4 結婚する気はありません
「美波梓さん?」
指定された11月3日の午後、待ち合わせ場所に着いて指定された白いプリウスを探していると、男が声を掛けてきた。
Tシャツにジーンズとずいぶんラフな格好で、眼鏡も黒縁じゃなくて、なんか写真と印象が違うけど、あたしの名前を知ってるんだから、この人が鷹野天平とかいう人なんだろう。
男に着いていくと、確かに白いプリウスが停まっている。
白っていうか、パールホワイト。でも、結構汚れてない? 最後に洗車したのいつよ?
「初めまして。鷹野天平です。
美波梓さんですよね?」
「初めまして。今日はよろしくお願いします」
これっぽっちもよろしくする気はないけど、最初の挨拶くらいはきちんとするのが社会人ってもんよね。
叔父が二度とこんなことを企まないように、完膚無きまでに話を潰してやる。
猫を被るのは、今だけだ。
当たり障りのない挨拶をして、お互い車に乗り込んだ。
なんで車なのかはわからないけど、叔父の口ぶりからすると、既にコースは決まっているはず。それをあたしに敢えて教えてこなかった以上、教えたらあたしが抵抗する場所のはずだ。
「あたし、今日何をするのか、全く聞いていないんですけど」
「あれ、そうなんですか? 北野さんからは、美波さんが海を見たがってるからって言われてきたんですけど」
北野というのは、叔父の姓だ。
確かにあたしは海を見るのは好きだけど、それは気の合う友達と一緒とか、1人でとかに限る。初対面の男と海を見に行く趣味はない。
「そうですか。それ、叔父が勝手に言ってるだけですから。
あたし、今日、どこで何をするとか、一切聞いてないし希望を聞かれてもいません」
そう言うと、鷹野さんはかなり驚いたようだ。
「え? そうなんですか? 笹川流れまでドライブに行くよう言われてきたんですけど」
笹川流れというのは、新潟県と山形県の県境辺りにある綺麗な砂浜だ。
あたしは、泳ぐわけじゃないけど、海を見るのが好きで、よくそこに行く。
当然、叔父もそれを知っているから、こういうことになったらしい。
「確かに笹川流れは好きですけどね。
鷹野さん、あたしのこと、何て聞いてるんですか?」
「え~っと、…漫画が好きだと」
今の間は、多分ロクでもないことを吹き込まれてるってことね。
マンガ好きが当たり障りのないことと思われるって、ほかに何を聞いてるのやら。
「そうですね、マンガは好きです。
アニメとかゲームとかも。
ドライブ中、これ、聴いてみます? あたしがいつも聴いてるようなのを入れてきましたけど」
あたしは、この日のために用意した闇鍋CDをバッグから取り出した。
このCDには、ゲームミュージックやらロボットアニメの主題歌やらを詰め込んである。
聴いていて、次に何が流れるかわからないから闇鍋CDだ。
仲間内で、お互いに意表を突くために作るのが本来なんだけど、今回は初心者向けに、あまりコアなのは入れていない。
とはいえ、これでこの話を打ち砕けるくらいのインパクトはあるはずだ。
曲を流すと、いきなり流れるのは「ガッチャマンの歌」だ。
大体誰でも知っているから、掴みにはちょうどいい。
「ああ、これ、ガッチャマンのオープニングですよね。知ってます。
って、こういうのをいつも聴いてるわけですか?」
驚いてる驚いてる。狙いどおり。
「ええ、まあ。でも、オープニングってのいうのは正しくありませんね。元々はエンディングですから」
「元々?」
「ええ。最初の1クールは、こっちがエンディングだったんです。2クール目からオープニングとエンディングが入れ替わったんです。
昔は、そういうの時々あるんですよ。『海のトリトン』とか」
「1クールってなんです?」
そうだろうそうだろう、普通の人には1クールなんて言ってもわからないだろう。
「1クールっていうのは、3か月、13週間のことです。1年を52週として、その4分の1ですね。テレビ番組は、昔は元々2クール、半年単位で契約して作ってたんです。
『ガッチャマン』の場合、2年、つまり8クール続きましたけど、2クールごとにクライマックスイベントが用意されてます。
そこで終わろうと思えば終われるわけです。
最近、ドラマは大体3か月単位で放送するでしょう? あれが1クールです。
今時は、特番やら何やらで削られて10話くらいで終わりますけどね」
「へえ…物知りなんですね。」
などと言っている間に次の曲が流れる。今度は「海のトリトン」だ。この曲を手に入れるのには苦労した。
「…今度は何です?」
「これがさっき言っていたトリトンですよ。バックでかぐや姫が歌ってます」
「トリトンって、ゴーゴー! トリトーン!って歌じゃないんですか?
よく甲子園でブラバンが吹いてますよね」
「それも最初はエンディングでした。こっちがオープニングです」
よしよし、順調に微妙な顔になってきた。
もう一息だな。
「…で、今度のは? なんというか、随分変わった歌ですけど」
「『宇宙猿人ゴリ』のオープニングです。世間的には『スペクトルマン』のエンディングと言った方が通じますが」
「スペクトルマンですか? う~ん…聞いたことないです」
なんてこった。マイナーすぎたか。しかし、引いてるのは好都合だ。
「叔父から何て言われたかわかりませんけど、あたしが好きな『マンガ』って、こういうのなんです。
真面目な学校の先生にはついていけないでしょう?
あたし、多分、一生こういうのから離れられませんよ」
言ってやった!
さあ、どう出る? と思ったら、もの凄く微妙な顔をしている。
「あの、美波さん、今日何しにいらしたんですか?」
よくぞ聞いてくれました!
「ごめんなさい。実はあたし、叔父に無理矢理引っ張り出されたんです。
別に結婚したいとも思ってないし、男の人と知り合いたいとも思いません。
叔父から何て言われて来たか知りませんけど、そんなわけですので。なんならこれで帰っていただいてもいいですよ」
鷹野さんの顔色を窺っていると、しばらく硬直した後、破顔した。
「なぁんだ、美波さんもだったんですか!」
なんですと!?