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五話

 この日もメティエは自分の部屋にいた。特にすることもなく、だらだらと長椅子に横になっていた。時折紅茶を一口飲み、また横になる。そんなことを繰り返していた。

「姫様、ご覧ください。外は日も差していいお天気ですよ」

 リリアが空気の入れ替えのために、窓を開けながら言った。

「今日はお部屋を出てみてはいかがです? もう中庭の花は満開でしたよ」

「……そう」

 メティエは微動だにせず、どこか一点を見つめながら返事をした。そんな姿に、リリアは今日もだめかと肩を落とした。

「姫様、新しいドレスが出来上がったんですよ。よろしければご試着をしていただけませんか?」

 今度はミアンが衣裳部屋から顔をのぞかせ聞いた。

「……また今度」

「そ、そうですか。わかりました……」

 ミアンは落胆の表情で顔を引っ込めた。メティエが部屋に引きこもってから、二人は毎日のようにこうしてメティエの気を引こうと努力していたが、どれも失敗に終わっていた。一体どうしたらいいのか、二人はもうお手上げ状態だった。

 その時、入り口の扉がノックされた。リリアは小走りで扉に向かう。

「はい。今お開けいたします」

 そう言って開けた扉の正面には、三人の護衛を連れた男性が立っていた。その顔を見て、リリアは反射的に頭を下げた。

「こ、これは、シファル王子!」

 人懐こい笑顔でシファルは聞いた。

「メティエはいるかい?」

「あ、はい。奥でおくつろぎ中でございま――」

 リリアの言葉を最後まで聞かずに、シファルは護衛を置いて部屋に入っていった。

「お、王子、お待ちください!」

 こういう時、侍女は主に客人と会うかどうかの返事をもらわなければいけないのだが、シファルが勝手に入ってしまったので、リリアは慌ててその後を追った。相手が一国の王子で婚約者だからと言っても、今のメティエの精神状態では必ず返事は聞いたほうがいいとリリアは考えていたのだ。

「……おお、メティエ!」

 横になっている婚約者を見つけ、シファルは両手を広げ喜びを見せた。突然の王子の登場に、メティエもさすがに驚いたのか、長椅子から上半身だけを起き上がらせ、笑顔の王子を確認したが、すぐにまた体を元に戻し横になってしまった。リリアはその様子を見て、やっぱり会いたくなかったのだと感じた。

「どうしたんだいメティエ。元気がないようだけど」

 シファルはメティエの顔が見える位置にひざまずいて聞いた。しかし、メティエは何も答えようとしない。ただ気だるそうに宙を見つめている。

 明らかに様子がおかしいとわかり、シファルは無言でリリアに問うが、リリアは首を振ることしかできなかった。

「……メティエ、僕の手紙は読んでくれたかい?」

 シファルはメティエの手を取りながら聞く。これにメティエは顔をそむけた。読んでいないというメティエなりの返事だろう。だがシファルには通じず、またリリアに無言で問う。リリアは目線を机に向けた。そこにはほったらかしの手紙の山がある。それに気付いたシファルは机まで行き、積まれた手紙を見る。当然どの手紙も読まれた形跡はない。

「やっぱりそうか。そうじゃないかと思っていたんだ。だから僕はこうしてフォルトナまでやってきたんだ。君の返事が欲しくて」

 手紙を置くと、シファルはまたメティエの横にひざまずいた。すると、衣裳部屋で仕事を終えたミアンがやってきた。が、王子の姿を見ると、思わず驚きの声を上げた。

「わああっ……あ、お、王子?」

 リリアがしーっと人差し指を立て、急いで側に呼び寄せる。

「お邪魔しているよ」

 目を丸くするミアンに、シファルは優しく言うと、再びメティエに目を向ける。

「毎年返事をくれていたのに、今年はどうしたんだい? 今は春真っ盛りで、こちらは華やいでいるよ」

 シアリーズ王国は周囲を緑に囲まれた国で、岩山の多いここフォルトナ王国と違い、暖かい時季になると辺りは一気に色彩豊かな景色へと変わる。その美しさは大陸一とも言われ、外国の貴族などが数週間もかけ、わざわざ観光にやってくるほどだった。それはメティエも例外ではなく、両国が同盟を結んだ当時、フォルトナの王家が招かれたことから、春になるとシアリーズへ物見遊山に出かけることが両国の毎年の慣行となっていた。ちなみに、二年前にシアリーズへ出かけた同時期に、シファルはメティエに一目惚れしている。

