第06話
「おいおい、なんだこりゃあ! 虫が入ってやがんぞぉ!?」
うむ美味い。ミルク粥を口に含み、ミリアがそう呟こうとしたとき、隣の席から品のない声が聞こえてきた。
参ったなと苦い顔をしながら、ミリアはちらりと横の男を確認する。
「この店は客に虫が入った飯を出すのかぁ? これはもう食えたもんじゃねぇよなー?」
なんとも基本を押さえた輩である。格好を見るに、チンピラじみた傭兵か冒険者のようだ。出てきたウェイターに男たちがニヤニヤと皿の上を指さしている。
男三人もいて、女の給仕相手に恥ずかしいことこの上ない。気の毒だとは思うが、こちらも客だ。火の粉がかからないように、ミリアはそっと身を小さく屈める。
「全く、嫌なところに出くわしちゃったな」
あの手の輩は数年前の大戦以降増えている。お国のために戦ってくれたのは立派だが、ああなってしまってはただの犯罪者だ。
さっさと小金を払って帰ってもらう。店もそのような考えのようで、ウェイターはペコペコと頭を下げていた。
(まぁ、別に私に関係あるわけでもなし)
周りの客も皆そう思っているだろう。店員すら、示談金を渡せばそれで終わる相手だ。なにも殺そうとしているわけではない。
息を殺して、災難が過ぎるのを待とう。ミリアがそう思って匙を握りしめたそのときーー
「なんだ、その『はんばあぐ』もう要らぬのか?」
店内にこぼれた声に、ミリアの呼吸が思わず止まった。
顔を上げ、もしやと男達の方へ視線を向ける。
「は? え、いや。なんだお前?」
「なんだ、美味そうな虫ではないか。我は気にせぬ故、その『はんばあぐ』食ってやろう」
困惑している男達が、にこにこと立っているクゥを見上げていた。
あまりの事態にミリアは慌てて立ち上がった。
「ちょ、クゥ! いいから! 座ってて!」
クゥの袖を引き、男達へと頭を下げる。けれど、それがまずかったらしい。
ミリアとクゥの顔を交互に見比べて、男の一人が立ち上がる。
「なんだぁ、お前。舐めてんのか? 女連れでよぉ」
ぐいと男がクゥの襟首を掴む。背は高いが一見優男のクゥに、男の仲間もぎゃははと笑った。
「舐めるつもりなどない。『はんばあぐ』はかぶりつくが美味い故に」
掴まれてもなお、クゥの視線はテーブルの上のハンバーグに向いていた。そこでようやく、男もクゥが本当に少々ずれていることに気づく。
「は? なんだ、マジであれな奴かよ。……姉ちゃんも大変だなぁ。あれか? 顔がいいと我慢できるもんかね」
クゥを制止しようとするミリアを見やり、男たちは下卑た笑いを浮かべ始める。クゥのインパクトが強くて気づかなかったようだが、男たちの視線がミリアの身体のラインをここで捉えた。
「なんだ、よく見りゃ上等な姉ちゃんじゃねーか。いいねぇ。言っとくが、そっちのアレな連れがふっかけて来たんだぜ?」
男達の表情に、クゥは小さく眉を寄せた。
自分の雌に他の雄が発情している。その端的な事実を認めたクゥの右手が、僅かに上がる。
(しま――ッ!?)
ミリアが叫ぼうとするが、男の手が彼女に伸びるのが一瞬早い。
男の指がミリアの胸に触れようとして――
「ミリアに触るな下郎」
男にクゥの殺気が襲いかかった。
「殺しちゃダメだクゥ!!」
ミリアの叫び。その声に、クゥの目が見開かれる。
結果、男の首は跳ね飛ばされる寸前で、クゥの右手によりテーブルの上に叩きつけられていた。
「――ッ!?」
ミリアの目の前で、男の顔面が木製のテーブルを突き破る。それどころか天板の下に据えられていた酒樽すら破壊して、男の頭部は店の床板を突き破った。
唖然と時が止まる店内。男の仲間やミリアすら息を止めた空間の中で、クゥはにこやかな笑顔でミリアに振り向いた。
「ほれ、生きているぞ。ミリアは優しいな」
床に突き刺さった男を指さして、クゥは元気に報告する。
直前に命令されたので手加減が難しかったが、ひとまず殺してはいない。
ピクピクと痙攣している男を見下ろして、ミリアはたらりと汗を垂らした。
「な、なんだぁ手前ぇ!! ぶっ殺されてぇのかあ!!」
「そっちの嬢ちゃん共々ぶち殺すぞごらぁあ!!」
当然の流れだ。男の仲間がナイフを抜いて立ち上がる。
脅し文句の中に自分が含まれていることに気がついて、ミリアは男たちへ声を上げた。
「ばっ! 逃げーーッ!?」
逃げろ。ミリアが告げようとした瞬間、男の一人が宙を舞った。
それはもう芸術的に、店内を美しく回転しながら男の身体が窓の方へと飛んでいく。
窓をぶち破り、男は隣の店の壁に衝突して気絶した。
「え? はっ?」
残った一人が、クゥと窓を交互に見つめる。結果的に、馬鹿な男だったということだろう。仲間が奇怪なオブジェに変えられた時点で、矛を収めて逃げるべきだったのだ。
「ふ、ふざけんじゃねぇ!!」
何かの間違いだと、男はナイフをクゥの胸に向けて突き立てた。
途端、まるで鉄板に突き刺したような衝撃が男の手を痺れさせ、ナイフが無惨にもピキリと欠ける。
「は? はぁああ!?」
胸元のはだけた服だ。何も仕込まれているはずもない地肌にナイフを刺したはずなのに、ガラスのように砕け散ったナイフを男は呆然と見つめた。
「く、クゥやめろ!! 私は別にいいから!!」
「ならん。この者は、我のミリアに殺意を向けおった。こればかりは雄である我の役目よ」
クゥからすれば殺さない時点で大分譲歩している。立ち尽くす男の眼前に、クゥは悠然と立ちはだかった。
「優しき我のミリアに感謝せよ。他者の雌に手を出すなど、本来ならば万死に値すると知れ」
クゥの掌底が男の顔面に突き刺さり、そのまま男は、その場で三六〇度回転した。