第04話
『……一緒に?』
「そうだ。私はこの森に留まるわけにはいかないけれど、君はそうじゃないだろう?」
ポロンと、ミリアの竪琴が音を奏でる。
ミリアの思いつきに、クゥは驚いて彼女を見つめた。確かに言っていることは理解できるが、自分はもう数百年もこの祠から動いていないのだ。この回答に自力でたどり着くのは不可能だったろう。
「私の旅に君も同行するといい。嫌かい?」
『嫌なわけなかろう。ミリアを殺さずに済む上に共にいられる。願ったり叶ったりだ』
正直、あの言葉を聞いた瞬間に殺す気は失せていた。要は、目の前の雌に言葉と覚悟で屈服させられたということだ。あのままミリアが帰っていたとしても、クゥが爪を振るうことはなかっただろう。
けれど、共に居られるとなればそのほうがいい。クゥはミリアにすり寄った。
『旅といえば、歌のように世を廻るのであろう? 楽しみだ』
「ふふふ、現金だな君も。さっきまで私を殺そうとしていたんだぞ」
そんなことは既に忘れたというように、クゥはミリアに鼻先をすり付ける。ミリアも、とりあえず死ぬことはなさそうだと安堵の息を軽く吐いた。
「しかし、付いてこいとはいったが……君が動くとなると色々と大変そうだね」
甘えん坊のドラゴンを見上げながら、ミリアはどうしたものかと苦笑する。なにせ龍種だ。街になんか入れないし、そもそもクゥが飛んでいるところを見られるだけで軍隊が動くはめになるだろう。
『なに、その辺りは心配ない』
そこは承知しているのか、クゥは得意げに胸を張った。
神として崇められていた彼だが、それ以上にただの厄災として人間に弓を引かれた過去の方が多い。祠に落ち着いたときは心底安堵したものだ。
『昔、どうしても煩わしいとき人に紛れるために編み出した術だ。どうにも屈辱的で一度使ったきり封印していたが、ミリアと同じ姿と思えば悪くはない』
そう言うと、クウテンケンコクーラの身体を淡い光が包み込んだ。ミリアが驚いていると、その光は直視できないほどに強くなる。
「うッ……」
我慢できずにミリアは目を瞑った。そして徐々に光が収まっていくのが感じられる。
なにが起こったんだと思いながら、ミリアはゆっくりと瞼を開けた。
「なッーー!?」
そこには、思わずミリアが声を上げてしまうほどの、予想外の光景が広がっていた。
「ふむ、こんなものか」
銀色の髪に、褐色の肌。背は高く、端正な顔立ちは美しいとはこういうことだと言わんばかりに整っている。
引き締まった肉体。均整の取れた身体。どこから見ても人間の雄にしか見えないクウテンケンコクーラがそこにいた。
人化の術。獣の神が人に化ける逸話はミリアとて知っていた。彼が使えたとしても特段驚きはしない。
けれど、そんなことよりもーー
「使い慣れていない故、この姿しか取れんのだ。ミリアの好みの雄であればいいのだが」
クゥは自分の身体を見下ろして、おかしなところがないかチェックする。人間の細かな造形など自信はないが、ひとまず大きな間違いはないように思えた。
「どうだミリア? これで問題なかろう」
これで見た目は人間の雄と雌。クゥはミリアに得意そうに笑みを浮かべた。
そんなクゥに驚きながらも、ミリアはそっと視線をずらす。問題なかろうと言われても、大きな問題が彼女の眼前に直面していた。
真っ赤に頬を染めながら、ミリアは声を絞り出す。
「すまない。その……服はどうか着てくれないかな」
見たことのない彼女の表情に、クウテンケンコクーラは不思議そうに首を傾けるのだった。
◆ ◆ ◆
「おお……おおおッ!」
目の前に広がる街並みに、竜神は感動のあまり声を出した。
石と木で出来た建物に、土の道。見回せば、竜の姿であっても見上げるほどの塔も建っている。
