6 そして、坂道を転がり落ちるように
4日後の日曜に、あたしがまた鷹野さんと一緒に出かけることを知った両親は、大喜びだった。
あたしを刺激しないように距離を置きつつ、生暖かい目で見ている。
はっきり言って居心地が悪い。
「とりあえずもう一度会うけど、期待はしないでよ」
と言っても、はいはい言うだけで絶対わかってない。
…いや、わかってないのはあたしの方か。
二度目? のデートは、福島県猪苗代湖畔にある「世界のガラス館」だった。
この前の駐車場で待ち合わせをして、鶴ヶ城近くの食堂でラーメンを食べてから猪苗代湖へと向かう。
ラーメン代は、別で払った。
あたしの意地だ。
ガラス館では、ガラスで作られた器などが展示されているほか、スワロフスキーのオーナメントやガラスでできたチェス駒なども展示してあった。
時間帯によっては、自分でコップに模様を彫ったりもできるらしい。
あと、吹きガラスで作った鳥やカニなどのマスコットも販売されている。
チープな造形だけど、なかなか可愛い。
鷹野さんと一緒に見ていると、意外に彼も可愛い小物が好きらしいことが見て取れた。
でも、あたし的に一番テンションが上がったのは、美術品として展示されていたガラスの剣だった。
昔少年ジャンプで連載していた「風魔の小次郎」に出てくる雷光剣そっくりだったのだ。
落ち着いて考えてみれば、そんなに不思議なことでもない。
雷光剣は、実際にモデルにしたかどうかは知らないけど、「七支刀」という国宝になっている神具に酷似したデザインだ。
七支刀を打てる刀鍛冶もいるし、現物も見たことあるけど、ガラスの七支刀があるなんて知らなかった。…なんて綺麗。
鷹野さんは、テンション上がりすぎて熱く語り出したあたしを持て余しつつも、笑っていた。
帰り道、適当なレストランで夕飯を食べて帰る。
車を降りようとしたら、鷹野さんに言われた。
「美波さん、俺はあなたともっと一緒にいたい。結婚を前提に付き合ってくれないかな」
「…少し、考えさせてくれますか?」
あたしは、自分の気持ちがわからない。鷹野さんはいい人っぽいけど、でもあたしと趣味の話はできない。
そんなんで、あたしと付き合って楽しいんだろうか。あたしには、自信がない。
そんなあたしの気持ちも知らずに、電話番号をメモして、彼はこう言った。
「もちろん、考える時間はあげます。3日あげる。だから、考えて」
家に帰ったあたしは、両親の質問攻めを躱してお風呂に入った。
鷹野さんは、確かにいい人だとは思う。
あたしがはしゃいでも笑って見ているような人だし。
でも、趣味の話は、多分、できない。
あの人は、普通の人だ。
下手をすると、あたしがアニメを見るのだって眉を顰めるかもしれない。
でも、もしかしたら。
こんな風に考えてる時点で、あたしは鷹野さんにときめいちゃってるんだと思う。
その夜、夢を見た。
あたしと鷹野さんが一緒にスーパーで買い物してる夢。
手を繋いで、2人して反対の手で買い物袋を提げて歩いているあたしは、幸せそうだった。
翌日の夜、あたしは意を決して鷹野さんに電話した。
「あれ? 早かったね。もう答え出たんですか?」
「あの…趣味とか多分合わないと思うし、見る番組とかも違うと思うけど、それでもよければ、あたしも付き合いたいです」
「ありがとう。それじゃ、これからは梓さんって呼んでもいいかな?」
「あ、はい。あの、あたしの番号、これですから」
「うん。ありがとう。
今度の日曜は、俺、仕事なんだけどさ、5時には終わると思うから、その後夕飯だけでもどうかな? 付き合って最初のデートってことで」
「わかりました。お仕事終わったら連絡ください。
いつもの駐車場に行きますから」
「じゃあ、楽しみにしてる。
おやすみ、梓さん」
「てん…おやすみなさい」
電話を切った後で思った。「天平さん」って呼びづらい名前だ。
日曜日、仕事が終わった天平さんと合流したのは、午後6時半過ぎだった。
まあ、ご飯を食べるだけだから、そんなに遅いってわけでもないんだけど、せっかく会うのに時間が短いのはもったいない気がする。
「何か食べたいものある?」
「お薦めのラーメン屋があれば、そこで」
連れて行ってもらったラーメン屋で、お薦めのタンメンを食べたけど、とても美味しかった。
あたしは、1人でラーメン屋に入るのも平気だけど、根が出不精で新しいお店を開拓しないから、連れて行ってもらうのは新鮮だ。
他にも美味しいお店があったらまた連れて行ってほしいと言ったら、なんだか嬉しそうだった。
せっかく会ったんだからと、海の近くの公園に行って、少しお話をした。
もう、夜はかなり肌寒い時期だ。
「寒くない?」
と聞かれて
「ちょっとだけ」
と答えたら、抱き寄せられて、そのままキスされて。気が付いたら、天平さんの背中に手を回している自分がいた。
なんだろう、すっごく居心地がいい。
「好き…」
ぽろりと口からこぼれた言葉に、自分でも驚いた。
そして、家の前まで送ってもらい、車の中でもう一度キスをして別れて。
あたしは、既に天平さんにどっぷりはまっているらしい。