「今年も変わらずこちらへ来てくれるだろう? メティエ」

 問いかけるシファルだが、メティエはそっぽを向いて動かない。その冷たい態度に、傍観しているリリアとミアンは内心ひやひやするばかりだった。

「……そんなに僕と話したくないのかい?」

 シファルの声が低くなる。その変化にメティエは少し顔を向けそうになったが、やはり目を合わせることはなかった。シファルはゆっくり立ち上がる。表情は困惑顔だ。

「困ったな……」

 腰に手を置き、弱々しく呟く。その姿は傍から見ても寂しそうに感じた。勝手にとはいえ、わざわざ数日かけてフォルトナまで来てくれた王子を、リリアはだんだん不憫に思えてきた。何も話そうとしないメティエに一言注意しようと考えた時だった。こんこんと、また扉を叩く音が響いた。

「あ、私が行きます」

 リリアを止め、ミアンが扉へ向かう。開けてみると、そこには王妃イシェラが立っていた。

「……王妃様!」

 慌てて頭を下げるミアンに、王妃は部屋の中をのぞきながら聞いた。

「ここにシファル王子がいらっしゃっていると聞いたのだけれど」

「あっ、はい。おいでになられています。どうぞこちらへ」

 ミアンは王妃を王子の元へ案内する。

「……まあ、シファル王子。またメティエに会いに来てくださったのですか」

 笑顔でやってくる王妃を見て、シファルはすぐに姿勢を正し、深々と礼をした。

「これは妃殿下、またお目にかかれて光栄です。私への挨拶というのなら無用ですよ」

「そうはいきません。堅苦しいと言われても、礼儀は尽くさなければ」

 にこりと笑う王妃に、シファルは苦笑する。

「……あらメティエ、いたの? 声が聞こえないからいないと思っていたわ」

 王妃に見下ろされても、メティエは横になったまま動かない。

「メティエ、シファル王子がおいでになっているのに、なんて無礼な態度なの。親しき仲にも礼儀ありよ。ちゃんと座りなさい」

 母に言われ、メティエは面倒くさそうに上体を起こした。

「ほら、髪が乱れているわ。あと、ドレスの裾がめくれている……まったくもう」

 言われた箇所を直していく娘を見ながら、王妃は大きな溜息を吐いた。

「将来はシファル王子と共に、一国を支えていかなければならないというのに……早くその自覚を持ってもらいたいものだわ」

「焦らせてはなりません。そういうものは自然と芽生えるものですよ。今は見守るだけでいいのではないですか?」

「甘やかして後悔するのはシファル王子なのですよ? 今からきっちりと――」

「あーっ! もう、わかったから!」

 メティエは怒鳴るように話をさえぎった。久々に聞いた大声だった。

「せっかく紅茶を飲んでまったりしてたのに……二人で話すなら部屋を出てくれない?」

「なんて言い方です! シファル王子がいらしているのですよ。お飲み物をお出しすることくらいできないの?」

 するとメティエがリリアとミアンをちらと見た。はっとした二人は慌てて言った。

「き、気付かず申し訳ありません。只今お飲み物を――」

「構わないよ。今喉は渇いていないから。それより――」

 シファルはメティエに向き直る。

「返事だけ聞かせてくれないかな。今年もシアリーズへ来てくれるかい?」

 シファルに見つめられ、返事を躊躇していると、横から王妃が聞いた。

「シファル王子、返事とは、もしかして毎年のお花見のことかしら?」

「はい。妃殿下もおいでくださいますよね」

 王妃は何か考えながら、じっとメティエを見つめた後、答えた。

「今年はメティエ一人がうかがいます」

 ぎょっとしたようにメティエは王妃を見て立ち上がった。

「ちょっと! 私まだ行くなんて言って――」

「私もシアリーズの美しい花々を見たかったのだけれど、やらなければいけないことがたくさんあって……大変残念ね。メティエだけにでも見せてあげてくれるかしら」

「妃殿下は、おいでになられないのですか? 毎年いらしてくださるのに……それは残念です。では、今年はメティエのためだけに、僕が盛大に――」