人が忙しそうに行き交い、その流れは油断していると流されてしまいそうだ。
「なんだこれは!?」
きらきらと瞳を光らせる竜神を、ミリアは興味深そうに見上げた。
さすがに全裸はまずいと自分のマントを羽織らせているが、丈が足りないのか膝が見えている。
端正な顔立ちと格好のせいで、さきほどから通り過ぎる女性がチラチラとクゥの方へ振り返っていた。
「なんだもなにも、街だけれど。……君も昔は森の外にいたんだろう?」
「そうだが、このようなものではなかった! なんというかこう、ちょこんと。ああ、人間が住んでいるのだなくらいにしか思っていなかった」
興奮しているクゥの説明に、なるほどとミリアも納得した。
クゥが森の外の空を飛んでいたのは数百年前だ。その頃と比べれば、確かに人の営みも進化しているだろう。
「まずは君の服を買おう。……すまないけど、安物で構わないかな?」
手持ちはあるが、それは旅の資金だ。それにこれからは二人分なわけで、悩ましい問題だとミリアは口元を固く結ぶ。
「なんでもよい。むしろ服なんぞなくとも……」
「必須だよ。人前で脱いだら置いていくからね」
ミリアに言われ、竜神は慌てて彼女の後を追った。人の姿とはいえ、元は自分なのだ。肉体にも男性の象徴にも自信がある。なぜに隠さねばならないのかと、クゥは人間の世の不条理に納得がいかないように肩を落とすのだった。
◆ ◆ ◆
「まけてもらえてよかったね。うん、値段の割にはいい服だ。君の顔に感謝だな」
「そうなのか? ああでも確かに、先ほどの雌は我に発情しておった」
服とマントの感触に眉を寄せていたクゥが、腕を広げながらミリアに振り向く。
堂々と街を歩けるようになったことに気をよくしながら答えるクゥに、ミリアは意外だと思い顔を上げた。
「なんだい、私以外の女に色目を使われて嬉しかったのかい?」
「当然だ。本来ならば人間の雌など興味もないが、ミリアは人間であろう。ならば人の雌に好かれるのも悪くないというもの」
ふんすとクゥは鼻を広げた。
雌から取り合われるほどの雄。それは自然界では誇ることであるし、いわば群の主の特権でもある。雌もそのような雄に惹かれるものだと、クウテンケンコクーラは胸を張った。
「そうか、私以外でもいいのか。幻滅だよ、人を殺そうとまでしておいて」
「ち、違う! ちゃんと話を聞いていたのか!?」
慌てるクゥの声を聞き、ミリアは我慢できずに小さく笑った。
なにせ自分は、神に等しい龍種から求愛されているわけだ。因果なものだとミリアは隣を歩く竜神を見やる。
なんとか愛しの彼女の機嫌を取ろうと必死になっているクウテンケンコクーラの顔を、ミリアはくすくすと微笑みながら見つめてやった。
「ふふ、冗談だよ。けれど人間には嫉妬という面倒な感情もあってね、発言には気をつけるといい」
「ふむぅ、肝に銘じておこう。ミリアに嫌われたくない故」
ミリアも、眉を下げるクゥによしよしと頷いた。
しかし、それにしても素直な言葉だ。人間の姿になったせいか、意識してしまって困るとミリアはクゥの顔を見上げる。
とんでもない美形だ。まぁわざわざ変化しているのだから当然なのだろうが、それにしても女心を突いてくる造形である。
別段面食いというわけでもないが、この顔でじゃれつかれると流石のミリアも反応に困る。
(参ったね、どうも)
無邪気に街を見渡しているイケメンを横目に、ミリアは困り顔で眉を寄せた。相手がこんな風であっては、自分がしっかり手綱を握らねばならない。
「ミリア、そういえば飯を喰うのであろう! 言っておった!」
「はいはい。お腹も空いたし、ご飯にしようか」
目を輝かせて喜ぶ竜神を見ながら、ミリアは呆れたように街の飯屋へと足を向けるのだった。