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十二話

 その後、シアリーズ王国で捕らえられていたディーク・ノクセンは、フォルトナ王国に身柄を移され、罪を裁かれた。王家の人間に危害を加えることはもちろん重罪だったが、家庭の事情や自分の意思ではなかったことを考慮し、極刑ではなく、国外追放となった。その際、メティエがディークに当面の生活費を渡したことは、一部の人間だけの秘密である。

 一方、真犯人であるサムリム・クスフォーのほうは、極刑は免れないことは確実だったが、日に日に精神を病み、裁判をまともに続けることができなくなり、現在は医師に診てもらいながら暗い牢の中で孤独に生きている。最終判断はまだ先になりそうだった。

 雇われていた実行犯や、シアリーズの盗賊らも捕まり、一連の事件に関することは一通り落ち着きを見せ、メティエには心身ともにやっと平穏な時間を過ごせる時がきた……と思った矢先の知らせだった。それは事件解決からまだ二カ月後のことだった。

「これは何の騒ぎだ?」

 城内に一歩入ったメティエの兄ユティウスは、周りを行き交う召使達を見て足を止めた。普段には見られない人数が、廊下を小走りに駆け回っている。何人かユティウスの前を通るのだが、気付いていないのか誰も立ち止まり挨拶をすることはない。それほど皆忙しそうだった。

「よくわからないが、私を出迎えてくれる人間はいないらしい。とりあえずお前達は私の荷物を部屋に運んでおいてくれ。私は父君と母君に顔を見せてくる」

 二人の側近は指示通り部屋へ向かい、ユティウスは両親を捜しにまずは謁見の間へと向かった。だが、中をのぞくと誰の姿もない。廊下に戻って辺りを見回していた時、メティエの侍女であるミアンを見つけ、ユティウスは声をかけた。

「ああ、そこのお前、確かメティエの……」

 歩いていたミアンは振り向くと、その姿に一気に緊張の面持ちに変わる。

「ユ、ユティウス王子? いつお戻りになられたのですか?」

「ほんの数分前だ。それより、父君と母君を知らないか」

「両陛下ですか? 申し訳ありませんが、私は存じません。いろいろと忙しく、余裕もないもので……」

「そうらしいな。ところで、皆はなぜ忙しくしているんだ?」

 ミアンは一瞬「え?」という表情をしたが、すぐに気付き言った。

「お戻りになられたばかりでは、ご存じないのも当然でしたね。では、この先のお部屋へご案内いたします。そこで理由がお分かりになると思いますよ」

 そう言ってミアンは廊下をすたすたと歩いていく。ユティウスはその後を大人しくついていった。

「……さ、このお部屋です」

 案内された部屋にユティウスは入る。その瞬間、おしろいの香りが顔面を襲った。

「姫様、よろしいでしょうか」

 明るく広い部屋の中央には、大きな仕切りが置かれていて、ミアンはその向こう側にいると思われるメティエに声をかけた。

「まだ終わってないから、待たせておいてよ!」

 メティエの声はかなり苛立っていた。

「いえ、そうではなく、ユティウス王子がお戻りになられましたので――」

「兄様が?」

 するとメティエは仕切りの端から顔を半分のぞかせた。

「兄様! 戻るなら戻るって前もって連絡してくれればいいのに」

「父君には今日帰ると手紙で言っておいたはずだが、聞いてないのか?」

「何にも。そういうことは父様じゃなく、母様に言っておいてよ」

「これからはそうする。で、何をしているんだ?」

「一所懸命、着飾ってるのよ」

 するとメティエは、自分を隠していた仕切りを手で押しのけた。そこには、純白のドレスに身を包み、化粧で美しさを増したメティエの姿があった。しかし、髪はまだ結い途中で、専門の職人がせっせと手を動かしている。その脇ではリリアが紅茶の入ったカップを手に、メティエの世話をしながら職人の仕事に厳しい目を向けていた。

「この部屋に来て、もう何時間経ったのか……」

 椅子の背もたれにぐったりともたれ、メティエは深い溜息を漏らす。

「何をそんなに力を入れているのか知らないが、白いドレスなんて着たら、まるで結婚でもするみたいに見えるぞ」

 メティエ、リリア、ミアンの三人は、ユティウスの言葉に唖然とした目を向ける。この視線に気付いたユティウスは、驚きを隠さずに聞いた。

「……まさか、結婚をするのか?」

 見ればわかるでしょと言うように、メティエはうなずく。

「あんなに嫌がっていたのに、どうして急に? もちろん相手は婚約していたシアリーズの王子なんだろ?」

 メティエは少し恥ずかしがりながら答える。

「確かに最初はそんな気はなかったけど、兄様がいない間、いろいろなことがあってね。その……受け入れたの」

「だからって、私の戻る日に式を挙げることはな――」

「それはこっちのせいじゃないから。間違えないでよね」

 メティエは語気を強める。

「でも、お前は受け入れたんじゃないのか」

「それは婚姻の了承であって、式をこんなに急いで挙げることじゃないわ。それなのに向こうは何を勘違いしたのか、私が式を挙げることまで了承したと思ったみたいで、三日前よ? たった三日前に式の日程を手紙で送ってきて、こっちの返事を送っても、もう間に合わないのは確実だったから、こうして皆が駆け回るはめになってるのよ」

「三日前って……すごいな」

 笑う兄をメティエは睨みつける。

「何がすごいのよ! こっちの都合も考えずに……」

 メティエはリリアの持つ紅茶のカップを取り、一口飲む。

「でも、式は全部シアリーズで行うんだろ? 昔からのしきたり通りに」

 この地域では、花婿が花嫁を家まで迎えに行き、自分の家に連れて来てから式を挙げることが決まりとなっていて、それはシアリーズ王国でも変わらない。

「準備は全部向こう任せだから楽ってことじゃないんだからね。こっちにだってしなくちゃいけないことが山ほどあるの。招待状出したり、持ってく家具とか服をまとめたり――」

