第二十三章 『バベル』 砂の本
俺達が入ると同時に扉が閉まった音がして、反射的に振り返る。出られないってこと……? 小さな不安がよぎるが、周囲を見回すとそれが吹き飛んだ。
青白い灯りに照らされたこの場所は、壁面には本が隙間なく埋め尽くされている。しかも、天上も、奥までもそうだ! 見渡す限り、本棚と本。俺達が動ける広さはあるのだが、移動スペース以外は、どこまでも本棚が続いているかのような光景に眩暈すら覚えた。
ここは、現実? それとも、幻術?
「ここは図書館なのか」ぼそりとエドガーが呟いた。
「そうね。かつて私は、千の夜を知っていた、千の夜を抱いていたのよ」
シェヘラが独り言のように、小さくそう呟く。だが、ここにある本は軽く千冊を超えているようだった。
俺がこの光景に圧倒されていると、何かが俺の足元にまとわりついてるような感覚を覚えた。まるで、黒い蜘蛛の糸。でも、それは不快ではなかった。地面に、眼球が転がっているのが見えた。それもまた、不快ではなかった。
『眠気を誘うような思考の洞窟の暗い奥で、夢は日中の様々なものが落としていった欠片から巣をつくるのだ
ラビンドラナート・タゴール』
はっと、我に返った。俺の足元にはまとわりつくものも転がってる眼球もない。妙な言葉が頭に響いた。それは、やはり不快な物ではなかった。誰かに騙されたり罠にかかっている感じもなかった。
だが、俺は本棚に並んでいる一冊の本に、猛烈に惹きつけられていた。俺はそれを手に取る。指が少し熱を持った気がした。
手に取ったその本は、砂で出来ていた。奇妙なことだが、そう表現するのが適切だと思った。ざらざら、さらさらした砂の感覚。俺はその本が壊れないよう、慎重に本を開いてみた。
中に書いてあった文章は読めない文字だった。魔力反応もアーティファクト反応も、ない? 俺は何か読める箇所があるかもしれないと、ぱらぱらとページをめくり続ける。なのに、終わりがない?
意味が分からなかった。その本は俺の片手で収まる程の大きさで、分厚い本ではない。それに、どんな本だって終わりがあるのに、その砂の本にはめくってもめくっても終わりがない。しかも魔法の本でもないというのか。
俺は小さな恐怖を覚えながらも、砂のページをめくり続ける。指が、熱い。
と、再び頭の中に声が響いた。
『彼は数世紀後に、同じ書物が同じ無秩序さで繰り返し現れることを確認する(……)この粋な希望のおかげで、私の孤独も華やぐのである
ボルヘス 伝奇集』
頭に響いた言葉は、その意味こそ分からなかったが、俺を清々しい気分にさせた。
だが、同時に気付いた。ルディさんが俺にはめた銅の指輪が、燃えるような熱を発していることに。
『バベルの図書館』という単語が頭に浮かぶ。それはすぐに共通語のバベル、そして死者の指輪や、他にも様々な物がある逆さバベルの塔を連想させた。
でも、俺はそれ以上考えてはいけないと、自制する。
俺は自分でも驚く位冷静に、砂の本を閉じると本棚に戻す。すると、熱も少しだけ収まった気がする。危なかった。この砂の本のページをめくり続けていたなら、何が起きてしまうのか? 今更冷や汗が額ににじむ。
ここは、何なんだ? それに、ここにある本にアーティファクト反応を感じなかったぞ。