第十九章 模範的優等生にして、忌み児
硝子戸の向こうでは、相変わらず穏やかな声が返ってくる。
「強くなるには色んな手段があると思うんだ。では、なぜここを選んだのかな」
その質問で少し言葉につまった。だってよ、俺がさっき言った言葉は何の考えなしに出た言葉だ。でも、沈黙は悪手だ。俺は思いついた言葉を口にしていたんだ。
「俺は相当能力が高い。とある、地獄の住人のような家庭教師の指導も受けたし、並大抵の奴らには負けない自信がある。でも、基礎っていうのか? いや、基礎のもう少し先っていうのか? そういうのが足りていない気がする。学問に関しても集団生活に関しても作法に関しても。正直な所、そんなの好みじゃねえし、好き好んで学びたいとは思わないけれど、学べることは早めに吸収したいんだ。ここは一流の人間が集まるんだろ。そういうのを学ぶには最適じゃねえのか」
自分で発言しておいて、ちょっとだけ驚いたな。おかしなことは言ってないと思うけどさ、やっぱガキの俺には足りないものが沢山あって、それらを学んでいきたいんだ。そう考えると、入学も悪くねえかなって思ってきたんだ。
俺がふと、顔をなにげなく天井へと向けたんだ。すると奇妙な物が映った。俺の座っている椅子と、しきりになっている硝子以外の壁に、狼の頭部が出現したんだ。狭い部屋の壁に、口を閉ざした狼の頭部が並んでる。
でも、その狼の頭部って言うのが、なんて言えばいいんだ……生気を感じない。金持ちの家で飾られているはく製みたいな感じ。奇妙だけど、怖さは感じなかった。この部屋の仕組みだか魔法だかで出現しているとしたら、もっと迫力があってもいいもんだけどよ。
「君は強くなる。今も十分な力を備えていることが分かるよ。きっと、君はこの大陸に名をとどろかせるような人間になることだろう。でも、君の強さは正しい強さかな?」
硝子戸の向こうで、そう声がしたら、狼たちは消え去った。
「はっ? てめえ何言ってんだ?」って頭の中に言葉が浮かんだ時には、相手は続けてこう言っていたんだ「ありがとう。これで試験は終わりです。ご帰宅して下さい」
拍子抜けしたな。文句でも言ってやろうと思ったのに、面接だってそれなりに長いと思っていたのによ。
帰りの馬車の中で、最後に言われた言葉が頭の中で回っていた。
「君の強さは正しい強さかな?」
うまく言葉にできない。でも、違和感でモヤモヤしていた。あんな言葉、どっかの誰かの戯言だって気にしなければいいのに、答えが出ないで俺の中で居座ってやがるんだ。
それに、予言者みたく、大陸の有名人になるとも言ってたな。お世辞にしても、普通そんなことを神学校の面接で言うか? なんかな、試験の中で一番あいつの存在が引っかかってた。
一週間後、家に合格の通知の封書が来た。喜びっていうよりかは、またあの場所に行くのかよって、面倒な気持ちが浮かんできた。
いつもは大げさに喜びの感情を出す、俺の母や使用人も、何故か合格の通知を知っても素っ気ない態度だった。なんとなくだけど、俺の甘ったれのガキ時代は終わりなのかな、なんて思いがよぎった。これから行く場所は、俺の今までいた遊び場ではないんだ。
神学校への持ち込みは必要最低限の物しか許されていないようだった、幸い金ならかなり用意してもらったから、必要なら現地でどうにかすればいい。
衣服やら身だしなみに関する小物、それに護身用の剣やいざという時に役に立つ小さな宝石やら、酒の小瓶、小さなギター……トランクの中はパンパンだ。必要最低限の荷物にまとめたつもりでも、いっぱいいっぱいになってたんだな。
その上よお、現地で酒も女もポルノグラフィすら手に入るのが極めて、極めて! 困難なんて思わなかったんだよな……って、そんなことはいいか!
