marlboro
――タバコは嫌いだ。
幼稚園のとき、10歳以上離れてる兄貴を真似して、一度だけ吸ったことがあった。
その時、物凄い咳き込み、吐いてしまったのだ。
それからタバコは一生吸わないと誓った。
学校の屋上で、そんな昔のことを思い出していた。
なんで、こんな昔の事を思い出しているかというと
寝転がっている僕の横をコロコロとタバコの吸殻が転がっているからだ。
あの時吸ったのと同じ茶色いフィルターにmarlboro と書かれたタバコ。
それをぼーと眺めながら、時間が過ぎるのを待っていた。
最近、何かが足りない。
中学2年になる今まで、そんな事を思うことはなかった。これが思春期というやつなのだろうか。
今生きている日常がたまらなく退屈なのだ。
そんな退屈から抜け出したいと思い、今日は初めて授業をさぼった。
そして、今ここで暇を持て余し寝転がっている。
授業をさぼって何か変わったかというと、何も変わらかった。いつもと、同じように退屈で物足りない時間だ。
「……寝るか」
俺はそう呟いて目を閉じた。さぼるのをやめて、途中から授業を受けてもいいのだが、今更のこのこと教室に戻るのもばつが悪いし、何よりも動くのがめんどくさい。
このまま退屈な時間は寝て過ごし、次の授業から出席しよう。
そう心に決めて、眠りについた。
「おい、何、人の場所で寝てんだよ」
俺が眠ってからどれくらいの時間が経ったのだろうか。俺は少しハスキーなけだるい声で話しかけられ目を覚ました。
目を開けると、あたりはオレンジ色に染まり、日が沈もうとしていた。
いつの間にかけっこうな時間、眠ってしまったみたいだ。
「おい、無視してんじゃねーよ」
再び掛けられた声に反応し後ろを振り向く。
そこには、小さな女の子がいた。愛くるしい童顔を仏頂面にしている女の子。
そして、ボブ状の髪型を少し色むらのある金髪に染め上げ、耳にはいくつかのピアスをしている。
彼女の顔には見覚えがあった。というか、この学校ではちょっとした有名人だ。
彼女の名前は須川 愛。いつも先生に反発し、たびたび怒られているところを見かける。いわゆる、不良というやつだ。別段、不良というだけなら珍しくもなんともないが、彼女は何故かいつも一人でいるのだ。その様子から彼女は”はぐれ狼”と呼ばれていた。
「おい、さっきから聞いてんのか? ここはウチの場所だからどっか行けよ」
いつまでも返事を返さない俺に、しびれを切らしたように彼女が凄んでくる。
「……あーごめん。起きたばかりでぼーとしてた。でも、ここは学校だから君の場所じゃないし、俺がどこに居ようと俺の勝手じゃない?」
まったく怯まず言った俺の正論に彼女はちっと舌打ちし、
「……先行にチクんなよ」
と言うと、ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
どうやら、ここにあった吸い殻は彼女のものらしい。彼女の取り出したタバコと吸い殻に書いてある文字が一緒だ。
彼女は落ちていく日を眺めながら、ゆっくり煙を吸っては、吐き出している。
「何、見てんだよ」
「いや、なんでそんな不味いもん吸ってるのかなと思って。わざわざ先生に見つかるリスクを負って吸うもんじゃなくない?」
俺の返答に彼女を大きくタバコを吸うと、煙を吐き出す。そして、
「吸ってみろよ。そしたら、なんで吸ってるかわかるぜ?」
と、咥えていたタバコを手に取り、突き出してくる。
俺は突き出されたタバコをおずおずとつかむ。
幼稚園の時は不味くて嫌いになったタバコだが、今ならそう感じないかもしれない。
多少の罪悪感はあったもの、その好奇心に負け俺はタバコを咥え、息を吸った。
「……ゲホッ! ゴホッ! ウェッゴッ!」
煙が口の中に入った瞬間、咳き込んだ。体が異物と判断して無理やり吐き出そうとしてくる。
不味い! とにかく不味い! これを考えた奴はあほなんじゃないか!?