「勝手に話を進めないで!」

 王妃とシファルはメティエをきょとんと見つめる。

「……何か問題があるの?」

「あるわよ! 私行くなんて一言も言ってないし」

「では、行かないつもりなの?」

 聞かれてメティエは答えに詰まった。すぐ横にいるシファルを見ると、期待に満ちた顔で返事を待っている。行かないとは言いづらい雰囲気だった。

「……そう、なるかもしれない、わね」

 半分怯えた声で答えると、すかさず王妃が言った。

「ならば命令します。必ず行きなさい」

「な、何よそれ!」

 あまりの強引さに、メティエは驚くよりも頭にきた。

「妃殿下、どうかメティエの気持ちを尊重して――」

「シファル王子、これは私達の話し合いです。ご意見は結構です」

「あ、はい……」

 王妃に睨まれ、シファルは一歩後ずさる。

「さあメティエ、すぐに準備をなさい」

「そんな命令、聞かないわ! なんで勝手に……」

 メティエは腕を組み、不満もあらわに長椅子に座り込んだ。この親子喧嘩は長くなりそうだと侍女二人は感じていた。王妃も同じなのか、やれやれというようにシファルに言った。

「シファル王子、申し訳ないのだけれど、しばらくの間、部屋を出ていただけるかしら」

「……わかりました。では、廊下でお待ちしております」

 王妃の目の合図で、リリアとミアンはシファルを部屋の外まで連れていくと、さすがに王子を廊下で待たせるわけにもいかず、そのまま別の部屋へ案内をした。

 母と娘二人きりになった部屋には、窓からの日差しが暖かいにもかかわらず、どこか冷えた空気が漂っていた。メティエはぶすっとした表情のまま動かない。王妃はその顔が見える向かいの椅子に腰かけた。

「私、知っているのよ。メティエは毎年、シアリーズへのお花見を心待ちにしているのを」

 メティエは視線だけを母に向けた。母は優しく微笑んでいた。――実は、王妃の言う通りで、メティエは毎年シアリーズの美しい自然を見ることを楽しみにしていた。あの景色は一度見たら虜になるほど、それは素晴らしいものだった。メティエは今年も変わらず見に行くつもりだった。そんな気持ちを母は見通していた。そう知ると、メティエは今の自分の態度が恥ずかしく思えてきた。

「行かないという選択肢は、初めからないのでしょう? いつまでも部屋に閉じこもらずに、シアリーズを楽しんでいらっしゃい」

「閉じこもらせたのは、母様じゃない」

「あら、私が何をしたというの?」

「必要ないくらい護衛をつけて……廊下を歩いてるとアリの行列みたいよ。面倒だし、恥ずかしくてたまらないわ。そのせいでやりたいことの半分もできなかった」

「あなたが閉じこもっていた理由は、それだったの? 私はてっきり、シファル王子への恋わずらいかと思っていたわ」

「茶化さないで!」

 メティエが睨んでも、王妃はにこやかに笑い続ける。

「私、本当に嫌なの。何もかも安全が最優先で、私の気持ちなんて誰も考えてくれてなくて……」

「当然ではないの。メティエは命を狙われているのよ」

「当然って、でも――」

「では護衛は、あなたの命より、あなたの気持ちを優先して守れというの? そうなっては命など守りきれません。メティエはそんな護衛と言えない護衛でもいいというの?」

「それは極端よ。もちろん、命のが大切だけど……」

「それならば答えは出ているじゃない。……メティエ、自分のことだけを考えないで。私がなぜ大勢の護衛をつけたのか、その奥の心を読み取ってちょうだい。あなたの周りには護衛だけではなく、たくさんの愛する心がつきそっているのよ」

「………」

 メティエは真剣な母の瞳をしばらく見つめると、うつむき、小さくうなずくことしかできなかった。両親や侍女、兵士達の優しい愛は日々感じていた。感じていたはずなのに、それを無視するような身勝手な態度を取り続けていた自分に、メティエはこの言葉でようやく気付かされた。そして、自分の幼稚な考えにも。

