第十六章 聖なる学び舎と地獄の家庭教師
その声を聞いたら、無性に腹が立ってきた。なんだてめえ? つーか、俺様は命令されるのが大嫌いなんだよ、クソが!
ってな具合に靄の中にガンを飛ばすと、見えたんだ、景色が。
赤木の学び舎。トゥリーキャビック。威圧感がある、背の高い建物。直線で構成されているデザイン。無駄がない。遊びもない。色気がないんだ。でも、十数年ぶりだかに見たら、そんなに悪くねえかもって思えた。不思議だな。暮らしていた時は、そんなことを思ったことなんてなかったのに。
俺の瞳に映っているのは、幻覚なのか昔の記憶なのか。そっと触れた赤木の壁は、少し冷たかった。わかんねえけどよ、何かがそこにあるってのは感じる。たとえこれが幻覚であっても、否応なく記憶はよみがえる。
俺がガキの頃に入学していた、全寮制の神学校。
メサイヤ大陸の北部には、レイトホルムっていうそれなりに賑わっている歓楽街がある。今だと逆さバベルの塔が話題だ。そこから馬車でさらに北西へ行くと数時間で着くんだ。マモーって言う背の高い針葉樹林の林が目を引く。トワラ湖っていう、美しい湖もある。つーか、それしかねえ。
そんな辺鄙な場所にあるトゥリーキャビックってのは、要するにエリートの為の聖職者育成施設。娯楽なんてない。奉仕者、指導者はいても労働者なんていない。外面が良い牢獄ってことだ。
様々な大陸から、聖職者や、それに近しい職を志す者らが門を叩く。一応年齢制限はないが、大体十代のガキばかり集まってくる。しかも男ばかり。自分から志願するなら、絶対に行きたいなんて思わねえな。
いや、どうだろう。ちょっとは興味を持ったか。小さい頃から才能に恵まれすぎた俺だから、親の庇護の下で生活するのはヌルかった。恵まれた教育、生活。それもまあ、悪くねえ。でも、それだけじゃあ駄目だ。ガキだけど、気が付くとヤバイ刺激を求めるようになっていた。
とはいっても、まあ、ガキの範囲ってことで。な。
でもよ、話は前後するけど、俺がそこに入学する数年前の話だ。俺の家に遠方から家庭教師が来た。でも、俺はその時10歳くらいか? 生意気盛りって奴? まあ、もう、すごかったんだよな。その上いいとこのお坊ちゃまだし、力はあるし頭は回るし、誰も手出しできなかった。
だから家庭教師なんて来ても、大抵すぐに辞めていった。でも、そいつは違った。
家で会う人間は、基本的には小奇麗な恰好か、上等な物を身に着けている奴らだけだった。だけど、そいつは違った。見知らぬ、地味で小汚いローブを身にまとった奴の姿を見ると、妙な迫力と嫌悪とを感じた。
赤い髪の中に浮かび上がっている真白な肌。刺すような灰色の瞳。こんな奴は、魔物でも見たことがねえ。異物なんだ。
しかもよ、当時の俺は貧乏人を小馬鹿にしていたからな。かなり失礼な態度をとったんだ。ガキの俺を弁護するつもりはねえけどよ、口に出すか出さないかと違いはあるが、金持ちのガキなんてそんなもんだ。
初対面ではなったから舐めた態度をとる俺に「いい所に連れて行ってやる」って馬車に乗せてどこかへ連れて行くんだ。
行き先はどこだと思う? 虎の眠る洞穴だ。奴はその入り口で俺に言った「虎を起こさずに髭を取ってきたら、僕は大人しく家庭教師を辞退するって」
頭おかしいだろ。こいつ、俺のことをよく分かってるんだよ。
その後のことは……まあ、いい。そうだ! 思い出した、その三ヶ月後には、砂漠に連れて行かれたんだぜ! たまには休暇が必要だって俺の親に報告して、五日馬車と船に揺られて砂漠! 家でワインを飲んでいるようなお坊ちゃまが、脱水症状でそうな位カラカラになってんの。自分でも意味不明で変な笑いが出そうだった。
しかもよ、小さな瓶を渡されたんだよ「この瓶を液体でいっぱいにしてみよう。水筒の水や体液では減点とする」って。
さすがの俺でも文句を言ったら、何を思ったか、少し離れた場所に手招きして、いきなり砂の中に指を突っ込む。そこから引き抜いた奴の手の中には、硬そうな赤茶色のトカゲ。
それを素手で素早く解剖すると、まだびくびく震える内臓を差し出して言うんだ「オニマトカゲの心臓は水分量が多い。漏らさないように、瓶に入れると良い。精力剤としても効果が高く、食べても良い」
は? お前何言ってんだよ、って思ってぽかーんってしてたらよ、奴はまた砂の中に手を突っ込んで何やらまさぐってんの。そしたら、奴の手にはてんてんと、黒い小さな球。
「これはワリアリらの糞だ。集めて絞り出せば水分が出る。それ以外でも、これは集めて餌にして日陰を作って置くと、他の生物をおびき寄せる罠を作れる」って、お侍様はおっしゃるんですけれども……俺、流石にブチギレちまったんだよな。
そりゃそうだろ。こんな理不尽なことってあるかよ。バカンスかと思いきや、死にかけながら糞拾いだぜ! ガキが我慢できるかっつーの!
そんで色々文句を言ったら、お侍様は、家庭教師にしてはちょーっとばかし短気だったのかな? 辺りが一気に熱くなった。砂漠の日差しなんて甘っちょろい熱だ。
息が苦しくなる。呼吸の度に、肺が痛みと恐怖で震える。
金色の瞳を俺に向け、奴は鳳凰を呼び出していた。その年でも龍は、見たことがあった。でも、俺が目にした龍は、俺へ敵意を向けていなかった。それか、俺がそいつらの恐ろしさを理解できなかっただけかもしれねえ。でも、目の前の奴らはどうだ。言葉にならねえんだ。肌が焼かれるように熱いのに、身体の震えが止まらねえ。
目の前にいるのは長身瘦躯の鬼。熱波を放つ火炎鳥を肩に乗せ、涼し気な声で言うんだ。
「そんなに涼をとりたいなら、死体にして自宅に届けよう。幸いにも、君の母親は類まれなる力を持つ天女だ。反魂の儀は成功するはずだ。以前僕も生死の境を彷徨ったのか、或いは死からの生還を果たした。そういう体験はこれからの君の生活できっと役に立つ。なあに、遺体は欠損が無いように、きちんと集めておく。安心して命を捨ててくれ」
ちょ、ちょっと待って! マジで! ほんとその眼向けんな! いや、すみません。本当に止めて下さい。つーか、俺悪いか? 悪くねえだろ……被害者だぜ……おいたわしや! 可愛いエドガー坊ちゃま! ああ、もう、その眼で見つめるの止めて! 短気は損だぜ。そうだよ、話が脱線しすぎた!
てかよ、今の俺は良い子に育って元気だろ? まあ、いいじゃねえか。トゥリーキャビック入学の試験は、そのお侍様のおかげで、実技については楽勝すぎたって所につなげたかったの! マジほんとだからな!! クソ。マジやめろって。ちっ。もういいだろ。話を戻すぜ。