第二十一章 その手に光の刃を
どの位気を失っていたのか。数十分だったような、何日も眠り続けていたような、妙な気分だ。頭が少し重い。身体もだ。全身がけだるく、無意識に首を回していて、あることに気が付いた。俺は真っ黒いローブを着ていた。鴉の黒。そうだ、これはトゥリーキャビックの関係者が着るローブだ。
はっとして手を見たら、毛が生えていねえ。爪も普通だ。全身をチェックしても、そこに余計な獣の毛らしきものはない。俺の身体だ。それも、二十代の、大人の俺の身体だ。
ガキの頃に、俺は放校になった。でも、その原因は獣になって人を殺したからじゃねえ。その事件についてきっちりと覚えてるが……いいだろ。今は関係ねえ。
とにかく、俺はあれからこの場所に近づいていねえし、「大人用の」黒いローブなんて着たことがない。
それに、俺がいるのはあの告解室だったんだ。壁に狼の顔なんて生えていねえ。でも、薄気味悪いし、何だか無性に腹が立ってきて怒鳴った。
「俺はトゥリーキャビックで人殺しをしたつもりはねえ。お前が幻覚を見せたのか」
少し間が空いて、声が返ってきた。相変わらず聞き取りやすくて爽やかな声で、嫌になるぜ。
「幻覚だけれど、あれは君が選んだ未来の一つ。しかも、君がこれから先歩むことになる未来に一番近い光景だ。僕はそれを見せただけ」
未来を見せるなんて言われると、反射的に腹が立った。なんでお前が俺の人生を勝手に語ってんだよってな。ただ、あの体験はあまりにもおぞましくて生々しかった。簡単に幻を見せられたんだって一蹴できなかった。
「それで、お前は何が目的なんだ」
俺がそう尋ねると、部屋が消えうせていた。なんて表現したらいいんだ? 別の空間にテレポーテーションさせられたみたいな感じなのか?
ともかく、俺は奇妙な森の中にいた。何が奇妙って、見た目は森なのによ、ぬるい風呂の中のような湿気と生暖かさを感じたんだ。スコールの後の、雨を浴びた森の中が近いか?
いや、それよりもっと蒸し暑くって気分が悪い。でもよ、そこにいる俺は土と植物の匂いを感じ取ったんだ。幻術なのか現実なのかさだかではない空間で、嗅覚はたしかに、覚えがあるって教えてくれてるんだ。
わけがわかんねえよな。幻を見せているなら、植物の香りなんて再現するものなのか? おまけに変な胸騒ぎまでしやがる。
その原因はすぐに分かった。
目の前には銀の毛の狼がいた。見たことがあるはずの、美しくも恐ろしい狼。全長は大柄の成人男性くらいはありそうだ。毛皮の下からでも分かる、盛り上がった筋肉が厳めしい。
四つん這いになった奴は何かを食べているらしい。血に染まった鋭い牙を動かしながら、鋭い眼光で俺を睨んでいたんだ。
食べられていたのは、俺だ。家紋が入った絹の礼服を着た、十代の頃の俺だ。十代の俺の腹部には大きな穴が開いていて、狼が何かを引きずり出し貪り喰う。純白のはずだった礼服はもう、赤く染められている。
心臓が締めつけられるように痛く、うまく息ができない。鏡を見ているのか? 悪夢を見ているのか? どちらにせよ、目の前の子供は大きな口を開けて視線を泳がせていて、まるで……
俺は突進していた。手に剣はない。疾走するのに黒のローブは都合が悪い。恐怖や怒りやらが爆発して冷静ではいられなかった。
猛スピードで俺が近づいても、狼は動く気配すらなくて食事を続けていた。俺はそんな狼の顔面をぶん殴った。
はずだった。しかし、狼の頭は切り落とされたかのように地面に落ちた。大きな音を立てて転がる頭部。周囲に飛び散る鮮血。はっとして自分の殴った右手を見ると、そこには光り輝くナイフ。
意味が分からない。俺がいくら凄腕の勇者だとしても、魔法は使えない。武器を生み出すなんてできるわけがない。でも、手の中には確かにエネルギー体だか光だかのナイフらしきものがあったんだ。
ふと、地に落ちた狼の頭部に目をやると、その姿はなかった。はっとして喰われていた青年を探したが、やはりそれもいなかった。俺は怒りのままに叫ぶ。
はずだった。でも、声が出ねえ。声が奪われてまた恐怖がよみがえった。なのによ、手のひらの光のナイフは消えることはなかった。戸惑いながらも周囲を見回して警戒すると、さっき聞いた声がする。
「君の行動は一貫している。その点は評価に値すると言ってもいいだろう」
「評価……? しているのか?」
俺は力の抜けた声でそう声を出していた。まず、自分が喋れたことに少し驚いてしまった。さっき声が出せないと思ったのは何でだ。
そんな混乱状態の俺に、涼し気な声が届く。
「評価という言い回しは好まないかな。僕は君の行動から、その道を導かねばならないんだ。君の力は君の望む形で顕現する。それが、どういう意志であったとしても。僕は君にとって最適な物を贈る為にここにるんだよ」