 メティエはすっくと立ち上がった。

「シアリーズへ行くって、王子に伝えてくる。だから母様も一緒に行こう」

 うなずいてくれるものと思っていたのに、王妃はゆっくり首を振った。

「どうして? 母様も毎年行ってるじゃない。さっき言ってた、やることがあるなんて理由、嘘なんでしょ?」

「嘘ではなく、本当に用事があるのよ。行けるのなら私もぜひ行きたいのだけれど。メティエ、私の分まで楽しんでいらっしゃい」

「本当に、いいの?」

 王妃はうなずく。

「見れるの、また一年後だよ?」

「しつこいわよ」

 母の意思が変わらないと見て、メティエは仕方なく部屋を出た。すると目の前にミアンが立っていた。

「あ、ミアン、王子はどこ?」

「はい。この先のお部屋へ――」

 ミアンが言い終わらないうちに、メティエは小走りで向かっていく。

「姫様、私がご案内を……」

 呼び止める間もなく、メティエは廊下を曲がっていった。

「走っていくなんて、そんなにお花見が楽しみなのね、きっと」

 部屋から出てきた王妃が廊下の先を見つめ呟く。その姿を見てミアンは頭を下げた。

「シファル王子のご様子はどう?」

「姫様のことを気にしておられましたが、先輩がどうにか落ち着かせています」

「そう。メティエ思いのいいお方ね。あの子が早くそれに気付くといいのだけれど」

 王妃は残念そうに息を吐いた。

「シファル王子のお帰りの日時は聞いている?」

「はい。姫様からお返事をいただき次第、お帰りになるつもりだと」

「つまり、明日にはお帰りになるのね。ミアン、シファル王子のお相手は私がします。あなたはリリアと共に旅行の準備をすぐに始めなさい」

「……姫様はシアリーズへ行くとお決めになられたのですか?」

「もちろんです。だから準備をするのです」

「では、王妃様のご準備も――」

「ミアン、先ほど部屋で聞いていなかった? 今年はメティエ一人が行くのよ」

 これにミアンは少し躊躇するように言った。

「恐れながら王妃様、その、部屋でのお言葉は、事実なのでしょうか」

 王妃の片眉が上がる。

「……事実とは?」

「ええと、王妃様はやらなければならないことがあるとおっしゃっておられましたが、それはどうも事実のようには思えなかったもので……あっ、私の勘違いでしたら、どうかお許しを」

 緊張の表情を見せるミアンを王妃はしばらく真顔で見ていたが、突然笑みをこぼした。

「ふふ。ミアンもなかなか鋭くなってきたものね」

「で、では……」

「今はやることなどないわ。だって毎年シアリーズへ行くために、この時期は必ず予定を空けているのですから」

「それならば、なぜ王妃様もご一緒に行かれないのですか」

「あの二人のためです。ミアンは間近で見ているのだから、二人の距離がまだ遠いことは感じているでしょう。特にメティエ。あの子は私達が婚約者を決めたことに、未だに反発心を抱いているようね。そのせいか、シファル王子のことを積極的に理解しようとしていないわ。まったく、外見は大人でも、中身は子供なのだから困ってしまうわ」

 王妃は頭痛を耐えるような渋い顔を浮かべた。

「姫様お一人で行かせるのは、お二人の距離を縮めさせるため、なのですね?」

 王妃は答えず、ただミアンに微笑んだだけだった。

「ですが、お一人で行かせるのはご心配ではありませんか? 姫様は今何者かに――」

 王妃は手でミアンの言葉をさえぎった。

「このことはシファル王子には言わないように。あちらが過剰な警備態勢を取ってしまっては、またメティエが駄々をこねかねません。そうなっては私の思惑も水泡に帰してしまいます」

「では、護衛や兵はすべてこちらから連れて行くのですか?」

「そうなるでしょう。クスフォーに言って、精鋭を揃えさせます。騎士団の精鋭ならば、犯人もそう簡単には近付けないはずよ」

 その時、廊下の奥からメティエを連れてシファルが現れた。その足取りは軽く、表情も明るい。幸せそのものを表現したような姿だった。

「……お話が済んだようね。ミアン、準備を急ぐようにリリアにも伝えてちょうだい」

「かしこまりました」

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