後編
「ねえお弔いの続きをしましょう?」
「ええ、そうしましょう?」
女の子たちは指先で雪を丸めて、花の形を作り始めた。
松の枝を引き抜くとお線香だと言って、雪に突き立てた。
僕が出来るせめてと、南天を摘む。葉っぱと実を、それぞれ二個ずつだ。
ならって雪を丸め始めると、興味深そうにのぞき込まれる。
「わぁ」
「かわいい」
「ウサギね」
「ステキ」
「雪うさぎね」
「……。」
二人は無邪気に笑ったあと、言葉の無い少女を気遣ってか黙りこくった。
「あなたは雪が好きだと言った」
とうとつに面の少女は言った。
「え?」
「確かに言った」
「ああ。だけど、どうしてそれを……?」
彼女はうっとりと、唇に両手をそえて囁いた。
「わたくしに向かって言ったもの」
「え……?」
息をのむことしか出来ないでいる僕に、少女は続ける。
「木漏れ日の中、風に白く舞い散って。雪にも見まがう、春の幻。冷たくもなく、溶けもせず。しかも凛と香って美しい」
――あなたは、そう言ってわたくしのこと、褒めて下すった。
「春の陽だまりに舞い散る雪のようだと。ふふ。嬉しかった」
そう言って少女は笑い声を上げながら、涙を流した。仮面の隙間から雫が伝い落ちる。
「それから梅雨が過ぎたころには実を贈った。青くすがしい実りの粒を、いくつも」
「ああ。昨年も――もらったよ。ありがとう」
・。・*・。・*・。・*・。・
母親から梅シロップを渡された時、今年が最後だと言い渡された。
その言葉に耳を疑った。すぐさま聞き返したが、確かな言葉だった。
あの梅の木は切ったという。
あまりに大きくなりすぎて、庭を占領しすぎるからと。
それに手入れが大変だから。老木で今にも倒れそうだから。
それから、それから――。
聞くに堪えず母の言葉を遮った。
それをあの梅の木に聞かせてしまったのかと、問いただした。
祖父の代よりも前から世話になっていたという大樹だ。
切り倒すにも礼儀を弁えるべきだろう?
謝罪はともかく、切る前にせめて礼を述べたのかと一気にまくし立てた。
そんな僕に、母の言葉は呆気なかった。
『知らないわ。お父さんが全部決めて、決まったら終わっていたんですもの』
・。・*・。・*・。・*・。・
「あれで最後」
梅の木は――。
大きくうろの空いた、あの老木は……。
幼い頃からあのうろに背を預けて、梅の花を見上げるのが好きだった。
少女たちが、僕のこしらえた雪うさぎを取り囲む。
そこは雪に埋もれてこそいたが間違いない。
春、僕の特等席だった場所だ。
「うさぎ、うさぎ、雪うさぎ」
「まっしろ、しろ、しろ雪の、いろ」
「だのに、おめめは、なぜ、赤い?」
「うさぎ、うさぎ、お弔いのお迎えに」
「泣きはらしたおめめで、やってきた」
「うさぎ、うさぎ、泣かないで……。」
桃花と紅子と名乗った二人が、歌うように掛け合った。
少女の、雪にも負けない指先が、作り物のうさぎの頭を撫でるように触れる。
「うさぎ、うさぎ、もう泣かないで」
白装束の少女は、雪うさぎの頭を撫でた。
うさぎの瞳の部分の南天をひとつ、指でつまむと唇に寄せた。
「そんなに泣いては、まなこも溶けるよ」
狐面の少女も歌うように掛け合った。
それからほんの少しだけ黙ってから、頷いた。
「そうね。それも悪くない」
「ごめん。本当にごめん。知らないでいてごめん。僕が父と……この家と疎遠なばかりに、大事なことを聞き逃してしまった。もしもっと早くに知れていたら、何か手を打てたのに。ごめん。ごめん。本当にごめん」
そればかりを繰り返す、僕のざんげに少女は口を開いた。
「じゃあ、どうしてくれるの? どう償ってくれるの? わたくしと一緒にいってくれるの?」
どこへ?