「おお、これは見違えた」

 声のした入り口を見ると、国王と王妃が正装姿で部屋に入ってくるところだった。

「メティエ、ドレスがよく似合っているわ」

 王妃は娘の晴れ姿に目を細める。

「……ありがとう」

「何? その無愛想な顔は。もっと花嫁らしい笑顔を見せなさい」

「だって、あまりに急かされるから……今も兄様に愚痴をこぼしてたの」

 一瞬国王と王妃に間が空いた。そして、やっと息子の存在に気付いたのか、驚いた声を上げた。

「あらユティウス! いつ戻ってきたの? まったく知らなかったわ」

「気付くのが遅くありませんか。父君には今日戻ると言っておいたはずです」

「……そうだったか?」

 国王は首をかしげる。本当に忘れているらしかった。

「とにかく、無事に戻れて何よりです。旅でのお話を聞きたいところですけど、今日はこういうことだから、それはまた後日に」

「あっ、私も兄様の話、聞きたい!」

「お前は式に集中したらどうだ。話はその後だ」

「式が終わったら、しばらくフォルトナには戻ってこれないのよ。兄様、シアリーズまで話しに来てくれるの?」

「さあ? 何の予定もなければな」

 メティエは口を尖らせ、不機嫌な目を向ける。

「姫様、たった今伝言がございまして、シファル王子――」

「メティエ、迎えに来たよ!」

 ミアンの報告と重なるように、明るい大声と共に幸せの光をたたえたシファルが部屋に飛び込んできた。

「シファル王子、よく来てくれた」

「これは陛下に妃殿下……と、失礼ですがあなたは?」

「フォルトナ王国王子、ユティウス・ヴェネ・タリエンテだ」

 ユティウスは右手を差し出す。

「ああ、兄上でしたか。これは失礼を。お名前は存じております。私はシアリーズ王国王子、シファル・リム・シグ・コットロイズと申します。こうしてお会いするのは初めてですね」

 シファルは差し出された手を握り、握手を交わす。

「聞いていた話では、長いご旅行へ行かれていたとか。いつお戻りに?」

「ついさっきだ。それにしても、式を挙げる日取りが性急過ぎないか? メティエはかなり参っているぞ」

「えっ、メティエが?」

 驚きの表情で、シファルはメティエに近寄る。

「そうなのかい?」

「……見て。私の顔、ひどくない?」

 シファルは化粧をしたメティエの顔をまじまじと見つめる。

「いや、これまでと同じくらい、それ以上かもしれない。美しく輝いて見えるよ」

 メティエは溜息を吐くしかなかった。

「そんなに参っていたのかい? メティエ」

「たった三日間で、婚姻の準備をしろと言われたほうの身になってみてよ」

「……僕の気遣いが足りなかったようだね。ごめん。メティエは喜んでくれるとばかり思ったものだから」

 しゅんとするシファルに、メティエは少し気まずくなった。

「あの、だから、わかってもらったらそれでいいから。式を挙げるっていうのに、そんな暗い顔しないでよ」

 これにシファルはすぐに笑顔を見せた。

「そうだね。式を挙げる前に暗い顔はよくない。二人とも笑顔でいないと。さあメティエ、外に馬車が止めてある。一緒に行こう」

 シファルはメティエの手を強引に引く。

「ちょちょ、ちょっと待ってよ! まだ髪が整って――」

「大丈夫だよ。シアリーズまでは一週間かかる。その間に髪を整えるくらいいくらでもできるから」

 この事実に、メティエは気付く。

「……そうよ。式当日まで一週間あるんだから、今こんなに着飾らなくたっていいんじゃない! なんで私こんなことしてるの?」

「それは違いますメティエ。たとえ馬車に乗っていても、民はあなたを祝福し、その姿を一目見たいと駆けつけて来てくれます。そんな期待に応えるためにも、民の前では花嫁姿でいなければいけません。いいですね」

 王妃は厳しい口調で忠告する。

「それが、フォルトナ王国王女としての、最後の務めってことだ。……義弟よ、メティエを頼んだぞ」

 にっと笑う兄に、メティエは歯噛みする。

「お任せください。兄上、そして両陛下、シアリーズでお待ちいたしております。では行こうメティエ」

 シファルはメティエを引っ張り、部屋を出て行く。

「だから待ってってば! リリア、髪飾りと、あとベールも持ってきて! 忘れ物ないわよね」

「はい。後は私共ですべて確認いたしますので、姫様はご出立なさってください」

 メティエはシファルに引きずられるように廊下の先へ消えていった。

 リリア、ミアン、髪結い職人も、国王らに頭を下げると、駆け足で部屋を出ていく。

「……私の妹は、あんなに騒がしかったかな」

「シファル王子の影響ね。確実に」

 母と息子は、呆れながらも笑っていた。

「では、そろそろわしらも行こうか」

 国王がひげを撫でながら言った。

「荷積みはすでに終えて、馬車も待機しています。……ユティウス、あなたも早く着替えてきなさい。私達は先に行くわよ」

「一緒ではないのですか?」

「あなたの着替えを待つ時間はありません。あのメティエの様子が気がかりだから、見張っていないとね」

 国王と王妃は並んで部屋を出ていった。

「旅の疲れが抜けていないっていうのに、すぐにまた出発か。私が式を挙げる時は、日取りをよく考えないとな……さて、妹のために、急ぐとするか」

 ユティウスは早足で自室へと向かっていった。背後の窓の外からは、馬車をひく馬のいななきが聞こえた。

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