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竜の恩返し  作者: 天那
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第05話

「ほう、ここが飯屋か。狩りをせずとも飯が食えるというのは確かに便利であるな」


 ひとしきり店内を興味深げに眺めた後、クゥはメニューを見ているミリアへと笑顔で振り返った。それに「そうだね」と頷いて、ミリアはメニューから目を離す。


「さっきの服もそうだけど、私が作ったわけではないだろう? 人間が金を大事にする意味が分かってくれたかな」

「なるほどな。我らも多少の物々交換や貸し借りはあるが、確かに円滑に生活が進みそうだ」


 腕を組み、竜神は人類の知恵に感嘆する。貨幣経済、当たり前のように見えてとんでもない発明だ。これにより人間は文明の発展を加速させてきた。


「まぁ、よい面ばかりでもないがね。金を多く持つものと、そうでないもの。貧富の差も生み出されたわけで……」

「ん? そうであるかな」


 ミリアの解説をクゥが小さく遮った。顔を上げるミリアに、竜神はあっけらかんと言ってみせる。


「富の差など我らどころか獣にもあるぞ。それを作るのは、金ではなく力だがな。力がある雄はいいぞ。多くの雌、従う部下、広大な縄張り! 先ほどはああ言ったがな、群のボスともなると飯を喰うのに狩りなどせぬ。労もせず一番良い部位を一番多く喰らうのだ」


 なにが違うのだと竜神はミリアに告げる。

 無論、貨幣経済の汎用性など挙げればキリがないのだが、そんなことはクゥとて理解している。


「要は本質はなにも変わらぬということだ。強きものが弱きものを従える。上等の雌も手に入れる。……もちろん、我以上に強き雄など存在しない」


 そう言って、最後にクゥはチラチラとミリアを見つめた。どうやら結局は自分のアピールだったらしい。少し感動して損をしたと、ミリアはメニューへと視線を戻す。

 

