第二十一章 記憶
俺も覚悟を決め、このまま黙って待つことにした。そう思うと気が緩んだのか「ふう」とため息が出た。俺はリュックから水筒とクッキーを取り出す。こういう時に言うべきなのか少し悩んだが、蓮さんに小声で「クッキー食べますか?」と尋ねてみた。
蓮さんはワンテンポ置いて「ありがとう。いただくよ」と俺の手からクッキーを一枚取り、そのまま食べ始める。俺もスクルドを見ながらクッキーを食べる。
「蓮さん。スクルドはどうしてるんですかね?」
「誰かと話しているのか、交信しているように見えるけれど、どうなんだろう。彼女はシャーマン的な預言者や神秘的な存在との対話能力があると思う。だから僕らは待つしかないのだろう」
「目の前にあるのは細い樹ですけれど……でも、こんなのが地下墓地にあるのが変ですよね。しかもここだけなんて。奥に行けば他にも群生しているのかもしれませんが」
「闇葉の地下墓地の闇葉は、月桂樹のことを意味するのだろうか。僕の認識で言うと、この植物は人を癒す力を持ったものだから、少し不思議に感じた」
「そう……ですね……」と俺が告げた次の瞬間、蓮さんが樹の方向へ一歩踏み出した、かと思うと、刀を空に一閃。何が起きた? いきなりの出来事で、しかも蓮さんの動作が早すぎて、いまいち状況が理解できていない。
しかも、シンクロ状態、トランス状態、とでも言うのか、スクルドはこんな騒ぎの最中にも、身動き一つしないのだ。
「蓮さん……一体何が?」
蓮さんは刀を鞘へと戻し「霊の姿が見えた。仕留め損ねた。僕の力で祓うのは難しいかもしれない。先程までの弱いウィスプとはまた違う存在だったようだ。アポロも注意してくれ」
「は、はい。すみません。気が付かなくって」
「大丈夫。落ち着いて行こう」と蓮さんは落ち着いた声を俺にかけた。霊、かあ。また気が付かなかったぞ……もしかしたら俺が気が付いていないだけで、この空間には無数の霊やらウィスプやらがいるのか?
でも、俺がいきなり炎の力を使うのって、この狭い場所だと周りに被害を加えるかもしれないから、気軽に、咄嗟に使えるとは言い難いんだよな。
あ、こういう時こそ光のカーテンが役に立つかも。そう思うと、俺は太陽の外套で、今いる空間に光のベールをかけた。霊の出現を防ぐ効果があるのかは分からないが、ないよりましなはずだ。心なしか、少し気分が良くなった気がするし。
「そうか。これはいいな」と蓮さん。
「この場所から動けない今なら、このカーテンも役立ちそうかなあと」
「アポロは秘密道具を見つける度に、様々な力を発揮して羨ましい」と蓮さんが楽しそうに口にした。そんな言葉が少し嬉しくも意外で、俺はちょっと慌ててそれに答えた。
「あ、いや。そういうわけでもなく。アーティファクトは普通簡単には手に入りませんし、なんだろ、運が良くって」
「でも、それが揃ってきたんだろ。いいことだ。そういえば、エドガーが持っていたアーティファクトは譲り受けたのか? 奴のことだから貸してはくれてもあげることはないだろうが」
その言葉で、急に思い出した。そうだ! エドガーもいくつかアーティファクトを持っていて、その場で俺がなんとなく鑑定してみたっけ。えーと、あれは確か、三人で天使の里へ行く前だよな。確か、鍵みたいなのとオルゴールみたいなのと……他にもあったっけ……
ああいうのって、全部アカデミーの人に調べてもらったのかな? エドガーがいない時に限ってこんなことを思い出すのがはがゆい!
ただ、エドガーが律儀に自分では使えないアーティファクトの鑑定を、ルディさん達に頼むだろうか。うーん。ないな。でも、帰ってきたら聞いてみよう。蓮さんとそういう話を交わす。
その間もスクルドは黙ったまま、動かない。さすがに蓮さんと二人で無理やりでも、キュア・ポイズンやヒールの魔法を使ったりして正気に戻すべきか、そういう話題が出てきた。
「……ごめんね。今行くよ」
そう、明るい声がした。スクルドはこちら側にゆっくりと身体を向けながら、両腕を降ろす。彼女は少し首を回し、肩も少し回す。ずっと同じ姿勢だったから、さぞ疲れただろう。「ごめんね」と明るく口にして、こちらに歩み寄る。と、そのままゆっくりと、倒れ込むように、彼女はその場に座り込んだ。
「スクルド! どうしたの? 大丈夫?」
「あ、あれ? ちょっと、待って……うん……大丈夫……」
彼女はそう口にするが、立ち上がる気配がない。
「先ほどまでの行為で、自分で思っている以上に消耗している危険がある。無理に立ち上がらずに、休んだ方がいいんじゃないか?」
蓮さんがそう声をかけた。スクルドは黙って地面を見つめたまま、小さく「はい」と答えた。
彼女の身体が心配だが、こんな状況で色々言ったら負担をかける気がする。喋れるし意識がはっきりしているというのがまだ、救いではあるんだけど……
「スクルド、ヒールが必要だったら言って。俺、回復系の魔法はほとんど使えないけど……」
ヒールは外傷に効く魔法だから、こういう時に効果は薄いと思う。でも、そう言わずにはいられなかった。すると彼女は顔を上げ、ぎこちない笑みを浮かべた。
「ありがとう。あのね、何か見えて聞いていた感覚があるんだ。なのに、今我に帰ったら全部忘れちゃってて。だからちょっと混乱してる。少し休んだら大丈夫だから、ごめんね」