出のときに担任の先生に伝えた。後は一歩、踏み込むだけだ。
奴らの後ろで髪を引っ張られている藤白が心配とも驚愕ともいえない表情で俺を見ている。昨日見た、優しそうな表情とは大違いだ。
背後で、教室のドアが開く音が聞こえた。廊下から「あっ」と声が漏れる。
「こんなくだらないこと、そろそろ辞めたらどうだ?」
奴らの背後で、藤白 光梨は涙を流した。
病院。今先ほど産まれたばかりの息子を抱きかかえながら、彼女は言った。
「よしよし、よく産まれてきたね」
「よく頑張ったな、光梨」
「ありがと、修。ほら、お父さんですよ~」
彼女から息子を渡され、優しく抱きかかえる。あんまり泣かない。いい子だ。
「ほら、お父さんだぞ。はじめまして、久しぶりだな、歩夢」
歩夢は、キャッキャと笑った。




