第五章 死灰の秘紛 ゾンビパウダー
どういうことだろう。その男はかなりの手練れの魔導士のように見えた。それにこの砂漠に一人でいるなんて、普通の冒険者じゃあ無理だ。彼は風のように俺達のバリアの中に身を隠すと、舌打ちをしたエドガーが前に出て剣を振るう。しかしそのモンスターはエドガーの攻撃に何の反応も示さない。
するとエドガーは素早く龍化し、飛び上がるとダイアモンドブレスを吹き付ける。そのすさまじさにこちらまで寒気に襲われる。そしてエドガーは「ゼロ!」と口にすると、ゼロはその身体にエメラル・ドガトリングガンの銃弾の雨を降らせる。恐ろしいコンビネーション。
ゆっくりと、粉塵と霧が晴れて行く、しかしそこにいたのは変わらないドクロ、その奥の赤い瞳から巨大な液体が飛び出してきて、こちらに噴射してきた。俺は慌ててそれを炎の力で焼き払う。何なんだ? こいつは、不死身なのか? 嫌な予感がしてちらりとエリザベートの方を見ると、彼女は目を閉じて、何かを詠唱していた。
光を帯びる彼女の全身。気のせいか彼女の声だけではない、何か心地良い歌声らしきものも聞こえるような気がした。
はっと気が付いた時、なんと彼女の脳天に落雷が落ちていた。しかし彼女はそれに臆することなく詠唱を続ける。彼女が発する光が強くなる。それに恐れををなしたのか、ドクロの影が一瞬ゆらいで見えた。しかし、ドクロは黒い霧のようにその姿を何倍にも広げる。
「動くなよ!」
エドガーが大声を上げると同時に、大剣から烈風が吹き悪霊の姿を弱める。しかしその姿を消すには至らないようだった。エドガーが舌打ちをしながら剣の構えを変えると、エリザベートが「任せてくれ」と小さな声で言った。
ゆっくりと目を閉じたまま悪霊に近づき、俺が思わず「危ない!」と叫ぶのも聞かず、エリザベートはそのドクロを両手で抱きしめるような仕草をする。それは瞬時に灰になり、崩れ落ちる。霧が、完全に晴れた。
さすが、ヴァルキリー。聖なる者の攻撃、祈りしか通じない存在なのだろうか。彼女がいなかったと思うと恐ろしい。今更俺は身震いする。ここで場違いな口笛が鳴る。
「いやあ、助かった。僕じゃあどうしてもかなわない相手だったし困っていたんです。こんな所で神官様に会えるなんて僕はなんて幸運な男なんだ!」
しかしその男にエリザベートは厳しい顔をしたまま沈黙を貫いている。男は見たことがない、しかし高級そうでシンプルな黒いローブで身をまとっていて、黒い髪に赤い瞳。多分年齢はエドガー位だと思うが、その顔は童顔というか、どこか幼く、一見人のよさそうな印象を与える。
「なあ、君、どうしてこんな所にいるの? しかも一人で」と俺が質問すると、彼は高いテンションで、
「よく聞いてくれました! 僕の名前はベルチェニコフ。まあ、みんなはベルって呼んでるんだけどね。それでさあ、その皆。仲間が探索中に全滅するし、しかもサンドヒューネストっていう厄介な悪霊にも襲われて死ぬかと思ったよ。ほんとどうもありがとう」と彼はエリザーベトに握手を求めるが、やはりエリザベートは微動だにせず言う「お前は死なない。そうだろ?」
ベルチェニコフ、ベルは、ほんの少し微笑んだかと思うと「さすがヴァルキリー様だ。とっくにお見通しってことですか」と余裕ありげに口にする。どういうこと、と俺が瞳で皆を見ると、蓮さんが裏・村正を鞘から出して口を開く。
「君は、死霊使い、ネクロマンサーだな。サンドヒューネストは高位の死霊だ。同族同士の闘いは消耗こそすれ、死にまでは至らない。そうじゃないか?」
その言葉も彼は微笑で受けると「ここにいらっしゃる方々は本当に優秀な方々だ。是非同行を赦していただきたいものです」
「おい! どういうことだ! ネクロマンサーって悪玉の代表みたいな奴だろ。なんで得体の知らないそんな奴と俺らが旅をするってんだ! 馬鹿も休み休み言え! それにエリザーベトがそんな奴と一緒に行くわけがねーだろ!!」
エドガーがそう怒鳴る。俺も同感だ。エリザベートはさっきからこの状況を静観しているのか、何か思う所があるのか、黙ったままだ。
「でも、君達の目的地は『存在してはならない帝国』でしょ。ならば僕の力が無ければそこにたどり着くこともそこで目的を果たすことも出来ない」
「な、何でそのことを!」と俺が思わず口に出してしまうと、彼はにっこり笑って、
「ここに来るなんてそれしか無いでしょ。カラグア大陸に何の用があるって言うんだ。変人の学者でもあるまいし。それに君達は知らないのかな。道を示すのに必要なのは、ヴァルキリー、古代魔術師。そして僕。ネクロマンサーの力が必要だってこと。僕のパーティも元々古代魔術師。それとヴァルキリーではないが神官もいたんだけどね、さっきも言ったように、全滅してしまって」
得意げに彼はそう口にした。この人は、知り過ぎている。見るからに怪しい。でもその力が本当に必要ならば、どうすればいいんだ?
「それで、お前が戦っていたサンドヒューネストは、『死灰の秘紛』で、仲間を死霊として復活させたのだろう」
エリザベートの言葉からは抑えた、しかし静かな怒りのような物を感じた。
『死灰の秘紛』。別名ゾンビパウダー。不死の夢を見た狂った魔法使いが、自分自身を不老不死にする研究をしていた。でも出来たのは、人間をゾンビにする薬。『死灰の秘紛』とは禁じられた魔法、或いはそれを引き起こす劇薬を指す。
有名な薬、魔法。冒険者ではない人だって知っているものだ。でも、それを目にする人は少ないだろう。俺も、勿論初めてその犠牲者―おそらく浄化された人―を目にした。
サンドヒューネストとは、恐らく死灰の秘紛でゾンビになった、強力な能力者のことを言うのだろう。
どういった理由があったにせよ、仲間を死霊にする。しかもそれをヴァルキリーが許すとは思えない。しかし、彼は悪びれずに言った。
「そうだよ。だってそうしなければ僕が死んでいたし、それが僕の能力だからね。ただ、僕の能力だってただ死体を操るだけじゃない。君らは僕と行くしかないんだ。大切な目的があってこんな危険な場所に来たんだろ。利害は一致している。それとも、恐怖心から千載一遇の機会を逃す気かな?この砂漠で干からびるか、おめおめと帰るつもりなの?」




