第二十八章 アポロへ祝福を
すると、俺の足元に違和感があった。川? 俺の両足、膝くらいまでが川の水に浸っている。俺は周囲を見回すと、ここは木々が生い茂る豊かな川辺へと変化していた。朱華の使った術のようなものなのか?
俺は少し戸惑いながらもその場を動かず、ルディさんとマルケスを目で探すが、それらしき人物は見当たらない。代わりに耳に入るのは小鳥のさえずりと、風に揺れる木々のささやき。
俺は彼らの名前を呼んでみる。しかし反応はない。と、俺の近くには一人の見知らぬ男性が立っていた。栗色で少し巻き毛の目鼻立ちがはっきりしている男性。少しだけやせた長身の男は、半裸に近い姿。赤茶けた粗末なローブを身にまとい、俺のことをじっと見つめている。
「あなたは……」と俺が抑えた声で尋ねると、彼は口を開く。
「君の名前を教えてくれ」
「アポロです」
「アポロ。そうか。君は……終わりをもたらす者か? それとも世界を照らす者か? それともあの方に仕える者か? 君の口から聞きたい。話してくれるか?」
穏やかな口調と声ではあったが、その内容は簡単に言えるようなものではなかった。俺は少し迷ったが言った。
「俺は、未だ何者でもありません。でも、今は世界の危機が迫っていて、それを救うために旅をしています。世界を救おうとしている……冒険者です」
俺の頭上に光を感じて反射的に見上げる。するとそこにはまぶしい光を放つ生命体が浮かんでいた。その力を俺はどこかで……そうだ! それは蓮さんの鳳凰に近いような存在のようだ。光と炎の力を感じる。暖かくも力強く、触れてはいけないのに、それを近くで感じていたいような感情がわき上がってくる。
しかしそれが何かは分からない。魔力反応もアーティファクト反応も感じられない。生命体なのか、エネルギー体なのか。
俺はその存在を意識してから、身体の内に光が宿ったような不思議な感覚を覚えていた。
「君は……やはり選ばれた者らしい。意味がないものはここには来ることができない。君が世界を作る者か壊す者か、私には分からない。しかし君には罪を感じない。アポロ。君を祝福しよう」
そう言うと、先程見たはずのガラスのゴブレットを男は掲げ、俺に近寄ると、それを俺の頭に注ぐ。水……なのか? 水浴びをしているような感覚が全身を包みながらも、俺の身体は発光と発熱をしているらしかった。妙な感覚。心がざわざわするのに、俺はそこから動かず、動くこともできない。
ふと、何かが見えたような気がした。その映像は鮮明になり俺の眼前に広がる。レンガ色の岩々と灰色の植物が点々と見える高地で、褐色の少年少女が輪になって何かを歌っている。俺の知らない歌。でも、どこか知っているような、心地良い歌。
彼らの背には羽がない。飛揚族ではないようなのだが……だとしたら、なんで俺は彼らが今見えているのだろうか? 彼らは飛揚族ではない? だとしたら……?
そんな俺の疑問は、彼らの輪からいきなり現れた、巨大な虹によって吹き飛んでしまった。
きらめく七色の光。虹の色彩がゆらめき、移り変わるのが、俺の身体に入ってくるかのようだ。身体が、色彩に染められているような、妙な気持になっていた。巨大な虹の圧倒的な迫力と美しさの前で、俺はただ、強い感動の中にいた。
「きれいだ……」と思わず俺はつぶやいた。
すると、虹の中から声のような物がした。声、いや、俺の頭の中に語りかけるような感覚。
「汝は我の欠片であり、我の後裔。遠い地から来て遠い血を受け継ぎし者よ。光を絶やさずに飛翔せよ。世界を調律せよ。汝は希望。そして可能性。世界にたゆたう汝に光を、祝福を!」
虹が……再び俺の身体の中に入ってくる。今までに感じたことがない感覚が俺を襲う。気を緩めると自分が自分でなくなってしまうような。それでいて心地良い、何か。
いつまでも続くような、一瞬の出来事のような体験。はっとして、俺は自分が川の中にいることに気づいた。栗毛の男がゴブレットを俺の頭上から静かに手元へと戻している。
「あの……俺は……」
「私は何も見ていない。しかし君はそれを受けたのだろ?」
俺はゆっくりとうなずいた。すると男は満足そうな表情をした。
「祝福は成された。また、別の場所で会うことがあるかもしれない。力を持つ者、運命の織物の中に刻まれし者よ。行きなさい。君には為すべきことがあるはずだ」
俺は黙ってうなずいた。そして川から足を出す、と、近くにはルディさんとマルケスがいた。俺は、アカデミーの中にいた。これは……どういうことだろう……




