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廃墟の上に降り立つ太陽王<アポロ>  作者: 港 トキオ
第十巻 凡人の為に戦争の火を灯せ
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第二十章 狼ダンス

 光の縄で拘束され、入れられた狭い部屋。小さな窓には鉄格子。狭い部屋には固いベッド。おまけにトイレまで用意されてやがる。鋼鉄の扉には小さな戸が取り付けられていて、一日二回、硬いパンと塩のスープが運ばれてくる。


 この部屋に入れられてからずっと、誰も俺に話しかけない。教え諭すことも怒鳴ることも説教することもない。勿論、俺が騒いでも壁や扉を叩いても何も返ってこなかった。


懲罰室というよりも、牢獄だ。そうだ、トゥリーキャビックは大きな牢獄じゃねえか。


何で俺はこんな所にいるのか。何で俺は初対面の人間に忌み児だといわれなければならないのか。分からねえ。


単調な時間が、俺から思考と力を奪っていく。きっとその時を奴らは見計らっているんだ。弱ったところに、力を叩きこむ。奴らの正義を、聖職者の秩序を。それが無理なら、放校になるだろう。分かってるんだ。奴らがやりそうなこと位。だから俺はその時をじっと待ち、屈してはいけねえんだ。


そんな風に疑心暗鬼になっている俺は、或る日ふと、自分の手が何だかおかしいことに気が付いた。手の甲に、銀と白が混じったような毛が生えてやがる。おまけに、手の先には黒く鋭い爪。崖を登るフック付きロープの先についているような、頑丈な鉤爪だ。しかも俺の意思で出し入れが出来ちまう。


毛に包まれた手。虎か狼か豹か。そんな猛獣の手。ふわふわとした白い手。俺の意思で、にゅっと恐ろしい鉤爪が出現する。


自分の頭がおかしくなったのかと思った。俺は自分の頭を下げ、身体を見ると手だけじゃねえ、俺の全身は白と青と銀が混じった毛でおおわれていた。


ここに鏡はねえ。俺は何故か冷静に、自分が狼男になったことを悟った。龍人の一族に生まれた俺が、狼男になるのは解せねえが、そんなことはどうでもよかった。俺は鋼鉄の扉へ対峙すると、腰を落とし、正拳突きをかました。


手ごたえがあった。続けて二発。骨に伝わる拳の痛み。少しずつ、しかし確実に変形する扉。休まずに打撃を叩きこむ。元々高い自分の筋力が、さらに高まっていることが分かる。暴力と力の高まりに、俺は興奮状態だった。高揚は、拳に重さと力を与えてくれた。


機を見て、俺は渾身の回し蹴りをかました。扉は大きな音を立てて半壊し、トゥリーキャビックが震えたんだ。


俺の口は自然と緩んでいた。口の端からもれた唾液が、毛の上をすべっていくのが分かった。妙な感覚だ。唾液が口からもれるなんて、今まで経験してなかったからよ。


まあ、それを言ったら獣人の姿になるなんてのも初体験だけどな。


いや、待てよ。俺はいつか「そう」だったのかもしれねえ。何だか身体が「初めて」って感じがしねえんだ。


いつだ? 俺はかつて、龍だった? 龍人だった? それとも狼? 


幼い頃の洗礼の記憶が蘇ってくる。白いローブを着た偉そうな男や一族に囲まれ、何かの呪文を唱えられながら、頭に水をかけられたんだ。意味が分からないしバカらしいって思っていたな。


ああ、でも、そんな風に思いながらも、ふと、気持ちよくなる瞬間があった。翼が見えたんだ。あの時に俺は、天使を見ていたのか? それとも、龍を見ていたのか? 天を優雅に舞う翼の記憶。それは「誰か」ではなくて俺の姿だったのか?


そんなとりとめのないガキの頃の記憶をまさぐっていると、慌ただしい音を立てて駆けつける、数人の男たち。あっという間に取り囲まれていた。そして、有無を言わさずに、俺に向けて光の縄と昏倒させるような衝撃派を放つんだ。


統率とれてんなあ、流石だねえ。なんてな。俺は余裕が出来てたんだよな。身体をかがめて力をためると、一気に飛び跳ね、爪の一撃をお見舞いする。地味なローブが破れて肉の色、血の色が辺りに散らされる。


叫び、怒り、それらを制する厳しい声。


でもそんなのはどうでもいいんだ。だってよ、俺は奴らに噛みつき、蹴り飛ばし、体当たりで突き飛ばし、爪で切り裂き、あっという間に始末しちまったんだから。


あっけえねえなあ。人間の身体って、柔らかいんだな。身体が血に染まり、そのぬめぬめとした、ぬるい温度が不愉快だった。俺の毛にからむんだ。


ぬぐっても、ぬぐっても、とれやしねえんだ。


赤い体液で固まった銀の毛が、室内に吹く冷えた風で震えるんだ。


後からやって来た奴らは、この惨状を見て逃げ出していった。賢明な判断だな。自分の職務を全うしようとする石頭もいたけどよ、その頭が泣き別れになっちまった。これじゃあおしまいだ。


なんだ、つまんねえな。それにおかしくねえか? 一応ここは聖職者のエリートが集まる場所で、試験に実技だってあるんだから、戦闘力が高い奴だっているはずなのによ。俺が獣人になったからって、こんなザマかよ。


「おいおい、もっと強い奴はいねえのかよ」


 そう、喋ったつもりだった。でも、俺の口から出たのは奇妙な唸り声だった。


 自分が発したらしき声を聞いて、ぞっとした。自分の周りに転がる死体が、血に濡れた身体が視界に入る。生唾を飲み込もうとするのに、口がうまく閉まらねえ。たらりと垂れた唾が、血だまりの上に落ちる。


 絶命した男たちの苦悶の表情と、まき散らされた大量の臓物。きもちわりい光景なのによ、どこか現実味がねえ。しばしじいっと、奇妙なオブジェクトみたいな物体を眺めていた。


 でもさ、俺は人殺しになっちまったんだな。


 だけどよ、それが悪いことなのか、分からねえんだ。実感がない。悪いことをしたはずだって頭では思っているのに、現実味がない。ただ、俺が浴びたこの生温い温度は感じたんだ。


 俺の足は自然と、馴染みのない学び舎をさまよっていた。俺の足音以外、何の音もしない。隠れちまったのか、消えちまったのか。俺は誰かに会いたかった。許して欲しいのか、殺してやりたかったのか。


 分からねえ。


 代り映えのない、無機質なデザインの長い廊下。扉を開くと、綺麗に整列した机と椅子が並んだ無人の教室。


 どこに行ってもそうだ。ああ、こんな場所からは出ちまえばいい。でも、そうしたら俺はどこに帰ればいいんだ? 人を殺して実家に戻るのか? それを恐れてどこかへと逃げ続けるのか?


『天の光よ翼よ あなたを礼拝し 無限の志を捧げます


 天からの光と導きと 今日もあなたに照らされ 私が道を違わないことを祈ります


 私の力と祈りを自由に使って下さい


 無限の夜から救っていただけることを 愛の様に感謝します


 あなたの愛を あなたの言葉を 私はあまたのものに降り注ぎます


 愛を』


 声がした。この学び舎での祈りの言葉だったか。俺は立ち止り、天を仰いでいた。周りには誰もいない。気配すらない。でも、俺はその奇妙な現象について考える余裕もない位、眠くなってきたんだ。ふと、死ぬのかなという思いがよぎった。


その睡魔は心地良く、俺は身を任せた。


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