「ところで、なに頼もうか」

「少しは我の話も聞いてほしい」


 力強く握り込んだ拳の行方がわからずに、竜神が切なげに声をあげる。それを愉快そうに微笑みながら、ミリアは優しい瞳でクゥを見つめた。


「ふふ、君が強いのは当たり前じゃないか。私としても女の一人旅は心細かったからね。頼りにしているよ」

「!? 当然だ! ミリアに指一本触れようものなら八つ裂きであるぞ!」


 頼られて、クゥは嬉しそうに口を開けた。気合いを入れる竜神に「それは困るなぁ」とミリアが苦笑する。


「まぁ、それはそうとして……やっぱり肉料理がいいかな?」


 メニューには食堂らしく様々な料理の名前が並んでいたが、その中の肉料理の一覧をミリアは指で示した。


「そうだな。正直、肉以外はいまいちピンと来ぬ。……あ、だが例の"パン"とやらはもう一度食べてみたい」

「なるほどね。だったら……このハンバーグなんてどうかな? ちょうどパンも付いてるみたいだし」


 言われ、ミリアの指の先へクゥが身を乗り出す。確かに「ハンバーグ」と書かれているが、クゥにはどんな料理か見当も付かない。


「構わぬが。……なんの肉であるか? 『はんばあぐ』などという獣には会ったことがない」

「くふっ」


 思わずミリアの口元から笑いがこぼれる。クゥが眉を寄せ、ミリアが口元を隠しながら謝罪した。


「ふふ。ごめんよ、つい……ハンバーグっていうのはね、牛や豚の肉を細かく刻んでミンチにしたものさ」

「なぜまたそんな面倒なことを」


 クゥの眉間が深くなる。ただ、今度ばかりはなんとなくクゥにもミンチ肉の意味が推測できた。


「いや、まてよ。確かに、我らも幼き子には肉を噛んで与えたりする。さてはそういうことであるな?」

「ははは、言い得て妙だね。別に子供の食べ物ってわけじゃないけど、肉を柔らかく食べようって工夫には違いないよ」


 まぁ実際は、クズ肉を少しでも美味しく食べようという工夫だ。勿論、ひとつ下に書かれているビーフステーキは値段が倍くらい違っていて、けれどそれはクゥには黙っておく。


「よかろう。人間の小賢しい知恵とやらを拝見しようではないか。……まぁ、我の顎は強靱である故、わざわざそのミンチとやらにせずとも問題はないだろうがな」

「私は何にしようかなぁ」


 悩むようにメニューを睨みつけているミリアを、アピールに失敗した竜神が目を細めて見つめる。相変わらず反応が薄い。


「なにせ強靱である故!」

「あーもう、わかったよ。君が強いのは十分わかってるから」


 必死の声色にミリアも観念したように顔を上げる。手間がかかると愛しのミリアに思われつつも、けれどクゥは満足そうにふんぞり返った。


「分かればよいのだ」


 むふーと鼻息を荒くして喜ぶクゥを見て、「単純だなぁ」とミリアは頬を掻くのだった。



 ◆  ◆  ◆



「おお、美味しそうじゃないか。当たりっぽいね」


 目の前でジュージューと音を立てているハンバーグを覗き込みながら、ミリアはクゥに笑いかけた。

 大きめの肉が芳ばしい香りを漂わせながら鉄板の上に乗っている。ソースはないようだが、その代わり塩や香辛料が入っているはずだ。


「……なんだこれは?」


 そんなハンバーグの焦げ目を、クゥは不満げに見下ろしていた。


「どうかしたかい?」

「どうしたもなにも、燃えた跡が……」


 クゥは指先でハンバーグをつついた。熱い。火傷などするはずもないが、それにしてもわけが分からない。


「なぜに人間は肉を燃やすのか。我は生肉を所望する」

「食堂で生肉は出せないかなぁ。お腹壊しちゃまずいだろ?」


 ミリアに言われ、それでもクゥは「壊さぬというのに……」とハンバーグを見つめた。

 量が少ないのは人型なので我慢できるとしても、想像以上に気味の悪い料理が出てきたとクゥはテンションを下げる。


 焼いた肉というだけでも意味不明なのに、なにやら得体の知れない匂いも漂っている。香辛料など知らぬ竜からすれば、この肉はなにを食って育ってきたのかといった感じだ。


「まぁ、よい。『さんどいっち』とやらも美味であったし。ミリアを信じよう」

「あ、ちょっ」


 言うやいなや、クゥはハンバーグに手を伸ばした。傍らのフォークとナイフを無視する竜神に、ミリアが小さく制止の声を上げる。


「ふむ。熱い肉など初めてであるな」

「ちょっと、だ、大丈夫かい? 焼きたてだったけど」


 湯気どころか熱された鉄板の上に乗っていたのだ。手が込んでいると感心していたミリアだったが、その分ハンバーグの温度は通常の店とは比べものにならない。

 しかし、心配するミリアに気をよくしたのか、クゥは嬉しそうに余った左手を鉄板の上に押しつけた。


 ジュウと音がして、けれどクゥは涼しげな表情だ。隣を歩いた客がギョっとクゥを見つめたが、驚いたのはミリアも同じである。


「我を誰だと思っておるのだ。火を噴くことも容易い飛龍であるぞ。こんなもの、熱い内に入らぬ」

「そ、そうだったね。いや、驚いたよ」


 頭では理解していたつもりだが、目の前で鉄板に手を付けられると驚いてしまうのが人間というものだ。

 改めてクゥが人智を超えた存在なのだと認識して、ミリアは乾いた笑みを作った。今更ながら、自分が求愛されている事実に息を吐く。


(んー、いつ死んでもおかしくないな私)


