第三十一章 解放された者、守る者 或いはエキスパンションを統べる者
「世界を救うってどういうことだ? だったら何で俺達がこんな所で見物してなけりゃならねえんだよ!!」
エドガーが怒声を上げる。でも、エドガーはいつものように、無鉄砲にこの結界から出ることはしない。
リッチは余裕たっぷりに憎たらしい笑みを浮かべ、手の上に黒い靄に包まれた骸骨を生みだす。気味の悪いそれを撫でるようなしぐさをしつつ、真っ赤な瞳を細めて喋り出す。
「漁夫の利ってことさ。いや、違うかな。愚かで使命に燃える聖者君たちにさあ、先に特攻無駄死にしてもらって、少しでもあの悪い奴の体力を減らしておいてもらおうかなってお膳立てしてあげたんだよ。おっと、皆そんな怖い顔で見ないでくれよ、怖い怖い。まったく、君らときたら……ほんとさあ……才能のある人間って言うのは、無自覚に人を見下すから嫌なんだよね。自分ができることは、相手もできて当たり前だって思うからさあ……」
こいつ……いきなり何を言い出すんだ? 話が飛躍してよく分からないが、最初に言っていた部分は、なんとなく分かった。
ヴァルキリーと彼女たちが率いる戦士たちが、朱金の天人と戦わせるようなお膳立てをしたってことか。
でも、どうやって? リッチとヴァルキリーに何の繋がりが?
その疑問のすぐ後で、俺は思い出してしまった。もしかして、あの場にはエリザベートもいるのか? 彼女も、特攻して無駄死にをしてしまう?
心臓が早鐘を打つ。そんなわけはないと、不安を打ち消そうとする。
相棒のようなギルディスが飛び出して行ったのに、自分の為すべきことをするグレイを、改めて立派だと思った。
自分が同じような立場に立たされたとしたら、俺は耐えられるだろうか?
というか、今、俺はそういう場面に立たされていると言うのか?
仲間を失うのに、黙って耐えねばならない恐怖。
小さな混乱状態にある俺の耳に、ぼそりと「そういうことだって。皆ここから出ないでね」と声がした。
冷静にそう告げたのは、ハレルヤだった。
何か反論したい気持ちはある。でも、何も言葉が出てこない。
しかし、なぜかリッチは舌打ちをして「おめーがしゃしゃるなよ」と吐き捨てるように呟いた。
リッチとハレルヤは、何らかの因縁があるというのか……?
いけない。そんなことばかり考えていてはだめだ。我に返ると、悲鳴と共に上空の戦いの様子が視界に入ってくる。
でも、それは戦いとはいいがたかった。朱金の天人が放つ光に、人々らしきものがかき消されていく、ただそれだけの光景のように見えた。
圧倒的な強さだ。四式朱華と対面した時を思い出して身震いがした。格が違う。フォルセティさん達がいるからって、あの相手に勝てるの、か?
「なあ、どうすりゃいいんだよ。俺達はこんなのを見続けるために面倒事を片付けて、集まったわけじゃねえ。そうだろ。リッチやハレルヤの言っていることが正しいのかもしんねーけど、バリアの中で突っ立ったままいるのが正解なのか? お前ら、黙ってないで答えろよ!」
エドガーが俺達に向かって声を上げた。エドガーは、俺達全員を睨みつけるような、哀しくも勇ましい顔つきだった。それを見ると胸が痛くなる。
でも、誰も声を上げない。それに、エドガーも飛び出したりなんかしない。しかしエドガーはリッチに背を向け、俺達を睨み続ける。
その時、俺はあることに気付いた。素早く商人の寝床から取り出したのは、千のチャイム。小さくって、光を放つ鈴だ。
ルディさんの説明だと、俺がこれをゆっくり鳴らすと、普段話せない相手との会話が可能になったり、相手の思考が覗けたりするという、すごいアーティファクトらしい。
それと同時に、恐るべき注意点も思い出す。ルディさんによると、
『誰かの心を、どこかに残された不可思議な記憶や歴史を蘇らせ、介入する力を秘めている物です。相手との対話に利用することができますが、同時に時間の領域の高度な魔法に近い力を持っているといえるでしょう。でも、注意してください。それは誰かの記憶や思考を盗み、、捻じ曲げ、壊すかもしれない。そして、例えば、アポロがそれをあの天人に使ったとした時に、アポロが壊れてしまう危険もあるのです』
『あくまで可能性の話です。シャーマンや聖職者が神降ろしを使うとき、通常はその術者の技能に応じた神や精霊の力の『一部』を降ろし、行使するのですが、自分の力を見誤る、或いは意図的に強大な存在とつながろうとすると、術者が大きすぎる力に耐えられず、その身を壊す危険性が極めて高いのです』
しかし、不思議と恐れはほとんどなかった。俺の持つ小さな光に、皆が注目していることを感じる。俺はそれを少しだけ掲げ、一定のリズムで鳴らしてみせた。
勿論、朱金の天人のことを思いながら。
ぞくり、とした。
今までに感じたことがない。これは? 恐怖であり、ぬくもり。怖いのに、同時に優しさに包まれているような親密さを覚える。親しい誰かと語り合っているような。冬のスラム街で、親友のレキト肩を寄せ合い、寒さをしのいだあの日のような……
不思議な感覚に戸惑いつつも、俺はチャイムを鳴らし続けると、声が聞こえた。
「俺は鎖から解かれた。お前は、俺のことが分かるのか?」
それは、朱金の天人の声だった。違うかもしれない。彼は上空で戦いと言う名の殺戮を続けているのだ。でも、俺には彼の声だと、なぜか確信していたのだ。
彼の声を聞いた俺は、身体中が震えていた。分からない。なんでだろう。俺は、やっぱり、彼のことを知っているのか、知っていたのか?
