第三十二章 かきやりしその黒髪の筋ごとに うち臥すほどは面影ぞ立つ
「かきやりしその黒髪の筋ごとに うち臥すほどは面影ぞ立つ 藤原定家
かきわけたその黒髪の一筋一筋に至るまで ひとり寝ている時にはあの人の面影が浮かぶのだ」
そう、口にしたのは蓮さんだった。が、何も起こったようには思えなかった。魔力を感じることも、景色が変わることもない。だが、弓月がゆっくりと身を崩し倒れた。まとまった黒髪がはらりと流れ、乱れる。そこに蓮さんが指を入れた。彼はまた、一瞬でその場に移動していた。
奪ったのはその命。ではなかった。蓮さんが手にしていたのは小さな四角い物だった。四角……? いや、よく見るとそれは八角形らしい。そしてそれらは八色の色で分けられている。くすんだ色の不思議な模様で飾られた中央には、小さな鏡がくっついていた。アーティファクト反応はないし、何か力があるようには思えないのだが……
蓮さんがそれを手にしながらゆっくりとこちらへと戻ってくると、その背に拾嘉が声をかけた「東の女は殺しても、西の女は殺さないのか?」
蓮さんは立ち止まらずに返す「人殺しは得意だが、趣味というわけでもない」
すると、捨嘉が短く何かの和語を口にした。蓮さんが立ち止まり、捨嘉に向かい、ゆっくりと歩き出した。その様子にエドガーが小さく口にした「やべえ」
しかし俺はその意味が分からない。と、捨嘉の刀が蓮さんの右肩に刺さっていた。あまりの速さに、何が起こっているのかが理解できていない。
悲鳴を上げそうになった俺を黙らせたのは、蓮さんの肌に牡丹に彩られた青い修羅を見て取ったから。捨嘉は何を感じたのだろうか? 動きが、止まった。
小さな捨嘉の声。短い和語がぽつりと。それには戸惑いが混じっているらしかった。刀を引き抜こうとしたのか、新たな一撃を加えようとしたのか。しかし刀は蓮さんの身体から抜けない。はらはらと白い花びらが舞う中に紫がかった靄が、瘴気が生まれ、寒気がしてくる。
「外法か、屍鬼か、お前はどうやって喰われたい?」
捨嘉が短く和語を口にした。
「答えは聞いていない」と蓮さんは口にすると、なんと、手に入れた鏡をたたき割った。
蓮さんの行動が理解できなくて、かと言って何か手出しすることなんて出来なくて棒立ちになっている。すると、景色が変わる、そうあの時と同じモノクロームの世界。世界から色が失われる。俺から、力が……両手の紋章が……何も……魔力感知すら……意識、が……
「どうなってんだ! おい! 蓮!」
エドガーが大声で叫んだ。俺はその声で途切れそうになっていた意識が繋がる。
「この場は無色界に堕ちる。動けねえなら黙ってろ小僧」