第十三章 君の音楽を聞かせて
俺はおずおずと、アリス=テレスを見つめる。しかし彼だか彼女だかは、相変わらず微動だにしない。それが恐ろしくも、不思議な魅力をたたえていた。
「アリス=テレスは声を奪われているんだ。声だけではなく、身体の運動やテレパシーでの会話すらも」
「それって、死んでいるのと同じなのでは?」という疑問を俺は飲み込んだ。彼、は生きているらしい。もしくは仮死状態にあると言ったほうがいいのだろうか?
「でも、アリス=テレスはなんでこんなことになってしまったの?」
すると、テオが初めて、少し寂しそうな、遠くを見つめるような素振りをしてみせた。
「詳しいことは僕にも分からない。でも、アリス=テレスが世界に詩と音楽を広めた。だから罰せられたんだ。ずっと、ずっと、気の遠くなるような長い時間。アリス=テレスは声を発することを許されていない。だから、僕らイクイヴァレントが代わりにその使命を担っている。世界に音楽を。世界に詩を」
世界に詩や音楽を。それって一般人の生活においても素敵なことだと思うけれど、おそらくもっと深い理由がありそうだ。
「そういえば、イクイヴァレントってなんだっけ?」
「詩や音楽はどこにでもある。どこにでもなければいけない。そういうことだよ。だから僕らがいるんだ」
うーむ、また謎かけみたいなことを言われてしまった。でも、今はそれを考えるよりも、俺がここに呼ばれた意味があるはずなんだ。
「それで……俺にも何かできることがあるのかな?」
そう口にすると、テオはにっこりと笑顔を見せる。
「歌を歌うか、楽器を演奏してくれないかな? 黙っているように見えるけど、アリス=テレスはちゃんと聞いてくれている。だから、アポロが好きなようにして欲しい」
俺は少し不安を抱きつつも、商人の寝床からハープを取り出す。象牙色のハープをしっかりと左手で固定し、右手で絃をつまびいてみせる。
辺りには、心地良い音色が響く……でもあれ? なんか、前は勝手に曲らしきものが演奏できていたような……おかしいぞ? 綺麗な音色はでるけれど、それはメロディーにはならない。俺は楽器の演奏スキルがないのだから、当然と言えば当然なんだけれど……
ぎこちない、しかし美しい音が辺りに響く。なんとかそれを形にしようと努力はしてみたのだけれど、どうしてもうまくいかない。ちらりと、アリス=テレスの様子をうかがってみるのだが、当然反応は無い。俺はとうとうかんねんして、テオに頭を下げる。
「ごめんなさい。アリス=テレスに反応はないみたい。それにやっぱり俺、楽器の演奏なんて初心者にすらなってないから、彼を満足させることなんてできないよ。これ以上やっても無理だと思うんだ……」
テオはゆっくりと俺に近づく。そして、何故か俺を軽く抱擁して「ありがとう」と口にした。俺は、どうしたらいいのかまったく分からなかった。でも、その抱擁はすぐに解かれた。挨拶とか、親愛の情を示すとか、そういう意味合いの、だよな。びっくりしたなあ……
ただ、やはりアリス=テレスに変わりはないようだ。テオも、それについては口にしようとしない。
「あの、ごめん。俺だと役に立たなかったみたい」
テオは軽く顔を横に振った。
「ううん。世界に歌と詩を。僕らも何度も試みて、思いつくことを色々やってみて、アリス=テレスを待っているんだ。だから、アポロがそれを忘れないでいたなら、きっとアリス=テレスは元の姿に戻れると思うし、僕らはまたどこかで会えるよ」
「どこかで……って、そういえばテオもそうだけど、アリス=テレスもこの家と言うかテントというか……それと共に移動しているの?」
「うん。色んな場所で色んな人や自然の声を聴くのが、アリス=テレスにとって、きっと一番だと思うんだ」