差し出された手のひらを見つめた。
その言葉がのどに張り付いたまま、出てこない。
息をのんだその時、ドサリと重い音がした。降り積もった雪を、南天の樹がふるい落としたらしい。
紅い実がひとつ転がり落ちて、雪肌に紅をさしたように彩った。
まるで雪にしたたり落ちた血のひとしずく……。
「……白雪の君」
幼い頃、読み聞かせてもらった物語の姫君をまねた。
異国の姫の名そのままでは可愛そうな気がしたから、そう呼んでみたんだ。
僕が小さい頃に名付けた。この素晴らしい木への敬意として。
「残念、当てられちゃったわ」
「本当に、ごめん」
白雪の君は首を横に振って見せ、そして微笑んだ。
「もう、いいの。どのみちわたくしはあまり……持たなかった」
そう呟いて悲しそうに足元を見下ろした。それから雪のちらつき始めた空を見上げる。
「不思議ね。わたくしは春に咲き誇る花でありながら、いつだってこの雪を見上げてきた。この光景をまぶたの裏に閉じ込めて、それにならって花びらを散らせたらと願っていた。毎年必ず、見に来てくれるあなたのためにも。雪の季節が終わっても、その名残であるかのごとく振る舞った」
ぱんぱん、と手を叩いて白雪の君はその場を仕切った。
面を外すと、僕を見上げてにっこりと笑った。あどけない顔立ちなのに、その表情はとても大人びていて不思議な魅力を感じさせる。とても美しい女の子だ。息をのんで見とれるほどに。
そのまなじりに浮かぶ雫に心奪われていると、面を手にした指先が近づく。
「さあもう充分に弔辞をいただいたわ。お弔いは終わりにしましょう」
「充分だって? 僕はまだ君に何も」
「充分よ。だって最期に名を呼んでくれたのですもの」
「え?」
「言ったでしょ。名前を当ててくれないと帰さないって」
そう歌うように唱えながら、僕へと仮面を押し付けた。
面のせいで視界は狭まったが、少女がその中心のように見えた。
背伸びして面を僕へと結びつける。近づく涼やかな香りにめまいを覚えた。
いつまでも吸い込んでいたい、白梅の香りだ。
思わず小さな体を抱きしめると、抱き返された。
「いつまでもあなたの胸に降り積もる雪であれますように」
風が吹いて雪が舞う。
白雪の君の袂も襟も、白すぎる肌も全部、雪に飲まれて行く。
僕が抱きしめたはずの少女の姿は、白い花びらとなってすり抜けていった――。
・。・*・。・*・。・*・。・
白い花びらに吹き付けられ、包まれた夢を見た。
昨晩はやはり酒が過ぎたのだろう。
けだるい体を布団から起こし、寝間着のままふすまを開けて縁側へと出た。
そのまま中庭に続くガラス戸も開け放って、つっかけを履いて庭に進む。
新年らしく空気がどことなく澄んでいるように感じる。
ふと眩しい天を見上げると、何かがふわりと舞い落ちた。
それと一緒に一瞬だけ、凛とした花の香りもかすめる。
受け止めると、それは花びらのひとひらだった。
「白雪の……君?」
春の日に、惜しみなく花びらをこぼす白梅の景色は絶対に忘れない。
まぶたの裏に大事にとってある風景だ。
雪が好きだと言いながら、雪と聞いたらその風景をまっさきに浮かべてきた。
それはこれからも変わらない。
これから僕は雪が降る度に見上げるだろう。
舞い散る雪の中にひとひらの花びらをさがして。
僕は天を見上げた。
『私なりの鎮魂歌のつもりです』
わたしなりのお弔いだな、と。
ごめんよう、梅の木……。
長い事ありがとうね。
お楽しみいただけたら幸いです!