第三章 預言者
「そうですね……街の状況は気になりますが、ホテルで休むのがよろしいかと。皆さん疲れているはずですし、行きましょう」
ギルディスの言葉と共に、エノク教会の三人は長い足でさっさと街の中に入って行く。俺は小声でジェーンに「黒夢姫がいなくなったのは、街にとってはいいことなんじゃないの?」と聞いてみた。
「難しい質問ね。守護神であり災厄をもたらす者ってのは、珍しい話じゃないわ。ただ、滞在中に少しここの住民と話をしたけれど、ここの神様は白蛇が神の使いであり化身のマルドゥーク。黒夢姫となんらかの関連があっても、彼女が神の眷属とは考えにくい……そうね。私も後で少し話を聞いてみる」
そんな俺達にエドガーが疲れた声をかける
「おいおい、よく分かんねーけど、まずはホテルだろ。ホテルが壊滅してたら慌てようぜ」
「まあ、そうだよね……」と俺は弱々しく答える。
たまに通りすがる人に、変化はないようだ。気にしすぎなのか? 街中は落ち着いているらしいが……少し緊張して立派なホテルの中に入ると……前と同じようにホテルマンに挨拶をされて、部屋へ案内される。
一人になって静かな部屋で棒立ちになる。この街に何か変化があるとは思えないけど、いいや。とりあえずシャワーを浴びて休もう。俺は手早く服を脱いでシャワーを浴びる。肌の上は勿論、羽や髪の毛に手を入れると、細かい砂が出てくる出てくる……疲れて即ベッドなんてしなくてよかった。
俺は手早く身ぎれいにして、下着を着たら部屋にあった水差しから直接水を飲む。はあ、身体に染みわたる水分がありがたい。そのままふらふらと苔色のソファに身をまかせ、少し休もうとした……
と思ったら扉を叩く音がした。あれ? 俺ちょっと寝てた? また、扉を叩く音がした。夢なんかじゃないぞ。俺は慌ててシャツとハーフパンツを身に着け、扉を開く。そこにいたのはスクルドだった。
「あれ? どうかしたの?」
「うん。疲れてるのにごめんね。それで、中に入れてもらってもいいかな。少し話がしたくて」
「うん。いいよ」
とは言ったものの、なんかスクルドの様子が変だ。普段なら気を使ってこういう時は話しかけに来ない気がするし、何より彼女の顔色が曇っていた。
二人で対になっているソファに腰を下ろす。自分で話があると言っていた彼女は伏し目がちで、口は閉ざされたままだった。俺はなるべく穏やかな口調で「どうかしたの」と聞いてみた。
「その……声を聞いたんだ……」
「あ、そうなんだ。今度はどういう預言なの?」
俺が軽くそう返事をしたら、スクルドは目を見開き、その美しい青い眼差しで俺の瞳を射抜いた。そして、彼女の物とは思えない厳かな声。
「お前は火を盗んだ
お前は火を与えた
お前は神を愛を詩を教え
お前は死を戦を干渉を教えた
存在してはならない忌み児
特異点の翼と二つの印を持つ者よ
世界に再び戦乱の火を灯すのは
廃墟の上に降り立つ太陽王アポロ」
スクルドは言葉を終えた後も、俺をじっと見つめたままだった。でも、俺はすぐに言葉が出なかった。アポロは、俺の名前だ。アポロという名前は、本来なら神話の中にいる太陽神アポロを指すはずだ。それは俺じゃない。教会で聖人の名前を貰う子や、名家で名前を受け継ぐ子や、俺みたいに名前のない子供が自分で勝手に名乗ることだってある。だから、世界には「自称アポロ」が何人もいるはずだ。
だが、俺は翼を持ち、左と右の手の甲に鷹と太陽の紋章が刻まれていた。
シャワーを浴びたばかりなのに、背中が汗ばんでいる。俺ではない、はずだけれど、俺かもしれない。
「俺の、ことなの?」そんな言葉が不安と共に口からこぼれてしまった。スクルドはじっと俺を見つめたまま、優しい声で言った「分からない。でも、アポロは今回の場所には行かないで」
全身を包む寒気と共に、スクルドの姿とルディさんの姿が重なる。ルディさんは俺に言った。俺がアカデミーを殺戮都市に変える力を秘めているらしいことを。でも、ルディさんが俺に<バプテスマ>をしてくれた時、痩せた男は俺に祝福の言葉をかけてくれたはずだ……
俺は、誰を、何を信じればいいんだ?
何で皆、好き勝手なことを言うんだ? 俺は、ただ、冒険したいのに。俺は、悪いことしてないのに。
記憶にないけれど、悪いこと、してたのか? 分からない、分かるはずがない。
俺は、悪なのか?
だったら聖属性という意味は? 俺とエドガーが聖属性で蓮さんが闇ならば蓮さんが悪か?
しっかりと座っているのに、足元がぐらつく。弱気が不安が不満が、とめどなく溢れ出す。身体が小刻みに震えているのに気づいた。でも、それを止められない。
「ごめんなさい」
その声で我に返った。それを発したスクルドは悲痛な顔をして、涙を手で拭っていた。俺は一気に冷静さを取り戻した。
「何でスクルドが謝るのさ。俺の方こそごめん。あまりにも急で……色々あって……すぐに返事ができなかった。今も、気持ちの整理がついていないけど……でも、君は悪くないから……」
「そんなことない!」
それは、彼女の叫びだった。先程の悲痛さはなりを潜め、俺が今まで見たことがないほどの、怒りの色が顔に広がっていた。
「私が誰かの言葉を受け取ることで、傷つく人がいる。私の言葉は楔にもなり、世界を混沌へと導く悪鬼にもなる。私、私、こんなの、嫌だ。せっかくの仲間を……アポロを……傷つけるために旅をしているわけじゃないのに」
そのままスクルドは両手で顔を覆い、嗚咽を漏らした。部屋の中で彼女の声が響き、俺の心を刺す。
俺は彼女の辛さを全く理解していなかっんだ。きっと、俺にこの預言を話さなければならないのを、一人悩んだはずだ。俺が知らないスクルドの人生の中で、こういう役目を何度もしてきたのだろうか。
俺はスクルドの声が落ち着くのを待って、彼女の名前を呼んだ。スクルドは怯えるような目で俺を見た。でも、俺は普段通りに彼女に話しかけた。
「教えてくれてありがとう。一人にしてごめんね」
彼女は黙って首を横に振る。
「俺は、行くよ。スクルドの言葉が俺のことを指しているのは分からないけれど、どちらにしろ、ポータルを起動する俺がいないとあの場所へは行けないんだ。それにさ、俺にはエドガーと蓮さんがいる。ジェーンやフォルセティさん達も。万が一だよ、ありえない話だけど、俺がもし道を間違えたら、彼らが俺を正してくれるはずだ」
「アポロ……お願い。消えたりしないで」