第十八章 春霞立つを見すてて行く雁は 花なき里に住みやならへる
真っ黒い髪をまとめて、細長い瞳に高い鼻。固く結ばれた口元。ジパング式のローブは赤と青の生地に、金の刺繍で何かの紋章らしきものが縫われている。足元は靴下らしいのに曇りがない純白。腰には刀を差している。
三鎌が無言で深々と頭を下げた。その男は和語で何か口にした。蓮さんがそれに答える。それに男が応える……二人ともずっと和語で会話をしているから、何を言っているのかさっぱり分からないが、とにかく緊迫した空気は変わらない。エドガーでさえも黙ってことの成り行きを見守っていた。
「彼がこれから案内してくれるそうだ。行こう」と蓮さんが口にした。
「彼?」と思わず俺が口に出してしまうと、
「四式拾嘉。上皇の息子だ」と口にすると、二人はさっさと歩きだして行く。それって、蓮さんの兄弟ってこと? そう思うが何も言えずに俺は城の中を進む。
ジパングの城の中は派手な装飾は抑えられており、木目が美しい長い廊下を進む。いや、所々の装飾はとても目を惹くものがあった。天井の一部には不思議な模様がほどこされていて、襖と呼ばれる引き戸にも、動植物がさらりと、しかし優雅に描かれている。
城内には兵士、武士らしき人がなぜかいなかった。上質で不思議な重ね着をした、派手な装飾のローブを身にまとった男女は、四式捨嘉の姿を目にすると深く頭を下げる。魔導士なのか、それとも召使なのか。それともそのどちらもなのだろうか。
そして辿り着いたのは、赤と白の花々が金で彩られた扉、「ふすま」の前だった。和語で拾嘉が何かを口にして、襖を開く。
そこには滝が流れていた。滝? しかし目の前に広がる景色は、空から水が流れ込んでおり、虹がかかっている。しかし、室内で空から水って、どういう仕組みなんだ?
そう思った時には、また景色が変わっていた。今度は夕暮れの草むらの中に俺はいて、何人かが和語で話し合いをしているらしいのに、俺は誰の姿も確認できない。背の高い草木に俺は囲まれていて、そう、隣にいたはずのエドガーや蓮さんだっておらずに、今更蓮さんの忠告が頭に浮かぶ。全身に鳥肌がたって、
景色が戻った。いや、また水源が分からない高い所から水が流れている。ここは、城の中にいるはずなのに。だが、そこには一人の男がいた。赤い髪を後ろで結んだ青年。もしかしたら俺と同じ位の歳なのかもしれない。
彼の服は真っ白な着物、ローブのはず。なのに、彼が身にまとっているのは、何か恐ろしい獣の毛、いや、獣自体を身にまとっているかのような。そして、その顔は切れ長の瞳に通った鼻筋、薄い唇。俺は、まるで十数年前の蓮さんに出会ったかのように感じ、彼から目が離せなかった。
「春霞立つを見すてて行く雁は 花なき里に住みやならへる 伊勢
(春霞が立つのを見捨てて北の国へ帰って行く雁は、花のない里に住み慣れているのであろうか)」
その声は、甘く俺の心に染みわたり、俺の周囲を何かの鳥たちが群れをなして飛び去って行くことに気付く。しかしそれと同時に木々に小さな花が生まれ、陽光が俺を包み、まるで世界が俺のことを祝福しているかのように感じた。
俺の誕生の肯定。胸が熱くなる感情。脳の中がとろけるような、眉間の辺りがむずがゆいような、それでいて、甘く、身体がほどけて行くような……
「おい! 僕は殺し合いに来たんじゃないんだ!」