第09話
燃え上がる焚き火を見て、ミリアが嬉しそうに声を上げた。
「ははっ! さすがだね、一発で火が着いたよ」
石を積んで作った竈に、道中拾った薪木。普段とは違い数秒で明るくなった夜の空気を楽しむように、ミリアは焚き火の横の石に腰掛けた。
「炎の魔法か。龍種っていうのは便利なものだね」
ぽいっと毟った草を火にくべながら、ミリアがクゥの顔を見上げる。
褒められて喜ぶかと思いきや、クゥは複雑そうに眉を寄せていた。
「竜の息吹は魔法ではない。大地のマナを使うという点では同じだが」
「そうなのかい?」
「そも、魔法というもの自体が体内でマナを練れない人間たちが編み出した苦肉の策だ。我らは大気を吸うようにマナを取り込み、それを吐き出すだけ」
青白い火の粉が風に飛んだ。クゥの説明にミリアはなるほどと頷く。竜だけではない。魔法のような超常を起こせる生物は他にもいるが、確かに彼らは魔法を学んですらいないのだ。
「素晴らしいじゃないか。自らに備わっていない能力を知によって解決する。人間の叡智だよ」
「否定はせん。だがまぁ、なんとも傲慢な生き物だな」
クゥの言葉を聞きながらミリアは焚き火の揺らめきをじっと見つめた。
森の主はどうやら人間がそこまで好きじゃないらしい。
「私もその傲慢な人間の一員なんだけどね」
「ミリアは違う。強欲にまみれた人間にはない、真の輝きを持っておる」
ストレートな言葉にミリアは言葉を詰まらせた。嬉しくないわけではないが、買い被りすぎというものだ。ここまで褒められると幻滅させたときに命はなさそうで、ミリアは「参ったね」と頬を掻く。
「そういえば、結局どこに向かい旅をするのだ? あてもなく歩いているわけでもないのだろう?」
「勿論さ。……ここから東に行った先に、竜神の伝説がある村があってね。そこにお邪魔しようかと思っている」
懐から取り出した地図を広げる。クゥが横から覗き込んで確認し、愉快そうにニヤリと笑った。
「ほう、竜神か。我以上に強き竜がいるとも思えないが、面白い。力比べといこうじゃないか」
「って、待ちたまえ。喧嘩しに行くんじゃないんだぞ」
慌てたミリアに窘められて、クゥは「分かっている」と顎を上げた。得意げな顔の角度を見つめながら、ミリアは心配そうに竜を見つめる。
龍種同士の喧嘩など想像もしたくない。学者として興味がないと言えば嘘になるが、そんなことが起きれば村はもちろん周辺の土地は壊滅してしまうだろう。
「ほんと、大人しく頼むよ」
「任せておけ。惚れ直させてやろう」
どこまでも噛み合わないクゥの横顔を見やりながら、ミリアは前途多難な旅を思って深いため息を吐くのだった。
◆ ◆ ◆
「おお! 見なよクゥ、渡し船だ」
翌日、目の前に現れた巨大な川にミリアは感嘆の声を上げた。
霞がかった向こう岸は肉眼では確認できない。桟橋に着けられていた木舟を見て、ミリアの目が輝き出す。
「はは、向こう側が見えないね。こんなに広い川は久しぶりだよ」
「船か。こんな川、我の背に乗ればひとっ飛びであるというのに」
呆れたようにクゥが呟く。渡しの舟ならば数刻はかかるだろう船旅も、竜の翼ならばものの数十秒もかからないだろう。だがしかし、楽しそうな声でミリアはクゥの先を歩いた。
「だめだよ。目立つ格好は避けるって言っただろ。それに、船の旅もいいものだよ。一緒に乗りたくないのかい?」
「まぁ、ミリアがそういうのなら」
諦めたようにクゥが言う。それに微笑んで、ミリアは桟橋に向かって駆けだした。
◆
「しかし楽しみだね。今なお竜神の伝説が残る村。……新しい神様に出会えるといいんだけど」
跳ねた水を手のひらで受け止めて、ミリアは川の向こう側を眺めた。相変わらずに霞は白くかかったままだが、着実に舟は前に進んでいる。
船頭のオール使いを興味深げに見つめていたクゥがミリアの言葉に反応した。
「ミリアは我らのような者を調べているのであったな。何故にそのようなことをしているのだ?」
「何故かって?」
心躍らせている愛しの女を見つめながら、不思議そうにクゥは首を傾げる。彼からしてみれば知的好奇心だけで命をも投げ出したミリアこそ興味の対象だ。
「そうだなぁ……きっかけはあった気もするけれど、忘れてしまったね。ただ目的のようなものはあるよ」
「目的?」
言われ、頷いたミリアは首もとにかけられた紐を手繰り上げた。胸元から、紐の先に繋がれた小さな袋が引っ張り出される。
中から取り出されたものを見て、クゥは「ほぅ」と口を開けた。
「鱗だな。竜か……もしくは麒麟かもしれん」
「綺麗だろう? これは私が生まれたときから持っているものでね」
光を反射する七色の鱗。角度によって輝きが変わるそれを、ミリアは大切に袋に仕舞う。生まれたときからと言われてクゥは首を傾けた。
「捨て子なんだ。教会の前に捨てられていた私が握りしめていた唯一のものが、この鱗だったらしい」
ミリアの告白にクゥは目を見開いた。子を捨てるということは自然界でも普通に存在する話で、それゆえにクゥも複雑そうな表情でミリアを見つめる。
見目も麗しく知にも富む。それでも母に捨てられた人間の雌の話を竜神は無言で聞いた。
「今更、母が恋しいなんてことは言わないけれど……気になるだろう? この鱗が誰のもので、なぜ私が握りしめていたのか。まぁ、ちょっとした自分探しだよ」
自分のルーツ。ただそれが知りたい。もしかしたらそこに母もいるかもしれないが、それは理由ではない。
揺れる舟の上で、ミリアは跳ねた水滴を頬に感じた。冷たく、少しだけ霧の香りが混ざっている。
「ああ、ほら。岸が見えてきたよ」
ようやく霞の先に現れた対岸を見て、ミリアは楽しそうに声を上げた。