第二十六章 シェヘラザードのはなし
母さん。俺、孤児で冒険者になりたかったからさ、ずっと考えないようにしてたんだ。会えたわけでも感じたわけでもない。なのに、何故か、俺の頭の中に「母」という存在が浮かび上がったのだ。
それは、例えようのないやすらぎであり、同時に、「冒険者」の俺には不必要な物に感じられた……
だめだ……なんか、変だ。うまく、気持ちが整理できていない。
横を見ると、エドガーは俺とは違い、少し興奮気味でシェヘラへと尋ねていた。
「すごいな! デートって言うか? 物語に飛び飛びで参加してる気分? スゲー刺激的で楽しい。それに、俺の記憶違いじゃなかったら、俺んちにある古い本に、似たような話があったような……まあいっか。でも、シェヘラらしき人物がいないのはどういうことだ? 俺達とデートしたいんだろ。俺は、君と物語の世界に行きたいぜ」
シャヘラは快活なエドガーの言葉に笑みを返すと、手にしている分厚い本を閉じる。それは瞬く間に消えた、かと思うと、その手には新しい本が出現する。しかしその本は消えた。
「じゃあ、少しだけ、私の話に付き合ってもらってもいいかしら」
シェヘラは静かにそう告げた。私の話。ってどういうことだろう。彼女は、この不思議な図書館の中で、俺とエドガーに語りかける。
〇シェヘラザードのはなし〇
「私が住んでいた国には、とても傲慢な王様が統治していたの。気に入らないことがあると、役人でも町人でも構わず首を切るような、暴君。城の人々は彼を落ち着かせるため、様々なことをしたわ。魔法、薬草、秘術、娼婦、でも、どれも長くは続かない。その時、私が自ら志願したの。とはいっても、単に賞金目当てよ。私の家は子だくさんで、四人の妹と五人の弟がいたから。パンを買うお金にも困っていて、家族に黙って私、城の門を叩いて言ったの」
「すみません。私、王様を楽しませる人を募集する、立て札を見てここに来たんですけど」
「そうか、しかし、お前のその恰好はなんだ。継ぎはぎだらけのローブに、裸足で、一体何の芸当ができると言うのだ」
鎧を身にまとい、長槍を持った兵士が、いぶかし気な眼を私に向けたわ。でも、私も一応勝算があったの。だから笑顔で言った。
「私は街の小さな学校で働いていて、毎晩九人の弟と妹に、物語を聞かせています。私は世界中の不思議な話を山ほど知っているんです。きっと王様も、退屈せずに楽しんでいただけると思います」
世界中の話を知っているなんて、嘘。学校でアルバイトをしているのは本当だけれど、本はとても高価。私の学校には十数冊しか本がなかった。私が妹や弟たちに話す物語は、適当にその場その場で考えて、突然終わるの。でも、彼らはそれでも喜んでくれたから、私は幾つも、へんてこで理不尽でわくわくするお話を作ったの。
門番の兵士は粗末な私の服を見て「とても教養がある身なりには見えないが……」とこぼしてきて、腹が立ったけど、ぐっと我慢。そして彼は投げやりな調子で「まあ、そこままで言うなら試してみろ。途中まで案内してやる」
こんなに簡単にことが運ぶなんて、自分でも思っていなかったから、少しだけ驚いたわ。それに、城の中に入るのは初めてだったから、ちょっとだけわくわくしたの。
お城の中は、昔本で読んだお城のようだった。壁に飾られた絵画、甲冑、大きな壺、沢山の花々。私は周りをきょろきょろ見ていたけれど、行き交う人々も私のことを見ていたみたい。何でこんな女が城にいるんだって顔してた。
長い廊下を何度も曲がって、兵士は立ち止り、大きな扉の前にいる別の兵士に何やら耳打ち。ああ、ここが王様のいる場所なんだって気づくと、私も少し緊張してきて、でも、野生の猛獣と同じで、怯んだりしたらその場で首をはねられるって思って、浮かんでくる弱気を払った。
「おい、くれぐれも失礼の無いようにな」
男はそう言うと大きな扉を開き、私はやっぱり少し緊張気味で、裸足で、冷たく白い大理石の上を歩きだした。
その場所は、王様の寝室の様だった。甲冑に身を包んだ兵士が部屋の隅に二人。王様の隣には三人の薄絹をまとった美女がいて、王様の口にフルーツや水か葡萄酒の入ったゴブレットを運んでいた。
私の国の王、我儘な暴君。褐色の肌に短い黒い髪。濃い眉毛の下の瞳は蛇のように鋭く恐ろしく、細くて高い鼻に、薄くて赤紫色の唇。上半身は裸で、胸元は宝石が散りばめられた金のネックレスで飾られていて、青い腰巻きには蛇と水瓶の刺繍がほどこされていた。
私心の中で「よし」と気合を入れ、けだるそうに美女と戯れる王様の前で頭を下げてから、跪いた。
「何だ? 水なら先程用意させた」
「いえ、私はこの城の侍女ではありません。私は王様に沢山の物語をお話しするために参りました」
王は大きな笑い声を上げた。それにつられて、近くにいた美女たちは顔を見合わせ、口元を手で隠しながら笑う。
「お前は何を言っているんだ? 気でもおかしくなったのか? 不敬罪は即首をはねるぞ。それが誰であってもだ。知らないわけではあるまい。お前は本当に俺に話を聞かせるために来たのか?」
私は生唾を飲み込み、王様の目をしかと見ると「勿論でございます。王様を退屈させるようなことはございません。どうか私の物語に耳を傾けてはいただけないでしょうか」
「よし。つまらなかったら即首をはねてやる。こっちへ来い」