そういえば、面接を担当した、あいつは誰だったんだろう。男の声だったはずだが、やや中性的で美しい声だった。それこそバードや声楽を生業にしているような、人を惹きつける声だった。でも、そんな奴はトゥリーキャビックにはいなかったはずだ。
外部の人間を面接官にするとは思えない。でも、そんなこともすぐに忘れて、俺はそれなりに「模範的な次期当主」としての学生生活を始めることに決めた。俺が飽きるまで、せいぜい勉強させてもらうぜ。
俺の代の合格者は13人だったか。多いのか少ないのかは分からないが、やたらと大きくて威圧的な建物を思うと、新入生の数は頼りなく思えた。
新入生に用意されたのは、仕立てや肌触りはいいが、鴉のような真っ黒のローブ。胸元の留め金の色で、学年が分かる。新入生は赤。上級生は、青と黄色だったか。
それと聖書。一部は暗記しなければならなかったから、覚えているんだけど……まあ、別にいいだろ。
それと一週間に一度、現金の支給がある。生活用品に使えって意味合いらしい。武器屋も酒場もあるわけねえからな! 十分なお金がある俺には必要がなかったから、額は覚えてねえ。
少し覚悟していたけど、大部屋ではなく、一人一室をあてがわれたのは嬉しかった。気の合わない奴と毎朝顔を合わせるなんて最悪だからな。
周りにいる奴らは、やっぱり真面目っつーか人が良いっていうか無駄にプライドや自己評価が高いっつーか、まあ、つるむにはあんまり合わねえなって感じ。敵対心とまではいかなかったけど、周りはライバルって感じだ。穏やかなやりとりであっても、緊張感はぬぐえなかったな。
合格者の俺らは、講堂に集められた。新入生の担当は、かなり歳をとった男。黒いローブに身を包み、しわだらけで細い眼をして、感情が見えねえ。自分の業務を淡々とこなしていく感じ。何か言ってたはずだが、聞いた端から忘れちまうんだな、これが。
新入生に対して、一通り学内の案内やら説明が終わると、全員で聖堂に通された。
丁度、昼間だった。大きなステンドグラスは陽光を浴びて、魔法がかかったかのように輝いていた。色とりどりの翼を持った天使が、翼を広げ踊っているような、天へ向けて誘われているような、美しく迫力がある構図だった。さすがの俺でもその美しさに見とれてしまった。
おっさんらの話なんてそっちのけで、俺は硝子の天使たちを見上げていたんだ。
よく見ると、天使は手に何かを持っていた。百合の花、リュート、ハープ、楽譜のような紙か本……
昔早々に追っ払った家庭教師が教えてくれた、図像学の授業をきちんと習っておけばよかったって、少しだけ後悔したぜ。
きっと、意味がある画だった。意味なんて分からなくても美しさは伝わった。でも、俺はその意味をもっと知りたかった。
そんで、その有難い話が終わって、一度自室に戻ることが許された。とは言っても道をはっきり記憶しているわけではねーし、適当な記憶を頼りに歩いていると、赤い留め具ではない、上級生とすれ違った。ほっそりとした体格の、目にかかる黒髪の男だ。そいつが俺を見て言った「獣の匂いがするなあ。忌み児がよくこの場所に入れたな」
怒りよりも早く、反射的に身体が動いていた。
まず、腹に一発。相手の体制が崩れたら、流れるように頭突きをかまして、相手が倒れたら馬乗りになり、ひたすらぼこる。殺すつもりはなかったから、腰に携帯した武器は使わない。両手を機械的に左右に振って、ワンツーで殴り続ける。俺の拳が、男の唾液や鼻血で染まる。
少し、拍子抜けだったし、殴りながらも多少手加減をしつつ、冷静さを取り戻していた。何でこいつはこんなことを言ったのか。何でこいつは強くないのか。
分からねえ。俺はそれなりに有名だから、色々と言われることがあったが、流石にトゥリーキャビックで初対面の人間に「忌み児」なんて言われるなんて思わなかった。
俺は、今まで龍の一族として育てられてきたし、もし俺がそういう存在なら、トゥリーキャビックの試験に受かるか? 根拠のない悪評にしても、発言者は俺のことをそれなりに知っているはずで、相当腕がたつならともかく、本人にいきなり喧嘩を売るか?
わからねえ。ただ、俺の前にはあざだらけの顔で、唾液と鼻血でべとべとになり苦しそうな息をしている男。
すぐに、上級生と聖職者に囲まれた。抵抗する気はなかった。俺は説明をしたが、理解されるなんて思わなかったし、来て早々懲罰室行きだ。
別に、退学処分になっても構わなかった。ただ、忌み児って言葉が解せない。俺はトゥリーキャビックに入学する前、エノク教会で洗礼を受けた。三歳くらいの時には、サファイアドラゴンのレヴィンに会って、奴からも直接洗礼を受けた、
忌み児って、どういうことだ? 光魔法こそ使えないが、俺が忌み児、問題がある人間だとしたら、洗礼の段階で問題が起こるんじゃねえのか?
それに、トゥリーキャビックには限られた人間しかいないはずだ。ここに悪漢はいねえ。校内で身元が管理されているのに「お前は悪魔だ」なんて宣告をするものなのか? 言う方だって相応のリスクがあるはずだ。
分からねえ。
最悪、俺は悪魔でも構わねえ。そうしたら悪魔として生きてやる。でも、宙ぶらりんなのは我慢ならねえんだ。