第二十七章 凡人の為の抒情詩を
「準備はいいか?」
厳かで、力強いフォルセティさんの声がした。誰からも異論は出なかった。俺も、覚悟を決めることにした。ここでぐだぐだ言ってられない。
「じゃあ、ワープします。俺の周囲に集まって、できたら近くの人の身体に触れて下さい。いきますよ」
俺はたまたま隣にいた、スクルドと、エドガーの手を握る。大丈夫だ。皆がいる。
意識を集中して、それからアーティファクトの力を開放する。門のイメージが見える。異なる場所へと開かれた門。身体中に心地良い光を浴びているような感覚。
うっすらと、あの砂漠らしき光景が眼前に浮かぶ。その中に、俺達は身を投じる。
はっとした。あの、カラグア大陸の灼熱の暑さを思い出す。刺すような、熱。
しかし、それも一瞬のことだった。真昼の陽光に包まれたような、暖かく心地良い気分がした。エノク教会の人達が何かバリアを使ってくれたらしいことはすぐに分かった。
俺は周囲を見回す。しかし、視界に広がるのは砂漠ばかり。何もないから、ここがどこかも分からない。
「おい、なんもねーぞ。もしかしてあいつ、適当な所に俺らを飛ばしたのか?」
エドガーが苛ついた声を出す。
「それは、ないと思います」
そう口にしたのはスクルドだった。エドガーは少しびっくりしたような表情で彼女を見る。スクルドは言葉を続けた。
「アーティファクトはごく一部の人間にも作り出すことはできます。でも、高度な物は不可能と言ってもいいでしょう。それに、いくらそのリッチでさえも、ポータルを自作するとは考えられないです。このポータルは、昔誰かが意図を持って作られたはずです。悪用されるとは、考えにくいと思います」
「そうだよ、酷いなあ。僕がそんなことをすると思っているのかい?」
音もなく現れた黒い男。闇のように黒いローブを着て、ぼさぼさの真っ黒な黒髪は、風が吹いていないのに奇妙に揺れている。病的に白い肌に、真っ赤な瞳が美しく、おぞましく映えてぎらぎらと光っている。
いきなり姿を現して、機嫌よく告げたリッチは、舌打ちをして一転。怒気を含んだ声を出した。
「お前らさあ、よくもまあそういう厄介な奴らを集めたよな。本当に胸糞わりいんだよ。こっちも色々頑張ってるのにさあ、そういうのを踏みにじるのがお前らなんだよ」
「お前の都合はいい。朱金の天人を倒せば、世界の終わりを阻止できるという認識でいいのか? 僕たちが成すべきことは何だ」
蓮さんが冷静にそう返した。すると、なぜか、リッチは軽く笑いだし、その声は次第に大きくなり、哄笑へと変わる。こいつ、頭がおかしいのか? でも、おかしいとしても、こいつを治癒できる方法なんてエノク教会の力を借りても想像できない。
砂漠に下卑た笑い声が響き、一人笑いを終えた男は俺達に紅の瞳を向ける。
「むかしむかし、ある作家が、戦争のことを『凡人の為の抒情詩』と評したことがあったかな。その文章を目にして、中々うまいことを言うと思ったよ。だってそうだろ、戦争をするなんて、賢い人間がすることだとは思えない。権力を持った者が、自分の手足を使って、強制的に殺し合いをさせるんだ。なんとも悪趣味な話じゃあないか? なあ、そうだろ?」
誰も答える者はいない。しかし、リッチは上機嫌で話を続ける。
「でもさあ、俺達みたいな凡人には常に抒情詩が必要なんだ、戦争が憎しみが殺し合いが必要なんだ。そうだろ、火を与える者、アポロ」
どきり、と心臓が痛んだ。僕が、戦争の火種を作る? それに、リッチが凡人とはどういう自虐なんだ?
「惑わされんなよ。勝ち筋はこっちが握ってんだ。アポロが関わってるなら、こっから出なきゃいいだけだ。俺らがどうにでもしてやるよ」
エドガーの言葉で、一気に不安が吹き飛ぶ。そうだ。気を強く持つんだ。スクルドの預言のように、俺は危険な人物かもしれない。でも、その言葉だって、変えられると信じている。未来だって、仲間と俺の意志で変えられるんだ。
俺がそうやって気合を入れなおしていると、リッチは、目を細めてゆっくりと笑顔を見せた。それは、不気味で美しい笑みだった。
「お前は何を望んでいる?」
グレイが静かにそう口に出した。
「は? こいつらに伝えたとおりだよ。世界の平和の為に、あの天人を消滅させる。その為には、色んな奴らの力が必要なんだよなあ」
色んな奴? 俺達のこと? それとも他にリッチの仲間がいるのだろうか。でも、今の所この場所には、俺達とリッチ以外の者はいないようなのだけれど……