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ひだまりのねこ。

作者: 紀乃 灯


ある所に、若い夫婦がいました。

二人は貧しいながらも、互いを愛し、

幸せに暮らしていました。

その夫婦の周りにはいつも、陽が差しているように、

ぽかぽかと暖かい雰囲気があったのです。


ある日、その暖かさはなくなってしまいました。

男が不慮の事故で亡くなってしまったのです。

女は酷く哀しみ、嘆きました。

毎晩毎晩、二人がいたアパートからは嗚咽が響き、

それはもう、聞くに耐えませんでした。



その頃でした。僕が目覚めたのは。

気づいた時には、彼女の腕の中で丸くなっていました。

とても暖かい手をしていたのを覚えています。

でも、彼女はいつも悲しそうな顔をしていました。

目の周りが、餅みたいに膨れ上がっていました。


僕は何を思ったか、

彼女を笑わせてみたいと思うようになったのです。

自分でも不思議なくらいに唐突で、

突拍子も無い事でした。


一羽の雀がベランダの端で、懸命に何かを突いていました。

僕は、抜き足差し足で忍び寄り、

狙いをすませ、お尻を振って、飛びかかりました。

見事雀をとった僕は、彼女の元へと運びました。


ですが彼女は喜びませんでした。

一層悲しい顔をしたのです。

どうやらこれは失敗だった様です。


次は、彼女の前で転がってみました。

ごろんごろんと、お腹をみせて床を転がり、

時にはお腹を撫でさせてやりました。

人間はこれをすると大概笑顔になるもんです。

彼女は微笑んでくれました。


でも、彼女は悲しそうでした。

もう少し、頑張りが必要みたいです。


次こそは、と意気込んだ僕は、

とっておきの秘策を出しました。

彼女に優しく抱かれている時に、

顔をぺろっと舐めてみせました。

彼女は驚いた顔をしました。

でも、その後笑ってくれました。

優しくて、陽だまりのように暖かい笑顔でした。

僕は嬉しくて、思わず喉を鳴らしてしまいました。



しかしある時、彼女の元に男がやって来ました。

何だか頼り甲斐のない顔をした奴でした。


僕はそいつが嫌いでした。

何だか彼女が盗られた様な気がして…

兎に角嫌でした。


爪を立てて引っ掻いたり、

小便を男に引っ掛けてやりました。

はじめのうちは笑っていた男でしたが、

次第に僕を睨んだり、怒鳴ったりして、

終いには、僕を箱に入れてしまいました。


箱の蓋が閉まる瞬間に見た、

彼女の顔はとても悲しそうでした。


目を覚ますと、見知らぬ公園にいました。

彼女の姿が見当たりません。

僕は心細くなって彼女の名前を呼びました。

返事はありませんでした。


きっと今頃悲しそうな顔をしているに違いない。

早く行って、ぺろっと舐めて上げないと。

そう思って猫は走りました。


猫は必死で彼女を探しました。

車の下も、ゴミ箱の中も、ベンチの下も、

塀の上も…がむしゃらに探しました。

それでも彼女は居ませんでした。


街には危険がいっぱいありました。

大きな音を立てて、ものすごいスピードで目の前を

通り過ぎていく機械。

僕をみたらエサと勘違いしたのか、

嘴で突っついてきた黒い鳥たち。

野良猫は僕のことを馬鹿にして、噛み付いたり、

引っ掻いたりしてきました。


それでも僕は諦めませんでした。

その頃には、ふわふわだった毛はあちこちが禿げ、

自慢のピンと伸びていた髭は変な風に曲がっていました。


僕は寒さで足が痛かったです。

その頃は、とても寒い風が吹いていました。

彼女の腕の暖かさが、とても恋しかったです。


どのくらい経った頃だったでしょう。

僕はもう動けないくらいに、

腹が減り、体中が痛んで、倒れてしまいました。


大きなピカピカ輝く木の下でした。


僕は眠くて、眠くて、仕方ありませんでした。

でも寝てしまったら彼女に会えないような気がしたので、

しばらくは頑張って起きていました。


でも、駄目でした。

僕はもう眠かったので、寝てしまいました。

空腹や痛みが、なくなっていき、とても楽になりました。


次第に寒さもなくなって、暖かくなってきました。

この温もりは…どんなに離れていても、覚えています。

彼女の腕の暖かさでした。


僕は目を開いて彼女をみました。

悲しそうな顔をしていました。

目からは水が流れていて、

今まで見た中で一番悲しそうな顔をしていました。


でも、僕にはもう雀をとる元気はありません。

ごろごろする元気もありません。

だから僕はあの時のように、

彼女の顔をぺろっと舐めました。

すると彼女は笑顔になりました。

僕が大好きな、陽だまりのような笑顔でした。


僕は彼女の腕の中で眠りました。

とても心地が良かったです。

夢には、彼女が出てきました。

その中の彼女はどれも笑顔で、

全く悲しそうではありませんでした。


僕は彼女のそばに座って、

いつまでもその幸せな笑顔を見守りました。



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