その時、俺の手に何かが当たった。当たったというか、俺の手にあった千のチャイムはハレルヤの手によって奪われていた。俺は意味が分からず、呆然としたまま声を出すこともできなかった。
ハレルヤは刺すような視線で俺を見た。
「これって千のチャイムだよね。こんなものまで持ってるなんて驚いたよ。前に言ったよね。僕は中立者、傍観者ってことだったんだけどなあ。やっぱり、アポロに死んでほしくないんだよね」
俺は、どう反応すればいいのか分からなかった。上空では勇士たちが無残な死を迎えている。俺達は戦いに来て決着をつけるはずなのに、結界の中で何もできずにいる。
「ハレルヤ。君は、何なんだ? 俺は、死にたいわけじゃないけど、この状況をどうにかしたいよ。世界の危機なんだろ? 俺ができることって何なんだ? 千のチャイムは使用者がおかしくなる危険性があることを、ルディさんから聞いた。でもさ、こんなのを続けて俺達は朱金の天人に勝てるのか? それに、話し合いが出来たらさ、それがいいよ。だって、彼、もしかして、俺の知っている人かも……」
大きな爆発音がした。音のした方、上空を見上げると、空が燃えていた。比喩ではない。炎の波がゆらめき、どこまでも続いている。その中で光を放つのは、朱金の天人ただ一人。
僅かではあるが、彼はゆっくりと、降りてきてるように見えた。でも、気のせいかもしれない。揺らめく炎の中で、太陽のごとき光だけは揺るがず、君臨していた。
でも、結界の中にいるせいなのか、苦しい暑さや痛みを感じなかった。空が燃えているという途方もない状況なのに、春の陽光のような暖かさを覚える程だった。
「蓮、以前闇葉の地下墓地で私がエキスパンションを解いてはならないと言ったのを覚えていますね。解いてはならない。つまり、貴方にはそれを解く力と同時に繋ぎ留める力がある。貴方のおぞましい外法の力です。聖なる光を払う、五行の理から外れた、外法で下賤なる物も聖なる者も打ち払い、繋ぎ留めて下さい」
スクルドがいきなりそんなことを口にした。エドガーが慌てたように言う。
「おい、スクルド、また誰かの預言を喋ってるのか? てかお前は乗っ取られたりしてねえよな? 蓮の外法でエキスなんちゃらがどうたらって、何を言ってるんだよ。誰か説明してくれよ!」
スクルドは凛とした視線を蓮さんに向けたまま、エドガーの質問には答えずに言葉を続ける。
「ここにいる者たちを殺害しないように、貴方の力を振るいなさい。言っている意味は理解できているはずです」
な! 何を恐ろしいことを言うんだ! そう驚いていると、急にスクルドは身体を崩し倒れ込む。
「スクルド!」
俺は彼女の名前を呼んで駆け寄る。
、近くにいたジェーンがすぐに受け止め、何かの魔法をスクルドの頭部にかけている。
「……ちょっと待ってね……おそらく、もう操られているわけではないみたい。邪気も感じないし、妙な感じもしない。生命反応も魔力反応もあるし、スクルドの命に別状はないと思う」
スクルドの眼は半開きで、身体も自力で立てているわけではなさそうだ。とてもまともな状態とは思えない。でも、今はジェーンの言葉を信じるしかない。
「蓮、スクルド……スクルドが何か言わされていたみてーだけど、意味分かるか?」
エドガーは静かにそう尋ねた。蓮さんは少し困ったような顔をして、でも、無言で頷いた。