第08話
「ほう、朝は朝で活気があるな」
翌朝、宿から出た二人は旅支度を整えるために街の朝市を訪れていた。
朝の市場通りはクゥの言うように賑やかで、道の両端には所狭しと商品を入れた木箱や棚が並べられている。
屋根は布を張っただけの簡素なもので、それもそのはず、この市場は日没までには全て撤収しなければならない決まりだ。
店の準備と客の相手を平行してこなしている店の主人たちを、ミリアは感心したように眺めた。
「そうだね。目的の村までちょっと歩くから、必要最低限の食料と必需品は買っていこうか」
市場を見回しながら、ミリアは眠気眼を擦って笑う。結局昨晩は寝入ったクゥが抱きついてきてよく眠れなかったのだが、それでも旅の準備は気合いが入るというものだ。
「楽しそうだな」
「ふふ、まぁね。旅というのは準備が一番楽しいという人もいるくらいだし……今回は君もいるしね」
一人旅の気軽さはあるとはいえ、なにもない道を何日も無言で歩き続けることなどざらだ。話し相手がいるというのはミリアにとってもありがたいことだった。
それに、なにを隠そう、隣を歩いている竜神がミリアにとっては興味深い。研究対象のように扱うのは申し訳ないが、学者でなくとも彼が人の世に驚く姿は心惹かれるものがあるだろう。
「ふむ。……お、ミリア。なにやら美味そうな実が売っているぞ」
「ん? ああ、リンゴだね。森にはなかったのかい?」
案の定、袖を引っ張られて振り返ればクゥが赤い実を興味深げに指さしている。意外に思って聞いてみるも、どうやらクゥは食べたことがないようだった。
「我の森にはなかった。赤い実といえば、こんな小さい実であったな」
「木イチゴかな。気になるようなら食べてみるかい?」
ミリアに言われクゥの顔がパァと輝く。肉にしか興味がないのかと思いきや、果物なんかが気になるのは可愛らしいと、ミリアは店の主人に声をかけた。
「おばちゃん、リンゴを二つ」
「はいよ。って、あらお連れさんカッコいいわねぇ。一個おまけしちゃう」
恰幅のよい女主人の目がクゥへ止まる。にこにこと笑いながら、おばちゃんは三つ林檎をミリアに渡した。そのやりとりを不思議そうにクゥが見つめる。
「君が格好いいから、ひとつタダでくれるってさ」
「なんと。嬉しいことだが、我にはミリアがいる故。求愛は他の雄にして欲しい」
クゥの声におばちゃんが思わず笑った。ミリアの頬が恥ずかしそうに染まるのを見て、貴女も大変ねぇと笑いかける。
「あはは! あたしが二〇年若ければねぇ。あんた、こういう男は苦労するわよぉ。ふふ、もいっこおまけしちゃう」
「あ、ありがとうございます」
合計四つの林檎を貰い、ミリアは人生の先輩からのありがたいお言葉に聞き入るのだった。
◆ ◆ ◆
「美味い!」
林檎をカジりながら、二人は市場通りを歩いていた。林檎に付けた歯形を見つめながら、クゥが人通りの中で声を上げる。
「確かに美味しいね。……旬ってやつかな?」
ミリアも口に広がる林檎の風味に、へぇと自分の歯形を見やった。
林檎の詳しい旬なんかは知らないが程良く熟していて美味い。甘く瑞々しく、それでいて噛み堪えも十分だった。
「やっぱり林檎は固めがいいね。シャリシャリしてて」
「ガフガフッ!」
見ると、すでにクゥは二つ目の林檎に突入している。くすりと笑いつつ、ミリアも二口目にかぶりつく。
ミリアが二口目を飲み込む頃には、すっかり林檎を食べ尽くしたクゥがミリアの袖を引っ張っていた。
「ミリア、このリンゴとやら沢山買っていこう。美味い故に」
「ふふ、そうしたいけどね。お金にも限りがあるし、第一リンゴは割と重い……」
と、そこまで言って、ミリアは横を歩く竜神を見上げる。
長身で引き締まってはいるが、あまり力仕事は得意そうにない優男だ。けれど傍らの竜神が竜神であることを思い出し、ミリアはクゥへ問いかけた。
「君って、力持ちだよね?」
ミリアの問いに、森の主は何を今更と呆れたように頷くのだった。
◆ ◆ ◆
「本当に大丈夫かい?」
「問題ない」
クゥに背負われた巨大な荷物の山を、ミリアは唖然と見上げていた。
木組みの荷籠に食料や寝袋、換えの服や果ては酒まで。本来ならば馬車の荷台に積み込むべき量の荷物を軽々と担ぐクゥを、ミリアはただ立ち尽くして見つめてしまう。
「どうした? 惚けた顔をして」
「え、いや。なんでもないよ」
