第四十三章 新しい風よ
エドガーが言うのも、もっともだ。急にこんな大声を出されたら驚かない方がおかしいよ。
「エドガー。フォルセティ殿は何を伝えようとしているんだ? ただ事ではないようだが……」
蓮さんが神妙そうな顔つきで口にする。そうだよな。ちょっとまともとは思えないというか、未だ何かあるって言うのか?
エドガーはむすっとした表情を蓮さんに向ける。
「わかんねーの! でもよ、あんなうるさい声上げるってのは頭おかしいだろ。あいつは昔からそうだったんだよ。俺がガキの頃、教会に行くための礼服を作るために仕立て屋を呼んだんだよ。その時もまあ注文が多いし、なんかよく分かんねー理由で返したりするし、横暴なんだよ」
「ちょっ! ちょっと、そういう昔話はいいから! グレイ、フォルセティ様が何を言っているのか分かる?」
ジェーンが慌てて話を遮る。流石ジェーン! こんな一大事でも昔の文句を引っ張り出してくるエドガーもすごいけどね!
「それが……分からないんだ」
グレイぽつりと口にした。場が静まり返ってしまった。一応、フォルセティさんの声は止んだのだけれど、どういうことなんだろう。
「僕が彼の力を抑えてみる。無限のひとひらに長時間触れているのは危険なんだ。皆はここにいて、近づいたりしないでね」
ハレルヤはそう口にすると輝くエメラルドグリーンの大きな翼を広げ、飛び立つ。
「ハレルヤとあのクソオヤジとはどういう関係なんだ?」
エドガーがぽつりと呟いた。俺も気になるけれど、答えられる人はいない。でも、それは知ってはいけないことなのだろうか?
ふっと、頭に光り輝く豹人間の姿がよぎった。オセ・ハレルという名前らしいが、名前だけ分かってもどうしようもない。
どうしようもないというか、知ることが出来ない物が沢山あるんだなあ。空を飛ぶ、緑の翼のハレルヤの美しさに見とれながらそんなことを考えていた。
とりあえずはそれもひとだんらくってことでいいんだよな。戻ったら何をしよう。スクルドを宿屋で休ませて、あ、俺もシャワーがしたいな。大冒険の後は少しくらいだらけていたいかも。
大冒険が終わったらパーティは解散なのかな。エノク教会の人達は仕方がないとしても、未だ俺は飛揚族に出会っていない。まだまだ冒険が足りないよ。多分、きっと……エドガーや蓮さんも同じ気持ちならいいけれど。ジェーンはどうだろう。何かおいしいクエストでもないと同行してくれないかなあ。
寒気がした。
寒気というか、心臓を冬の風で抱かれたような、恐怖と痛み。
太陽の外套が勝手に発動していて、粉々に砕け散っていた。
太陽の外套が身代わりになるってことは、普通なら俺が死んでいたかもしれないってことだ。
頭が働いていないのか、冷静なのか分からない。周囲にはみんなの姿があって少し離れたところにはフォルセティさんとハレルヤがいる。それ以外に変わったことは見当たらない。
もしかして、アーティファクトの力を使い過ぎた代償ってことなのか? それとも『同期』ってのをしてきたから? ユグドラシルの力を開放したとか?
考えられることは沢山あるけれど、俺は周りのみんなに何か伝えたかった。助けを求めているのだろうか。それとも感謝の言葉だろうか。
そのどちらも発せられることはなく、俺の言葉は闇の中に沈んでいた。
気が付いた時には俺は闇に包まれていた。明かりの無い真夜中に一人でいるような感じだ。おまけにうまく身体が動かない。太陽の外套が俺の危機を救ってくれたらしいのに、ここから抜け出せる手段が思いつかない。
そもそも、何で俺は急にこんな場所に落とされたんだ?
リッチの仕業だよな。それ以外考えられない。
「違うよ、君が望んでこの場所に来たんだ」
抑揚のない声。リッチのそれとは違う気がして、嫌な汗が額ににじむ。俺は声が出せないのに、全身で違う! と念じ手足をばたつかせる。
「アポロ、君は何を見てきたんだ? 憎しみや争いと自分は無関係だと思っているのか? 許されるとでも思っているのか?」
心当たりはないのに、その言葉は俺の胸を刺す。でも、俺はそんなことを望んでいないし、戦争の原因を作ってなんかいない! 闇に向かって、無言で必死に念じ訴える。
「記憶が不完全だとしても、それが事実だとしたら? 失われていたとしたら? 君の身体は、記憶は、君の物なのか?」
濃い闇の衣が、俺を包む。俺はそれを完全に否定することができない。
俺は何なんだ? 俺は、誰なんだ? 俺は、アポロ。親の顔を知らない孤児。
「知りたいか? ならば扉は開かれる。君はそのやり方を知っているはずだ。同期しろ。自らの本当の姿を取り戻すんだ」
生唾を飲み込む。本当の自分。そんなものがあるとして、それを俺が望む姿とは限らない。
でも、俺がもし過去に罪を犯していたなら、償うべきだ。俺は、俺のことを知る義務がある。
覚悟は決まった。身動きが取れなくなってきた重い身体に力をいれて、闇の中で一歩を踏み出す。と、突然大きな手が俺の前に現れた。
「アポロ。私の手を取れ」
それは、フォルセティさんの声だった!! 何で!? 先程の抑揚のない声とは違う!
あと多分だけど、フォルセティさんが俺の名前を呼んだのってこれが初めてだよな?
俺は混乱しながら、差し出された大きな手を強く握った。
急に身体が楽になる気がした。握った左手の鷹の紋章が心地良い風を放っている。
そう思ったのも束の間、俺の鷹の紋章が焼けるような熱を持ち、自分の風の力が制御できない。おまけに背中の羽がもげそうなくらい痛い。太陽の紋章でアーティファクトに触れたりして強い反応をしたことはあるが、こんなことは初めてだ。
「フォルセティ……さん……ですよね? こ、これは……」
「私の手を決して離すな!」
弱気になった俺に檄が飛ぶ。指が外れそうな痛みが走る。自分の身体が、別物のような違和感と痛み。でも、俺はその声に従う。絶対に大丈夫だと、自分で自分をはげます。
俺は、俺達は大丈夫なんだ。何があっても負けない。冒険をこれからも続けるし、よく分からない奴らの思い通りなんかになりたくない。この手を、離さない。
ふっと、痛みが消えて視界が開けた。いや、痛みは残っているけれど耐えられる範囲だ。
俺の手を握っているのは、確かにフォルセティさんだった。オールバックの銀髪で険しい表情をした、怖い位の美形。濃い眉の下、黒く輝く瞳に射抜かれるとやっぱり少し怖いかもしれない。
その時、俺はおかしなことに気が付いた。俺とフォルセティさん以外の皆が、モノクロになっている?
これは、あの天人、プロメテウスの力だよな? でも、見たところ天人もリッチもいない。あ! あれ? ハレルヤもいない?
俺が混乱状態になっていると、フォルセティさんは俺の手を少し強く握って、離す。
「仲間たちを頼む」
どういうことなんだろう。俺は何かを口にしたはずだった。しかし、凄まじい風が辺りに吹き荒れた。風? 衝撃? 全身が千切りにされてばらばらになるような、初めての感覚。不思議なことに痛みはないが、これで俺は終わりなのかなと妙に冷静に考えている自分もいた。
太陽の外套が無い今、俺は死んでしまうのだろうか。分からない。俺は消え行く意識の中で自分の左手に残るぬくもりを感じていた。