第九章 ジパングの庵へ
ホテルのジェーンの部屋へと戻ると、皆はもう出る準備が整っていた。俺はエドガーやジェーンの分も、大きな荷物は商人の寝床に入れておく。
あ、自分も出る準備をしなくっちゃ。俺は慌てて自室に戻ると、衣類や食料をまとめてから商人の寝床に入れる。今更だけどほんと便利だなあこれ。もう商人の寝床がない生活なんて考えられないぞ……
そんなことを考えながらジェーンの部屋に戻ると、蓮さんの姿があった。
「蓮さん。フォルセティさん達の返事はどうでしたか?」
「すぐにでも出ることができるそうだ。この街の門で待機しているとのことだ」
行動が早いなあ。でも、すんなり物事が進んでいるのはいいことだ。
「皆も大丈夫なら、そろそろ出発しようと思うけれど、どうかな」
蓮さんがそう言って俺達を見回した。
「行こうぜ。いつまでもこんなとこにいるのも、あいつらと同行するのも終わりにしてやるぜ」
エドガーが元気よく口にした。
誰も異論はないみたい。うん。行くしかないよな。エドガーが先頭になり、俺達は部屋から出る。前を歩くエドガーの、フォルセティさんに似た、貴族のような黒服の背中。砂漠から徒歩で街に向かう時に目に入っていたけど、ちょっと慣れないかも。
エドガーの背中って屈強な戦士のイメージが強いもんな、ん? 俺はやっとあることに気が付いた。
「あれ? エドガーって確か大きな剣を背中に背負ってたよね。あれどうしたの? 俺商人の寝床に入れた記憶ないけど……」
俺の言葉に、エドガーはけだるく振り返り、
「授業料だよ。じじいに喰わせた。代わりがあるから気にすんな」
「え! 剣を食べるって何者!?」
「おめー出発するって時にぐだぐだ言うなや! 生きてりゃ色々あるんだよ!」
エドガーはそれだけ言うと、振り替えずに長い足でずんずん歩いて行く。エドガーといえば鎧に大剣って感じだったもんなあ……というか、愛用だった大剣を喰わせるってどういうことだ?
疑問は色々あるけど、さすがにこれ以上聞くわけにもいかないよな。それにライトソードで戦えるらしいから、大剣がなくても大丈夫ってことなのかな?
そんなことを思いつつホテルを出て少し歩くと、遠くからでも分かる、目だった三人の姿があった。近くに寄ると、ギルディスが会釈をして、柔和な声で語りかける。
「それで、転移するのはこの場所でもよろしいでしょうか? 街から出て、もっと広い場所にした方が都合がいいでしょうか」
「うん。攻撃を受けている最中じゃなければ大体大丈夫。じゃあ行くよー」
ハレルヤが呑気な声で返事をした。って、じゃあ行くってことは……
俺の予想通りに、ハレルの手には美しい紫の宝石があった。
すっと、身体が楽になるような感覚。ポータルを起動した時に近いような、そうでないような。ふと辺りを見回すと、俺達皆が薄紫のヴェールに包まれているような……
しかし、その映像は瞬時に霧散し、目の前に映っているのは、緑や赤や黄色の葉をつけた、立派な木々で……
「おい、ハレルヤ! ワープするならちゃんと言ってからにしろよ!」
エドガーが大声を出して、我に返る。周囲を見回すと、辺りは美しい木々が彩る……山? 街どころか家らしきものすら見当たらないぞ。本当に一瞬でジパングに移動してきたんだ。
俺の肌の上を涼し気な風が撫でた。気のせいか、空気もいい気がする。俺は青空の下で深呼吸をする。土と風の匂いが心地良い。
「すごく、綺麗ですね。化けもみじって言うんでしたっけ……」
きょろきょろと辺りを見回しながら、スクルドが独り言のように口にした。確かにジパングの木々はとても綺麗なんだよな。緑の葉っぱに慣れているから、赤や黄色の木々を見るとつい見とれてしまいそうになる。
「全員いるようだね。ならよかった」
蓮さんがそう、冷静な言葉を口にした。
と、そう言い終わると、なぜか蓮さんが音もなくどこかへと歩き出す。
「おい、蓮! 何先に行ってんだよ!」
エドガーがそう声をかけても、蓮さんは言葉を返さずに進んでいる。俺達は慌てて後を追う。全力で走ったり戦闘態勢ではない。少しだけ、嫌な予感がした。もし、ここが蓮さんの父、あの四式朱華の統治している場所だとしたら……
そう考えただけで寒気がした。でも、ありえないことではない。ここはジパングらしいのだが、どこか分からぬ山の中なんだ。って、違うよね!
「そうだよ! ハレルヤなら知ってるんだろ。ここはジパングのどこなの? なんで山の中にワープ先を決めたんだよ!」
俺はつい大きな声を上げてしまった。すると、ハレルヤはどこか遠くを見ながら答えた。
「ミドリコチョウが飛んで行っちゃった。いきなり大声を出したら鳥がびっくりしちゃうよ」
その声で俺は立ち止まっていた。わずかに、何かが飛び去るような音が聞こえた気がした。でも、こんな時に呑気な返事をされたら腹が立つ。
「そういうことを言ってるんじゃなくて! ジパングのどこなんだよ! 場所によっては、ジパングはかなり危険な国なんだよ!」
「ひどいなあ。いきなり危険なとこにワープするほど、僕は悪いやつじゃないけどな」
その言葉でまた頭に血がのぼるが、ジェーンが冷静な言葉をかけてくれた。
「ハレルヤ、ここはどこなの? 人が住んでいるようには思えないし、ワンタイ諸島に向かうなら、海辺からって気がするんだけど……」
それにハレルヤが答える前に、どこかで聞いたような声がした。
「なんじゃ、まったくお前の行動は読めぬのう。全く誰に似たのやら……それで、何の用じゃ。また厄介事なのは分かっておるぞ」
「いえ、そういうわけでは……」
目を細め、さも面倒くさそうに話す老人の言葉に、蓮さんが戸惑いながら言葉を返していた。
足を止めた蓮さんが困惑気な声を出している相手は、喜撰。白のローブに金と黒の格子の前掛けのような、不思議な和服姿。薄くなった頭に真っ白で長いあごひげを生やし、それを手で撫でている。
ジパングで四式朱華の句会? とかいう悪趣味な殺し合いをさせられていた時に、その場に張られた術を破り現れた謎の老人。朱華の支配する東の東京ではなく、西の西京の権力者らしい老人。
彼は俺達に気が付いた様子で周囲を見回していた。言葉を発せず、ぎょろりとした大きな目で、彼は俺達を見ている。俺は緊張感から密かに生唾を飲み込んだ。
「お久しぶりですね。ワンタイ諸島への船を都合してもらおうと思って」
張り詰めた空気を破る、ハレルヤの明るい声。そうか! ハレルヤは喜撰の居場所にワープしたってことなんだ。つまり二人は知り合いのはずなんだけど……どう見ても、和気あいあいとしているようには思えないのだが……
喜撰は見開いていた目を細め、それから薄くなった頭をゆっくりと撫でる。
「えらいことになっておるようじゃな。しかし客人は客人。ここまで来て帰すことはない。すぐそこに儂の庵がある。ついてきなさい」