きょとんとミリアを見やるクゥの顔は涼しげだ。不思議そうな顔を誤魔化しながら、ミリアは改めてクゥの超常性を認識した。
言われてみれば先ほどは馬車でもなければと思ったものの、そもそもクゥは竜なのだ。馬に運べる荷物を軽々と背負えるのも当然と言える。
驚くべきは人化したままそれが出来ることだが、クゥによればこれでも本来の姿に比べれば非力らしい。
「強い雄か。なんとなく、君が得意げなのも分かった気がするよ」
「こんなもの、強さの内に入らん」
ミリアに褒められて嬉しいクゥだが、それでも複雑そうに眉を寄せた。腕力自慢は雄の性だが、それでもこの程度ならば龍種にとっては自慢にも入らない。
「でもほら、みんなびっくりして君を見てるよ。はは、ちょっと愉快だね」
「人間が非力すぎるだけだ。これくらいの重さ、馬でも牛でも担いでみせよう」
不本意なことで褒められたり注目されるのは居心地が悪いらしい。案外と繊細な森の主を、ミリアは笑いながら見上げた。
「頼りになるな、君は」
「むぅ」
意地悪そうに微笑むミリアに、クゥは参ったと眉間を更に寄せるのだった。
◆ ◆ ◆
「目当ての村までは歩いて10日といったところかな。途中に宿場町があるようだから、そこでは宿に泊まろうか」
手元に広げた地図を見下ろしつつ、ミリアは後ろを振り返った。街を出て数時間、辛うじて確認できていた街の物見塔がついに見えなくなっている。
こうして眺めてみれば、どうも街までは緩やかな坂になっているようだ。だだっ広い平原を見渡して、ミリアは頬を緩ましてしまう。
「いやぁ、実に楽だね。こんなに快適な旅は初めてだよ」
「喜んでくれてなによりだ」
くるくると馬車道の上でステップを踏むミリアを、クゥが意外そうな顔で見つめた。彼女が珍しくはしゃいでいる様子に、クゥは背中の荷物を少し揺さぶる。
「そんなに違うものか?」
「違うなんてもんじゃないさ。見てくれ、竪琴しか持ってないんだ。鼻歌も仕方ないってなもんさ」
言って、宣言通りにミリアは鼻歌を唄い出す。調子に乗って歩きながら鳴らした竪琴の音色が、二人だけの草原に広がっていった。
事実、ミリアが浮かれてしまうのも当然といえる。一人旅で荷物を絞るとはいえ、食料と寝袋だけでも数キロ。そこに様々な必需品を加えれば、旅の装備は軽く10キロは超えてしまう。それを今までは一人黙々と背負っていたのだ。
「本当に大丈夫かい? 格好つけて無理していないだろうね」
「そんなわけないだろう。なんならミリアも背負ってしまいたいくらいだ」
憮然と語るクゥを見て、ミリアはくすくすと笑みを浮かべた。
「いいね、今度背中を借りようか」
そんなことまで言い出す始末の愛しのミリアに、クゥは調子を崩してしまいそうになる。
ただ、よっぽど役に立てているのだとは伝わってきて、クゥは力強く大地を踏みしめた。
「しかし……旅か。人間は翼も持たぬし駆けるのも遅いしで、なんとも不便なものだな」
「はは、まぁ君たちと比べてしまうとね。ただ、不便だからこそ人は旅そのものを楽しみ出したのだと思うよ」
ミリアの竪琴がポロンと鳴り、クゥは納得がいかないとミリアに振り返った。
「旅をといっても、当然ながら目的の地があるのであろう? 旅路そのものが目的とならば、それこそ本末転倒ではないか」
「そうかな? 目的の過程にも、楽しみはあってしかるべきだと思うけどね」
言いつつ、ミリアは再び竪琴に指をかけた。奏でられた曲調に聞き覚えがあり、クゥの耳がぴょこんと動く。
森でミリアがクゥに聞かせた、彼お気に入りの一曲だ。
「おお、その音の並びは我の好きな奴だ。出会って四日目に、ミリアが聞かせてくれた奴だろう?」
「よく覚えているね。さて、私はこうやって君に演奏してあげているわけだけど、君はこれも無駄というのかな?」
ミリアの問いに、クゥが言葉を詰まらせた。言い負かされて悔しそうな表情だ。
つまりは旅とは無駄そのものである。例えば目的地を念じるだけでそこに繋がる扉があれば、人は旅などしなくなるだろう。
だが現実問題そんな扉などあるわけもなく、だとすればその道中を少しでも快適に楽しく過ごそうとするのが人だ。
「身体が軽いと歌も弾むってなもんさ。頼もしき私の友に、感謝の歌を奏でなくては」
微笑みながら軽快に竪琴を響かせるミリアを見下ろしながら、クゥはまぁよいかと音色に耳を澄ます。意中の雌の機嫌がよいのだ、水を差すことほど愚かなこともないだろう。