第三十章 傍観者たち
はっとしてして見上げた空の色が変わっていた。空が薄紅色に染まっている。とても美しい色なのに、それを見た俺は胸騒ぎを覚えていた。
同時に、悲鳴が聞こえた。慌てて周囲を見回す。俺達の中に被害者はいないらしい。目の前にいるリッチもにやけた顔をしたまま、傷ついている様子はない。
しかしその声は聞き間違いではなかった。誰かの苦しむ声が、どこからか届いてくる。
「ジェーン、この魔法は映像だけでなく音声も聞こえるようになっているのか?」
蓮さんがそう質問をする。
「一応遠くの映像を見る為の魔法なの。音が聞こえるっているのは、あるかもしれないけど、こんなにはっきりと聞こえるのは、ちょっと不自然かも……」
ジェーンが歯切れ悪く返事をすると、リッチが楽しそうな声を上げて笑う。
「いやいやいや、そうじゃなきゃ困るよ。俺達にとっては、これこそがヴァルキリーの歌なんだから。勇士達の断末魔が奏でる歌こそ、本当のヴァルキリーの歌なんだよ! 俺に少しだけ残った血液が沸騰しそうなくらいうずうずするねえ!」
未だに俺にはジェーン達が聞こえているらしい、ヴァルキリーの歌という物は聞こえてこない。しかし、リッチが楽しそうに語る断末魔は、はっきりと俺の耳にも届いていた。
背に嫌な汗をかく。ちらりとグレイの顔を見てしまう。彼は顔色一つ変えずに自分のやるべきことに集中しているようだった。俺は自分を恥じた。でも、今の俺にはギルディスの心配をしている余裕なんてなかった。
「空の上で、誰かが戦って、死んでいるのか?」
エドガーがぼそりと呟く。返事をする者はいない。皆感づいているらしかった。でも、それを口に出す者はいない。
その時、ジェーンの生み出した鏡が、次第にぼやけてきて、完全に姿を消してしまった。
「どうしよう。念のためもう一度かけなおす?」
ジェーンが皆に確認をとると、フォルセティさんが「いや、その必要はないだろう」と告げた。
どういうことだろう? その言葉の意味に思いを巡らせる間もなく、空が光った。
赤い空から巨大な黒い裂け目が現れ、その裂け目は一瞬で消えた。裂け目があった場所に出現していたのは……
「朱金の……天人……」
俺はそう口に出していた。実際の姿が見えていた訳ではなかった。しかし、突然出現したそれは、神々しい光だった。それが放つ光が、おそらく勇士たちを消滅させ、恐ろしい声を上げさせていたのだ。
空が、青色に戻った。
はっきりと、その姿が現れ、肉眼でも確認できた。
蒼穹に君臨する、朱金の、天人。
赤い髪、赤い瞳。褐色の肌は刺青と派手な赤い宝石に彩られている。彼が広げた輝く翼は金と赤に縁どられ、日輪を背負う。
そこに突撃しているらしき何かが見える。しかし、天人は動かず、光を放ち続ける。
俺の身に着けているブラッドスターが、さらに、ハレルヤから受け取ったピジョンブラッドまでもが熱と光とを放っていた。
「ハレルヤ? 俺と君の二つの大切な宝石が反応をしてるんだ……俺と君は、朱金の、あの、あいつの……関係者なのか?」
ハレルヤは俺の顔を見ずに答えた「皆、アポロをこの結界から出したら駄目だよ」
「何を言ってるんだ!! 知ってるんだろ!! 説明してくれ!!」
俺がかっとなってハレルヤの肩を掴んで、怒鳴り声を上げた。ハレルヤはいつもの余裕がある表情のまま。
それが憎たらしい。さらにくってかかろうとした俺を、蓮さんが制した。
「アポロ。上空を確認しろ。もしかしたらあれは、ヴァルキリーに率いられた勇士達ではないだろうか。だがだとしたなら、なぜ朱金の天人と敵対しているのだろう?」
蓮さんの言葉で我に返る。上空に目をやると、ウィザーズ・アイがないのに、光に突撃をして消えて行く者たちの姿が確認できた。あれが、騎士らしき者たちなのか。
「ヴァルキリーが率いる勇士、彼らが朱金の天人を殺そうとしているって、どういうこと?」
俺がそう誰に聞くでもなく言葉にした。すると、リッチが口の端で笑い、右手を高々と上げた。
辺りに集まる瘴気。薄暗い亡者の影のようなものが、リッチの周りを外套のように包む。この強力な結界の中にいてもはっきりと感じる恐ろしさ、寒気。
「世界を救う手助けをしようぜ? なあ? 生き残ってしまった勇者様!」