 好意を向けられているうちはいいが、機嫌を損ねればなにかの拍子に殺されそうだ。だがまぁ、それを恐れて態度を変えるのも違うかとミリアは思う。


「冷めないうちにお食べよ」

「そうさせて貰おう」


 そもハンバーグを手づかみで握っているのがおかしな話なのだが、食器の使い方はまた今度教えようとミリアは先を促した。クゥも頷くと、がばりと口を広げる。


「はむっ」


 なんとも大きく広げたものだ。美形の青年には似合わない食べ方でかぶりついたクゥを、しかしミリアは好奇心を以て見つめた。

 して、森の主のハンバーグに対する回答はーー


「ふもおおおおおおおッ!?」


 とりあえずはお気に召したようだ。


「ミリア!? なんだこれは!?」

「ハンバーグだよ」


 目を見開いて興奮しているクゥにミリアは冷静に返した。大声で叫ぶから食べカスがミリアの方へ飛んできてしまっている。

 それらを備え付けの布巾で拭きながら、ミリアは目を輝かせている竜神を見やった。


「気に入ったかい?」

「勿論だ! 『はんばあぐ』、美味である!」


 ガブガブとハンバーグを頬張るクゥにミリアはうんうんと頷いた。気に入ってくれたのなら何よりだ。なにせ生肉しか食べてくれないとなるとミリアが困る。


「へぇ、そんなに美味しいのかい。ひとくち私にもくれないかな」

「……別に構わないが」


 ミリアの提案にクゥが嫌そうに眉を寄せる。チミっと千切られたハンバーグの欠片を皿の上に置かれ、ミリアがくすりと笑みを浮かべた。


「おいおい、私はサンドイッチを半分あげたっていうのに」

「それはそれだ」


 ハンバーグを守るように引き寄せながら、クゥが警戒しつつミリアを見返した。

 そもそも代金はミリア持ちなのだが、ミリアはそんなクゥを愛しげに見やってハンバーグの欠片を摘み上げた。


 子供のようだと思ってはいけない。要は彼も獣なのだ。そしてそれを人間の下に置こうとすること自体が、人間の驕りであるとミリアは思う。

 とりあえず、求愛中の雌に送る貢ぎ物には勿体ないと思うくらいには、ハンバーグを気に入ってくれたということだ。


「ん、ほんとだ。かなり美味しいねここは」

「であろう? であろう?」


 欠片を口に入れたミリアの目が見開く。お世辞抜きで美味い。

 そして感想を共有出来たのが嬉しかったのか、まるで自分の手柄のようにクゥの顔が綻んだ。


「ちょっと高めだけど、この店にしてよかったかな」


 ミリアは口に広がる肉汁の味に「へぇ」と呟いた。

 メニューでは分からなかったが、どうやら牛と豚の合い挽きらしい。十分に火が通った肉の表面に付いた焦げが、口の中に肉の存在感を伝えてくれる。


 旅の資金は厳しいところだが、新たな門出の一食だ。少々奮発したのが功を奏したようだとミリアは数刻前の自分を軽く誉めた。


「なにか変わった匂いがするのだ。こんな肉喰らうたことがない」

「ああ、それは香辛料だろうね。えっと、なんて言ったらいいかな。臭み抜きというか、香りを加えるためのものだよ」


 クゥに言われて、なるほどとミリアも納得した。肉もいいが、確かに香辛料がいい按配で加えられているようだ。塩加減もいい。

 肉の臭みを抑えると同時に、ただの焼いた肉を料理のレベルまで押し上げてくれている。


「ほう、香りとな? はぁ……誠、人間というのは強欲なものであるなぁ。匂いすらそのままでは満足できぬか」

「そう言われると人間としては返事に困るけど、まぁそうなのかもしれないね」


 欲目が人間の良いところであり悪いところだ。つまるところ争いも発展も、際限のない人の欲が前に進ませる。

 とはいえ、そんな些事には興味はないのか、竜神は嬉しそうに残りのハンバーグを口に入れた。強欲であれなんであれ、美味いものをくれるのならば彼は食べるだけである。


「ふぅむ、満足だ。『はんばあぐ』見事なり」

「喜んでくれたようでよかったよ」


 クゥが幸せそうに腹をさするのを見て、ミリアもホッとしたようにスプーンを取った。

 彼女の頼んだミルク粥はメニューの中でも安い方だったが、自分はこんなものでいいとミリアはミルクに浸けられたパンを匙で運ぶ。


「……乳の匂いがする」


 食べ始めたミリアを、じっとクゥが見つめた。気になっているようだが、これを食べられてはミリアの分がなくなってしまう。


「ふふ、要るかい? 女子供の食べ物だけれど」


 ここは賢く行かせてもらおう。匙で掬ったパン粥をクゥに差し出すと、クゥはぷいっと顔を背けた。


「要らぬ! 我は誇り高き雄である故!」

「そうかい、それは頼もしいね」


 腕を組みそっぽを向く竜神をくすくすと眺めながら、ミリアは今一度温かな粥を口に運ぶのだった。



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