人生二回目の喫煙に心の中で悪態ついているとケタケタと笑う声が前から聞こえる。
彼女は俺の咳き込む様子を見て笑っているのだ。
そんな彼女に、バカにしたように笑う彼女に、俺は不思議と怒りを感じなかった。
――ただ、その笑顔がまぶしいと感じた。
彼女の笑う顔を初めて見た。
彼女と仲がいいわけではないし彼女はいつも一人でいるためか笑顔を見たことはない。
いつも、不愛想な仏頂面で学校にいる。
だが、今初めて見た彼女の顔は夕日と相まって輝いているように見えた。
そして、そのとき自分の中で足りない何かが埋まったような気がした。
「あー久々にこんな笑った気がするぜ。面白いもん見れたし、うちは帰るわ」
俺が彼女の笑顔に見惚れていると、彼女はそう言いその場を去ろうとする。
「おい、これどーすんだよ」
「やるよ」
彼女は後ろを向いたまま短くそう言いそのまま屋上から去っていった。
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次の日。俺は再び、屋上へと来ていた。
だが、今回は授業をさぼっていない。放課後に来ている。
この日の朝、俺は先生に昨日の事をこっぴどく怒られ、もう授業をさぼるなよと念を押された。
なので、今日はさぼらなかった。
さぼっても面白いことなどなかったというのもある。
だが、屋上には行きたい理由があった。何故かわからないが彼女にもう一度会いたかったのだ。
ここに入れば、また会えるんじゃないかと思って再び屋上へと来ていた。
そして、太陽が沈んできて夕日になろうかという時に扉の方からガチャと音が聞こえる。
その方向をみると、その音の正体は彼女だった。
「なんだ、お前またここにいたのかよ」
彼女は俺を見つけるとそう言い、こちらに向かってくる。
そして、少し距離をおいてタバコに火をつけると、夕日の方を向く。
「なんで、ここにいるんだよ」
彼女は夕日をみながら俺に聞いてくる
「昨日見た夕日がきれいだったから、また見たくなって」
俺の返答に彼女はふーんと興味なさげに答える。だけど、心なしか笑っているようにも見えた。
「逆に君は何で、ここでタバコを吸ってるの?」
「……お前と同じだよ。ここからみる夕日がきれいだから、いつもここで一服してから帰るんだ」
「不良でも、こういうのきれいとか思うんだ」
「っるせーな! 別いいだろうが! 何をきれいと思おうがうちの勝手だろうが!」
彼女は照れ臭かったのだろうか、顔を赤くし、以前俺が言った言葉と同じように返してくる。
そして、そのまま彼女がタバコを吸い終わるまで夕日を眺めていた。
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それから、俺は放課後、屋上へ行くのが日課になっていた。
彼女ともいろんなことを話した。彼女のことをいろいろと知った。
好きな食べ物はオムライス。嫌いなのは辛い食べ物。不良みたいに言われてるが根は案外まじめなこと。
二人の弟がいるが、両親は働き詰めの母親しかおらず、家ではしっかり者だということ。
本当にいろいろなことを知った。
そして、初めて会った日から三か月ほど月日は過ぎていた。
俺は未だにあの時埋まったような気がしたものが何かがわからなかった。だが、それもすでにどうでもよかった。彼女と話すのは退屈を感じず、どこか心地よかったからだ。
ある日。俺はいつものように屋上へ来ていた。もちろん彼女も。
「おいす、今日は寒いな」
「……あぁ。そうだな」
最近はすっかり冷え込み、彼女も俺もマフラーとコートを着ている。
いつかの日のようにここで寝ていたら風邪をひいてしまうだろう。
彼女はいつものようにタバコに火をつけ、煙をふかしていた。
しばらく二人で夕日を眺めると
「そういえば、今日クラスの奴がバカやってさ。先生にむちゃくちゃ怒られたんだよ」
俺はいつものように話しかけた。その日のくだらない事柄を話題にして。
だが、彼女は
「……そっか」
と短く返すだけだった。
どこか元気がない。俺はいつもと違う彼女にそう感じた。
そして、何かあったのか? と聞こうと口を開いた瞬間、
「……タバコ吸うか?」
と彼女に聞かれた。俺は何で彼女がこのタイミングでタバコを勧めてきたのかよくわからなかった。
初めて会った日以来、彼女は俺にタバコを勧めてくることはなかったのだ。
