第十六章 エッグ
俺は生唾を飲み込む。あの物体が何であるのか。一度わきあがってしまった誘惑には勝てなかった。ゆっくりとガラスケースの中の林檎に近づき、手を伸ばすと、見えない壁がその邪魔をする。
しかし少し力を入れるだけでその壁は崩れてしまって、誰かの声がした。
声?
いや、何かの音楽かもしれない初めて聴いたはずなのに、どこか懐かしい気がする、この曲は……
気持ちが良い。意識がうつろう。俺の眼の前は真っ暗になる……
青い花と天使に彩られている見慣れない天井。天井? ここは……
ふと、俺は自分の手が握られていることに気が付いた。俺の視界には……少女……俺を覗き込んでいるのは「スクルド?」
そう声を発したつもりだったが、言葉にはならなかった。その代わりに彼女は小声で「よかった。大丈夫だよ」と言った。伝わる彼女の体温。それが何だか心地よい。
俺は、どうやらどこかのベッドで寝ているらしい。慌てて上半身を起こす。
「いいよ、未だ寝ていて」と少し慌てた様子でスクルドが声をかけてきた。
「いや、あの……何が何だか……あ……ごめん……多分だけどさ、俺とマルケスが、何かしちゃいけないことをしたってことだよね……記憶が飛んでしまって、気が付いたらベッドの上で……」
スクルドは困ったように笑った。
「さすがのマルケスでも、今回の件は悪戯じゃすまないかもしれない。でも、発見者が私だったの。だから私と姉様……学長以外は知らないはずだから、放校とかにはならないと思うし……」
「そっか、事情をあまり分かってないけどさ、入っちゃいけない場所に入ったってことだよね。誤って済む問題はかは分からないけれど、ごめん。軽率だった」
「ううん、アポロは何も知らなかったんだから、しかたがないよ。でも、マルケスは目を離すとすぐにこんな風なの。学園一の問題児で優等生」
そう言ってスクルドは軽く微笑んだ。マルケスは今学園長か誰かに怒られてるのかな? マルケスのことだからうまく切り抜けているといいんだけど……でも……あの場所って……
俺は思い切って、スクルドにあの場所が何かを聞いてみることにした。彼女は小さな沈黙の後で窓辺に視線を移して、静かに語り出す。
「様々な、アーティファクトや魔道具や貴重な文献や、アカデミーの教授たちでも分からない物が保管されている場所。エッグって教授は呼んでいて、一部の学生は開かずの宝物庫って呼んでる。あの場所は、普通の学生や教授ですら開けられないの。でも、やっぱりアポロはできたんだ……」
「あれ、ちょっと待って。あそこはアーティファクト反応があまり感じなかったというか……それを言うと、このアカデミー自体が何だか不思議な建造物みたいな気がして……たまにすごいアーティファクト反応を感じたり、感じなかったり……」
「それはね、この建物、空中都市のアカデミー自体が巨大なアーティファクトだから。そして、その力を十分に開放しているわけではない。ここにある様々な施設、設備、アーティファクトもそう。力を制御されている」
多少、勘づいていたことだった。しかしそれを明言されると、少しだけ心が揺れた。頭によぎるのは、あの「存在してはならない帝國」のこと。でも、それは「存在していない」はずだった。