第十五章 エドガーの試練の話
「さてと」そう喜撰は口を開くと、重々しい口調で「碌典閤、よいな?」と口にする。蓮さんは僕らを見回し、「今から出発するということでしょうか? かまわないはずですが」と冷静に返した。
その言葉に喜撰はゆっくりと頷く。と、景色が変わる。緑の深き山から、辺りは一面の大海原。うわ、またかよ! びっくりさせないでくれよ……
俺はきょろきょろと船の上を見回すのだが、俺達以外の人は誰もいない……? でも、船が動いているのは分かる。人がいないのに動いているけれど、アーティファクト反応はなさそうだ。
翼に潮風を感じる。やっぱりここは海、なんだよなあ……以前ワンタイ諸島へ向かう時に、喜撰と乗った船に比べると、随分小さい船らしい。俺達全員が乗れるような広さはあるけれど、寝台がある部屋があるようには思えない。
「これは、すごいですね……アカデミーの教授でも、この人数を一瞬で転移だなんて、可能な人はいないかもしれません……」
スクルドが落ち着いた声で、しかし驚きを隠せない様子でゆっくりとつぶやいた。
「お、だったらよ、あの砂漠までワープしてくれればいいじゃん。そしたら確実だぜ」
エドガーが調子のよいことを言うと、喜撰はすぐに噛みついた。
「まったく! 素直に感動することはできんのか。ジパングの国の領域は儂の庭みたいなもんじゃ、どこにだって気軽に行ける。しかし他の国まではさすがに無理じゃ。そもそもなあ、人を馬車か何かと勘違いしておるのか? おい、あんたからも何とか言ってくれんか?」
喜撰はそうフォルセティさんに話題を振る。しかしフォルセティさんは「少し休む」とだけ告げると、俺達のいる場所から距離をとった。とはいっても、数メートル移動しただけなんだけどね。
船の先頭近くに移動したフォルセティさんの影のように、グレイとギルディスは素早く移動をする。どこから取り出したのか、グレイは折り畳み式の椅子を広げ、フォルセティさんは無言でそこに腰を下ろし、瞳を閉じる。
主君を守る騎士の様に、二人は無言でその傍らに立つ。
「なんじゃなんじゃ。けったいなことじゃのう……」と喜撰がため息をつく。ジパングの人から見ても、エノク教会というか、あの人たちは珍しいってことなのかな。
「おい、どの位でワンタイ諸島へつくんだ」と、なぜかエドガーは声を潜めて喜撰に問いかける。
「何時間かのう。半日はかからんよ。こっちも早く済ませたいんじゃ」と喜撰は軽い調子で返した。
「残念だね。せっかくの船旅なのにさ」とハレルヤが楽しそうに口を挟む。誰もそれに言葉を返さないと、彼はエメラルドグリーンの大きな翼を広げ、空へと駆け上がる。
ふと、俺は逆さバベルの塔から脱出する時に、ゼロが天へと放ったエメラルド・ガトリングガンのことを思い出していた。とても強力で、美しい光だ。
でも、ハレルヤは消え去ったりはせず、船の上空で並んで空の上を泳いでいるようだった。ちょっと気持ちよさそうだ。それに、とても綺麗だ。赤と緑の二色の翼が天からの光を浴びてきらきらと光っている。
俺も彼の近くで飛行するのもいいかも。でも、こんな緊張した状況でのんきに遊ぶのもなあ……
「ワンタイ諸島に着くまで時間があるだろ。俺の力について教えてくれ」
呑気な俺とは対照的に、エドガーは喜撰にそう告げていた。喜撰も真剣な顔つきでそれに応えると、その場にゆっくりと腰を下ろす。
「そうじゃの。その為には、お主の道程について説明を聞かんとな。誰と出会い、誰と戦い、眠ったのか。それによって儂の答えも変わる」
エドガーは少し難しそうな顔をして、勢いよくあぐらをかいた。片手で頭を掻きながらも、真剣な眼差しを喜撰に向けていた。
「記憶がな、おかしいんだ。もっと詳しく言うとな、今も少しおかしい。自分が夢の中にいるような、それか、目覚めたばかりで頭が働いてねえような……言い過ぎた。今すぐでも、万全で戦えるぜ。そこは誤解すんな。そんで、とりとめのない話が続くかもしれねえけど、そこは勘弁してくれ」
喜撰は黙って頷いた。エドガーも軽く頷きそれに応えると、大きな口を開き、語り出す。
エドガーが卵の中にいた時の話。
黒い卵の中に入るっていっても、実際に入っているなんて分かんねえだろ。そんな細かいことを考えるのは俺には向いてねえ。だから、やることやって、とっとと終わらせてやるぜって、意気込んでいた。
俺はそれなりに死線を潜り抜けてきたんだ、よく分かんねえことは、警戒するし、わくわくするんだ。
ただ、何か変だ。幻術にかかっているのか、それとも「ここ」がそういう世界なのか。
その変な理由っていうのは、俺の中に龍が住んでいるって感覚なんだ。勿論そんな変なことは初めてだ。考えたことすらねえ。
俺は、自分が龍人の一族だと言うことはガキの頃から知っていた。でも、自分が龍、というのは分かるが、自分の中に龍が住んでいるっていうのはなんかしっくりこねえ。はっきり言うと、小さな恐怖を感じた。
その眠っている龍は、俺のことを食い破って生まれてくるんじゃねえかって。俺は、眠れる龍を起こそうとしているんじゃねえかって。
だが立ち止まるわけにはいかねえ。俺が真の力に目覚める為には、そいつを飼いならすんだか、乗り越えなきゃならねえってことなのか? 分かんねえけどさ、やるしかねえんだ。俺はやってきた。今回だってやってやるんだって。
だがよ、妙なのは、自分の中に龍を感じても、敵や味方はおろか景色すら分からねえんだ。数年前、ホームランドの濃霧の中で立ち往生したことがあった。知ってるか? ホームランドの濃霧。
目の前が全く見えない。見えないというか、真白なキャンバスの中に放り込まれちまったような濃い霧だ。気のせいか、身体が冷えてきたような気もしてきた。
そんで、今回も見通しは聞かねえし、何だか寒気がしたと思って、ふと自分の上半身に目をやったら、何も着ていねえんだ。
服もデイバッグも剣も、全ての重さも無くなっていた。重さが無いってのは、恐怖だ。幾ら龍人としてブレスや爪で戦えるっていっても、俺は剣士だからよ。剣と鎧が無いんじゃ、牙を失った獣と同じじゃあねえか。
自分が緊張していることを意識する。目の前は見えない。だが、敵がいる気配もない。どう出るのがいいのか。ホームランドの濃霧にであった時は、俺は辺りを警戒しながら、その場にとどまった。迷いが生まれるなら、自信が生まれるまで下手に動かない方がいい。それが俺の処世術。
俺が覚悟を決めてその場にとどまろうとしたらよ、やっぱり妙なことが起きた。起きた、というか、感じた。俺の腹の内に、何かがいる。それを強く感じちまった。でも、それは妄想かもしれねえ。不安は妄想を広げる。そうしたら誰かの思うつぼだ。だけどよ、流石の俺様でも丸裸で戦えってのはきついぜ。
そんで、思わず「クソ、なんだよ」って呟いて、舌打ちをした。そしたらな、声がしたんだ「なんでもない。恐れることはない」って。