第二章 奇妙な兎
「気のせいかな。目の前で何か動かなかった?」
スクルドがそう口にして、俺は我に返った。でも何も動いている気配は・・・・・・
「伏せろ!!」という大きな声がして、誰かの力で押された俺は、地面に倒れこんでいた。
何か、前方から、低いうなり声のような音がした気がした。しかし周囲はすぐに静寂を取り戻す。
ちらりと周囲を見ながら、用心深く、少しだけ身体を起こす。中腰になった蓮さんを真ん中にして、俺とスクルドは草むらにうつ伏せになっていた
俺たちの数メートル先には灰色の野うさぎがいた。しかし、そのうさぎの両の耳は2メートル以上に膨れ上がり、血走った眼球のような物で埋め尽くされていた。 グロテスクなその姿は、俺たちに敵対心があると感じさせるのに十分だ。
「二人共、ここから動かないこと。アポロは前に見せた光の盾を展開してくれ」
蓮さんの言葉に俺とスクルドが同意を示すのとほぼ同時に、蓮さんが凄まじい速度で飛び出す。
俺が慌てて、太陽の外套の力で光のベールを生み出し、前方に盾を生み出す。
俺たちの行動に反応したのか、うさぎは猪の出すような低いうなり声を上げ、耳の蠢く眼球から四方に熱線を放つ。
それを避けるのはとても困難なように思えた。どうすれば? 俺の防壁は届かない。蓮さん!
だが、俺は肉眼で蓮さんの姿をとらえられない。 幸いにもこちらにも飛んできた熱線は光の盾で防ぐことができた。俺が隣で固まるスクルドに声を掛けようかと思っていると、おぞましい叫び声がして、反射的にそちらを向く。
緑色の葉を生やす樹木の中、立ち上る紅の血飛沫。静まりかえる森の中で、血のしたたる刀を手にすっと立つ蓮さんは、恐ろしくも美しい。
目にとらえられない速さで刀の血を払い、一呼吸起き、蓮さんが口にする。
「大丈夫だ。悪いが二人ともこちらにも来てくれないか?」
俺とスクルドが顔を見合せ、おずおずとその言葉に従う。
蓮さんのいた近くに来ると、自然と先程のうさぎの魔物の死体が視界にはいる。
何か、変だ。
切り離されたうさぎの頭部、その耳には眼球なんてなかった。耳の長さだって普通の長さだ。
しかし胴体の腹部からは野うさぎには不釣り合いな赤い水晶らしきものが露出して、透明な粘液に包まれたそれは妖しく光っていた。
「スクルド、知っていたら教えて欲しい。この国にはこういう魔物がいるのか?それか、図鑑か何かで、こういう魔物の記録を見たことがあるか?」
「いえ……ありません……」
「おそらくだが、これは邪術によって生み出された魔物か、病気に感染した突然変異の魔物だと思う」
蓮さんはそう言うと、刀で赤水晶を刺す。音もなく割れたそれは、ドロドロに溶け、ウサギの死体も溶け出し、消える。
「喜撰殿が口にしていた、身体が紅玉水晶になり絶命する奇病。それに近い物を感じる。思い過ごしだといいのだけれど、楽観的に考えてもいられないだろう。スクルド、その地下墓地へ行って目的を果たすのは君がいなければいけないのか? 僕かアポロだと都合が悪いのか?」
それは、どういう意味で言っているのだろうか? スクルドも少し考えているような表情をする。
「おそらく、私がいた方が望ましいと思います。私は言葉を預かるだけで、内容は受け手が解釈するしかないのです。だから私の力が必要だと断言はできないのですが、私は、そこに行かねばならないと思っています」
「分かった。君を帰そうとしているわけじゃない。ただ、万が一のことを考えた方がいいと思う。この先何かあった際に、撤退せずに今回の目的を果たすならば、二人は自分の生存を第一に考えて欲しい。誰かを助ける余力がある、と判断できたならばいい。でも、なるべく自分が生き残るような選択をしてくれ。あと、アポロの商人の寝床に荷物を預けていたが、念のため、最小限の荷物は自分で携帯しよう。パーティが分断した場合、目的地を目指すか、アカデミーや街に帰還するかは、その時に判断してほしい。こういったことを、本当は出発前に話すべきだった。申し訳ない。僕の予想以上に、この地域は危険だと思う」