「いや、いらないよ。それより何かあ――」
「そっか。……今日はもう帰るよ」
俺の言葉を遮るように彼女は言った。その時の彼女の顔はどこか悲し気で暗かった。
泣いているようにも見えた。
俺はその顔に不安を感じ、去ろうとする彼女の腕をたまらずつかんだ。
「なぁ……明日もまた会えるよな?」
彼女はこちらを振り向かず短く
「……ああ」
とだけ言った。
俺はその言葉に焦燥を感じたが、彼女を信じ、その手を離した。
翌日、彼女は放課後、屋上に来ることはなかった。
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彼女が現れなかった翌日の朝。俺は彼女のクラスの先生の所に来ていた。
「先生! 須川さんは昨日学校来てないんですか!?」
俺の険相に、先生は少し驚きながらも答えてくれた。
「なんだ、お前、須川と友達だったのか? 須川は一昨日で”転校”したぞ」
俺は先生の言った言葉が信じられなかった。
「な、なんで……?」
「確か、別れていたお父さんとお母さんが再婚したらしくてな。それに伴い……って、おい! どうした!」
俺は先生が話してくれているにも関わらず、途中でその場を走って離れた。
正直、もう訳が分からなかった。
そのままずっと走った。
とにかく走った。
廊下にいる人に目もくれずひたすらに走った。
わき腹が痛くなり、視界がかすんでくる。
俺はいつの間にか、屋上へと来ていた。
そこには、タバコを吸う人影があった。
頭がぼーとして視界が定まらない。
「す、須川……?」
俺は定まらない人影に引き寄せられるようにふらふらと近づく。
そして、その人影をつかむ。
「なんだ! てめーは!」
だが、それは須川じゃなかった。知らない男子生徒だ。
突如、顔に鈍い痛みと頭がぐらつくのを感じ、そのまま俺は倒れた。
「てめー! チクったらこれ以上に痛い思いすることになるぞ!」
その生徒はそう言い、その場を去る。
だが、俺は倒れたまま動けないでいた。
両目からは涙が出てきた。
この涙は痛みからなのだろうか。
わからないが俺はひたすら泣いた。
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あれから、幾許か経ち、泣き止んだ俺は少し冷静になっていた。
だが、冷静になった途端、様々な疑問が頭の中に浮かんでくる。
なんで彼女は何も言わず、俺の元を去ったんだ? あの時タバコを受け取っていたら何か変わったのか?
今、俺の胸に開いた穴はなんなんだ?
そんな疑問が頭の中を駆け回るのだ。
そして、ふと横をみると、そこには彼女が吸っていたのと同じ銘柄のタバコとライターがあった。
おそらく、さっきの生徒が忘れたものだろう。
俺は頭の中にある疑問の答えを求めるよう、それに手を伸ばした。
彼女と同じタバコを吸えば、何かわかるかもしれないと感じたのだ。
箱の中からタバコを一本取り出し、口に咥える。
そして、そのまま火をつけ、深く息を吸う。
「ゲホッ! ゴホッ!」
苦さと喉をつんざくような刺激だけが体に入ってくる。
それに拒否反応を起こし、煙を追い出そうとするが、俺はそれに負けぬよう精一杯煙を吸った。
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数年後。
俺は今、高校生だ。背は伸び、顔つきも多少は変わっただろうが、あの時とあまり違いはないだろう。
ただ、タバコを愛煙するようになった。
そして、あれから、幾度か告白され、何度か交際した。
その交際により、あの時空いた穴の正体はわかった。だが、その穴は今でもふさがってくれないのだ。
だから、それらは長続きしなかった。
この穴はどうやったらふさがるのだろう。やっぱり……。
俺は未練がましいことを考えながら、街にある喫煙所に立ち止まる。
そして、タバコを取り出そうとポケットから箱を取り出し中を開ける。
「……しまった。切らしていたんだ」
タバコは吸いきってしまい、中には何も入っていなかった。
俺はめんどくさいなと思いながらも、タバコを買いにその場を去ろうとした。
だが、俺の足は立ち止まる。
そこに、ある女の子、いや女性がいたからだ。
その女性は俺の吸っているタバコと同じ銘柄marlboroを突き出し、少しハスキーなけだるい声で言った。
「タバコ吸うか?」