第十二章 朱金の天人
エドガーが凄みのある声で、目を閉じて静かに呼吸をするエリザベートを抱いたまま怒鳴る。それとは対照的な落ち着き払った声と態度で、彼は俺達に向き合った。そこにあるのは先程までの禍々しいオーラではなく、しかしこんな状況でも自信に満ちた傲岸な態度で放つ言葉に、俺の背筋に冷たい物が走る。
「お前たちは何をしに来た。遊びに来たんじゃないだろ。僕には用があるんだ。ほら、飛陽族のガキ。そこの高機能アンドロイドを使って鍵を開け」
俺は反射的にゼロを見た。彼はいつもの無邪気な眼で俺を見ている。ゼロがアンドロイドでアーティファクトということは分かる。でも鍵って、何だ? 俺は彼に問いかけた。
すると彼は軽く笑って、
「言っただろ。俺は運命論者なんかじゃない。運命なんて信じないけれど、でも、カルマが俺を突き動かしている気がする、そんな気もする。それはお前だってそうだろ?」
こいつは、何勝手に良く分からないことを言っているのだろうか? それとも、ゼロはこの男の言っている意味が分かるのだろうか? ゼロに俺は尋ねてみると、俺のゼロへの問いかけに割り込んでベルは声を上げる。
「鍵が分かるわけがないだろう。早く」
そう口にしたベル、しかし、恐ろしい光が俺の前を横切った。金色の輝く瞳、全身は赤い牡丹に彩られ、その背には三つの顔と六本の手を持つ、阿修羅が青い気を発しながら鎮座していた。
そして蓮さんの腕が、六本になりその全てが、刀を握って、ベルの首元を狙っている。阿修羅の、修羅のすさまじさに、俺はまたしても言葉を失ってしまった。
「砂粒のような人間の命が消えようと生きようと興味がない。そう、お前は以前言っていたよな? これ以上仲間に手を出すような真似をするならば、今すぐに首を何万回でもはねてやるぞ、死者の王」
その言葉で思い出してしまった。逆さバベルの塔に行く前に蓮さんから聞いた話。昔蓮さんがリッチと出会って戦って、勝負がつかなかったという。そしてリッチは生命を刈り取る者でもあるが、あまりの力の強さから、人の命などに価値を置かないということを。
悔しいけれど、俺は、目の前の修羅と死者の王が対峙している場面で、武者震いが止まらなかった。恐怖と興奮と自らを鼓舞する気持ちが入り混じり、やけに身体が熱いのに、何も手出しができなかった。
リッチは姿を変えるわけでも刀を払うこともせずに言う「久しぶり。いつから気づいてた? ……だんまりか。変わってないね。でもさあ、僕も君の友達ってことでいいんじゃない? 一応、誰も殺さないであげるからさ。そんなことが目的でここまで来たんじゃないんだ」
「じゃあ何が目的だ」と低い声で蓮さんが口にする。
「ユグドラシル」と、ぽつりとリッチが口にした。俺はその名前を知っている気がした。いや、知っている、はずなのに何も情報が思い出せない。何だこの感覚。俺の思い違いなのか? 先程の記憶は、何なんだ? あの飛陽族の遺跡で味わったような、不思議な感覚。
「ユグドラシルって、何なんだ?」俺の質問に、リッチは振り返る。威厳を感じられる無表情で、全ての物に興味が無いかのような、見下しているかのような、彼。
「鍵だよ。巨大な樹木の姿をした。でも顕現させ定着させるのは神聖、神の属性がなければ難しい。何が言いたいか分かるか?」
その時、紅の衝撃が俺達を襲った。凄まじい衝撃に俺は痛みをこらえつつ、目を離さないようにする。しかしその目標はリッチだったことに数秒後に気付く。だが、こんな能力を持っている人を俺は知らない。そして、リッチの頭には深々と紅色の大剣が突き刺さっていた。彼は鬼の形相でそれを引き抜くと、大剣はバラバラになって霧散する。
何が、起きているんだ? ちらと、周囲を見ると、エドガーや蓮さんの表情にも戸惑いが
見えた。そして、エリザベートと、ゼロも、まるで眠る様に静かに、光のベールの中にいた。
そのベールは誰かが生み出したもの? それとも非常事態に応じて発動するものなのか? 俺はゼロの名前を叫ぶが、反応がない。でも、アーティファクト反応は確かにある。ゼロも、エリザベートのように昏睡状態なのか?
「随分な挨拶だな。神様」リッチの感情のこもった憎らし気な声。それは空に向けられていた。俺も空を仰ぎ見る。そこには、太陽があった。いや、まぶしさしかなかった。異常な光景。しかし、俺は心臓を鷲掴みにされたような衝撃に襲われた。
赤い髪、赤い瞳。褐色の肌は刺青と派手な赤い宝石に彩られている。彼が広げた翼は金と赤に縁どられ、日輪を背負いながら優雅に雄大に空に君臨している。そして、俺の身に着けているブラッドスターが光を放ちながら、俺の心臓と共に静かな運動をし始めていた。
「とう、さん?」