家に入ると、やっぱり何かを待っている両親がいた。
「付き合うことにしたから。
それ以上の話はパス」
とだけ言って、自分の部屋に戻った。
親と同居してるのは楽だけど、こういう時に逃げ場がないのが問題だ。
あと、叔父にも電話して、付き合うことになったという報告と、この前の謝罪と紹介してくれたお礼を言っておいた。
叔父がニヤニヤしているのが見えるようで、ちょっと腹が立った。
それから、天平さんとは、毎晩電話している。
お互い仕事をしているから、夜の11時から日付が変わる頃まで。
「天平さん」は言いにくいので、「天さん」と呼ぶようになった。天さんからは「梓」と、「さん」が取れた。
お互いのその日の出来事を話しているだけなのに、あっという間に1時間経ってしまう。
趣味の話なんかする暇もないくらい、あっという間の1時間。
本当は、電話を切りたくない。もっと話していたい。
でも、翌日に響くのがわかってるから、諦めて切り上げる。そんな日々があたしに訪れるなんて、想像もしてなかった。
「おやすみ、梓」
「おやすみなさい、大好き」
いつも繰り返される最後の挨拶。
天さんは、期末テストの準備だなんだでとても忙しく、付き合ってから半月が経つけど、実際に顔を見たのは、キスをしたあの夜だけ。
電話で声を聞くだけの日々が続いている。
社会人なんだから、仕事に追われることもある。そんなことはわかっているけれど、会いたい気持ちが抑えられない。
どうしよう。今すぐ会いたい。「会いに来て」って言いたい。
ずっと忘れてた、泣きたいような、叫びだしたいような、この胸の疼き。
天さんが好き。傍にいたい。会いたい。キスしてほしい。抱き締めてほしい。
そして、ふと気付いた。
あたし、天さんから「好き」って言われたこと、ない。
不安とは違う。天さんの言葉には、あたしへの愛情が確かに感じられるから。
…不満、が正しいのかも。
あたしは、言葉にしてほしいんだ。
気持ちだけじゃなく、態度だけじゃなく、言葉も欲しいんだ。
どうしよう、天さんにねだってもいいかな? いいよね? 恋人なんだから。
翌日の電話で、
「あのね、いっつもあたしばっかり好きとか大好きとか言ってるのって、ずるいと思うの。天さんからも言ってほしい。…だめ?」
と言ったら、「あれ、俺、言ってなかったっけ?」と返された。
そして、その夜からは
「おやすみ、好きだよ、梓」
「おやすみなさい天さん、大好き」
と言って電話を終えるようになった。
電話の後、心に沁み入ってくる幸せが、涙が出るほど嬉しい。
こんなに幸せな気持ちになったこと、ない。
その後も、毎晩電話している。
天さんは、今、新潟市から車で小1時間掛かる三条市のアパートに住んでいる。
三条市の中学校に勤めているからだ。
実家からだと片道1時間半は掛かるので、学校の近くに住んでいるのだそうだ。
あたしの勤め先は新潟市内だから、三条に住むわけにもいかないし、どうしようねぇ、なんて話もした。
もちろん、結婚した後どこに住むかって話だ。
まだプロポーズされたわけじゃないんだけど、そもそもが結婚を前提に、という付き合いだし、自然にそんな感じになっている。
出会ってから4回目、付き合ってから3回目の日曜日になる12月の第1日曜日、久しぶりに午後から天さんに会えた。
今日は、初めて天さんの住んでるアパートにお邪魔する。
天さんのアパートは、玄関を入るとキッチンとバス・トイレがあり、正面の戸を開けると8畳の部屋があるという作りだった。
一人暮らしのくせに割と綺麗な、というか、あたしの部屋より整頓された部屋だ。
天さんは「今、お茶入れるから、待ってて」と言ってキッチンに行ってしまい、あたしは部屋に置かれた小さな折りたたみテーブルの前に座り、部屋の中を眺めている。
一応、「あたしがやるよ」って言ったんだけど、「どこに何があるか、わかんないでしょ」と言われて、大人しく待っていることにした。
目の前にコーヒーが置かれる。
いかにも遊びに来た友達用って感じの飾り気のないマグカップが嬉しい。
少し話をしていると、ふと、天さんが立ち上がってあたしの背後に向かった。
背後には本棚があったから、何か見せたいものでもあるのかな、と思ったら、いきなり後ろから首に何かを巻かれた。
見てみると、銀色のチェーン。天さんはあたしの首にネックレスを着けたらしい。
そして、そのまま後ろから抱き締められ、耳元で
「首輪、着けたから。俺んだからね」
と囁かれた。
今のって…、もしかしなくても、プロポーズ、だよね。
「天さん…」
「指輪は、まだ待って。情けないけど、ボーナス出るまで買えないんだ。
こんなことになるなんて思ってなかったから、そういう貯金はしてなかったんだよね。
だから、今はこれで勘弁な」
涙が、溢れた。
この前も「こんな幸せな気持ちってない」なんて思ったけど、もっと上があったよ。
「天さん、婚約首輪着けたんだから、ずっと可愛がってね」
あたしの言葉に、天さんは「約束する」と答えてくれた。
そして、そのままあたしを横たえて抱き締め、キスしてくれた。
ずっとこの時間が続くといい。
あたしは、そう願った。