第十章 竹義
喜撰はそう言い残すと、ゆったりとした足取りで道のない草むらの上を進んで行く。エドガーが「どういうことだよ」と大きな独り言。
「我々は、あの御仁に歓迎されていないということでしょうか」
ギルディスが小声で、蓮さんに尋ねるようにして言った。蓮さんは歩を進めながら、少し間を置き、喋り出す。
「喜撰殿がその気になれば、僕達の前から姿をくらますことなんて容易だ。一応は手助けしてくれると思う」
「そうだよな。前みたいに、船を用意してくれたらそれでいいんだからよ。ごちゃごちゃしたことは、なしにして欲しいぜ」
エドガーはそう言ってハレルヤをじろりと見る。ハレルヤは気づいているのかいないのか、素知らぬ顔。
「あ、てかよ。蓮はここに来たことあんだろ」
「ああ」
「こんな山に住んでるなんて相変わらず変わった爺さんだよな。どうもジパングの人間ってのは変わり者が多くて調子が狂うぜ」
エドガーがそんな失礼なことを口にした。あっ……そういえば蓮さんと俺が初めて会ったのも、山ではないにしろこんな街から離れた場所だったっけ。というか、ジパングの強烈な面々に出会った身としては、当たらずも遠からずって気もするんだよな。
「エドガーの意見に賛成するわけではないけれど、ジパング出身のロアーヌ様も常人離れしているわね」と、ジェーンがぼそりと言った。それにくいついたのが、ロアーヌさんの息子のエドガー。
「だろ! あの人ずれてるんだよ! 息子の俺が言うのもなんだけどよ、指の爪サイズのアカムシを怖がるくせに、素手でパイロアンクルをぶっ倒すんだぜ! 炎の毛皮の猪みたいな獣を、素手で一突き! 俺がガキの頃、家の近くに出没したパイロアンクルを、俺が倒す前にあの人が一瞬で片づけてよ。本気で驚いたぜ。子供心に怒らせるのはやべーなって思ったわけよ」
楽しそうに昔の思い出を語るエドガーに、ジェーンがちょっと困ったような表情を投げかける。
「それは……小さな息子をモンスターから守る為に必死だったんでしょ。面白おかしく言うことではないと思う。ロアーヌ様は人間だけではなく、動植物に分け隔てなく優しい方だわ」
「は? 別にそういうことを言ってんじゃ……」とエドガーが反論する上から、冷たい口調がかぶさる「ジェーン、おかしな話をするな。私の妻に子供はいない」
フォルセティさんの言葉で誰もが黙り込んでしまった。最悪の空気だ。草むらを歩く音がやけに大きく聞こえる。
「そろそろ……見えてくるころか。懐かしい……」
この雰囲気を和らげるように、蓮さんがつぶやく。
「蓮はあのお爺さんの家に住んでいたんですか?」
スクルドがそう質問をした。
「ああ。幼き頃、追手から匿ってもらった。二十年以上も昔のことなのに……つい先日のような気がしてくるな……」
うお……蓮さんの追手って、どう考えても殺し屋の類だよな……それをぽろりと口に出せる蓮さんもやっぱずれているというか、ハード過ぎる人生というか……
「あそこ、紫の大きな花! テッセンって言うんですよね! 実物を初めて見ました。とても綺麗ですね!」
弾んだ声のスクルドが指さした先には、紫色の花々が咲き誇っていた。六枚の大きな花弁の花はとても優雅で、野の花とは思えない。喜撰が植えたってことかな。
その言葉を聞いた喜撰は初めて振り返り、柔らかい口調で語りかける。
「異国のお嬢ちゃん。物知りじゃのお。いかにも、これは鉄線じゃ。花に見える部分は実はがくでの、中央の小さな白い部分が花になっておる。紫陽花やブーゲンビリアと似たようなものじゃ。花弁に見える鮮やかな部分は、正確に言うならば花ではない」
「そうなんですか。でも、とても綺麗です。手入れも行き届いていなければ、こんな力強くは咲かないと思います」
「それはそれは結構なお言葉。老体に染みるわい」
スクルドの素直な受け答えに気を良くしたのか、曲者じいさんの喜撰が楽しそうに返した……って!! 鉄線の咲いた場所の近くに、いつのまにか家? 小屋? が出現しているぞ!! 喜撰が近づいたら出現する仕組みなのか? 何にせよ、びっくりするよ。一言言って欲しいなあ。
目の前に現れた建造物は、ぱっと見は貧相な建物に見えた。ジパングの家は木製の物が多いから、見た目が頑丈そうに見えないし、目の前の家も屋根は樹の枝が集まった? ような造りらしいし、ボロそうだ。
でも、よく見ると、不思議な雰囲気を感じた。四式朱華の住んでいる立派な石造りの城とは雲泥の差なのに、耐久力が低そうな茶色の家が何故だか魅力的に思えてきた。うまく言えないけれど、見た目は悪いけれど清潔感があるというか、厳かな雰囲気があるというか……
前を歩いていた喜撰は再び振り返ると、顎に手を当てて、俺達を見回す。
「ニ、三人ならともかく、この人数をもてなすとなると骨が折れる。竹義。栄太郎の甘味があるじゃろ。出してあげなさい。お茶は点てなくてよいぞ。日が暮れてしまうのでな」
喜撰がそう告げると、誰もいないはずの家の前に子供の姿が出現していた。紺の着物に鼠色の帯を締めた子供は、白地に赤い模様の狐の面をしていた。完全に顔が隠れているから、性別も分からない。
彼? 彼女? は可愛らしい声で「うん」と返事をすると、こちらに駆け寄り、蓮さんの前で小首をかしげた。
「蓮だ。蓮だ。二十三年ぶりに蓮の顔を見た。蓮は大きくなった。立派なお侍さんの顔だ。蓮、栄太郎のどらやきあるよ。今日の朝買ってきた。竹義の夜ご飯だけど、あげるよ。おいしいよ」
え! 蓮さんと二十三年ぶりの再会って、この子はニ十歳以上ってこと? 声も背丈も十歳に満たないって感じがするけど。というか、この子は人間ではなく別の種族とか召喚獣とか精霊とかなのか?
「竹義は、変わらないな」蓮さんは慈しみのある声でそう告げた。それは、穏やかで、澄んだ響きで、何も知らない俺まで少し胸にきてしまった。
それを耳にした竹義は、可愛らしい足取りで蓮さんの周りを一周してから、また小首をかしげる。二人はとても仲がいいらしい。
「竹虎、立ち話はその位にしておきなさい。家は土足厳禁じゃからな。悪いが彼らを縁側に案内しなさい。ひとまずそこで座ってもらうとしようかの」
喜撰の言葉に竹義は大きく頷くと、蓮さんの着物を引っ張り「こっち」と告げた。